「○○○のオラシオさん」と呼ばれたい、いやしかし・・・

最近「メディアとしての自分」を成立させた知人たちの活躍が目覚ましいのです。

ポーランド映画祭のパンフ執筆からお世話になっている編集者・月永理絵さんは映画横丁という個人雑誌を発刊してブレイクし、映画関係の仕事だけでなく書評とかコラム、カルチャー講座など仕事をやりまくっています。

関西でWay Out Westというジャズのフリーマガジンをずーっと発刊し続けてきたデザイナーの藤岡宇央(たかお)さんは、多くのジャズ・ライヴを企画して海外のミュージシャンたちを招聘して今や関西のジャズ・シーンにおいてなくてはならない存在だし、歴史的発掘音源で有名なResonance Recordsの新作をはじめCDのジャケットを次々手掛けたりと大活躍。

知り合いのブレイクを素直に喜ぶ一方、非常に焦りを感じている自分もいます。いや、ぼかして書くのはやめましょう。はっきり嫉妬しています。

この二人に共通するのは、自分自身が何か形になるメディアの発信元になって「○○○の◇◇◇さん」のように呼ばれる人だということですね。言わば、名刺がなくても自分が出しているメディアが名刺のかわりになっている。

映画横丁の月永さんに言われたのですが「自分の手でメディアを発行すると、仕事が来やすいですよー」という利点もあるようです。彼女がブレイクしはじめの頃にこれを言われて、一時期「僕も何かを出すべきなんだろうか・・・」と真剣に悩みました。

この「メディアとしての自分」は要するに独立して開業するお店のようなものだと思います。例えば、Bar Bossaの林伸次さん、Kakululuの高橋さんといったような感じですね。

月永さんや藤岡さんが発行するものには当然彼女らだけではなくいろんな人たちが執筆したり、情報を寄せたりします。お店にいろんな人が来店して、その中に小さなコミュニティができあがり、それがまた仕事の種になっていくような感じでしょうか。

メディアを発行し続けるのは大変なことだと思いますが、人が集まるプラットフォームになるという可能性があります。これは、雑誌など他人のメディアのパーツのひとつとして仕事をしている人にはできないことなのです。

さて、もうひとつ「○○○の」という枕詞をつけて呼ばれる人たちがいます。自分自身がメディアを発行しているわけではなくて、たくさんの人が知っている偉業を成し遂げた人たちです。例えば「『仁義なき戦い』の深作欣二監督」みたいな感じです。

音楽ファンの読者の方だと、フリーソウルの橋本徹さん、Jazz The New Chapterの柳樂光隆さん、Quiet Cornerの山本勇樹さん、などが今パッと思い浮かんだでしょうか?

こうした人たちの特徴は、仮に「○○○の◇◇◇さん」の◇◇◇の部分をおぼえていなくても、○○○はちゃんと知っている人がとても多いということですね。それくらい売れたり、多くの人に影響を与えたり、折に触れ言及されたりしたものを残しているということです。歴史を変えた、なんてものもあるのかもしれません。

こういう仕事を達成できた人はやっぱり幸せだと思います。最強の名刺なので、ごにょごにょと細かい業績を並べ立てて自己紹介しなくても「○○○の・・・」と言えば「ああ、あの!」とわかってもらえますし。

すごくかっこわるいのですが、こんな風に「○○○のオラシオさん!」って呼ばれたいなあ。それくらいの仕事を一発残したいものだなあと思っている自分がいます。今の私にはそう呼ばれるだけのはっきりとした「名刺代わりの仕事」はありません。

自己紹介しても「・・・で、普段はどんなお仕事をされてるんですか?」といつも訊かれます。また、それに「いくつかの雑誌に書いたり、ライナー書いたりですかね」と歯切れ悪く答えて「へええ・・・」とそのまま話が終わったり(笑)などざらです。

ここまで読んで来て、いやいや、オラシオには「ポーランド・ジャズの」っていう枕詞があるじゃないか、それでわかる人けっこういるじゃないかと思った優しい読者さんもいるかと思います。

でもポーランド・ジャズはジャンル名であって、いわば自分ではない人たちが作り上げてきたものです。私はそれを紹介する第一人者であるという誇りは持っていますが、それは語り部のような意味であって、自分が作った業績ではないのです。

という意味では、最近とみに話題の、しかもけっこう売れた(ステマ)わたし選曲のコンピ『ポーランド・ピアニズム』は名刺代わりに使えるだろうか、いや・・・・なんて考えているここ最近でございます。

と、やたら「○○○のオラシオさん」に憧れている自分ですが、なんかそれも射程距離が短い、小さな目標だろうかと思ったりもします。私は物書き業の裾野でコツコツと自分の業績を重ねている状態の人間ですが、とにかく自己紹介をよりシンプルにそぎ落として行くのが究極の目標なんです。ちまちま言葉を重ねる自己紹介、マジでめんどくせえんです。

だからシンプルにするには、メディアを自分で作り出すか、代名詞的な仕事をして「○○○の」って呼ばれるのが最高かなと最初は考えていました。それは物書きとしての自己実現、達成すべき目標みたいなのとちょうど重なり合うわけです。

でも違いました。究極の状態は「○○○の」さえなくて、名前だけで名刺になっちゃう状態です。だって、例えば「『祈りの幕が下りる時』の東野圭吾」とか言わないですよね。東野圭吾という名前が単独で知られていますよね。東野さんが初対面の、自分の顔を知らない人に会った時「東野圭吾です」と言えばそれで通じるはずです。

東野さんのような人は偉人なので、どう考えてもそれと同じように「オラシオです」と名乗るだけで通じるようになった自分が想像できませんが、目指すのは勝手です。まあ、最初は「○○○の」がつくのを目標にし、次はそれが取れるように頑張りたいと思います。

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