ブスが一人もいない世界を実現する

人が人を「ブス」と言う時に発せられる、どす黒い邪念の霧みたいなものって、いったいなんだろう。その邪悪さは、それを聴く周りの人間をも一瞬で黒く染め上げる。

この言葉について考える時、僕はいつも高校の時の一幕を思い出す。

同じクラスのEくんは、大阪府下で指折りの公立進学校だったうちの高校の中でもトップクラスの成績で、かつ何度も全国大会で賞をとっている吹奏楽部の打楽器部門の花形奏者だった。いわゆるイケメンではなかったが、相当にハイスペックな人間だったことにはかわりはないだろう。

その彼と放課後に廊下で立ち話していたら、吹奏楽部の女子が通りかかり、Eくんに何かを話しかけた。内容は記憶から抜け落ちているが、業務連絡だったか、そんな感じのことだったような気がする。とりあえず、その内容がEくんのお気に召さなかったのだろう。彼女が去ってすぐに、

「うっさいんじゃ、ブスが」

と吐き捨てたのだ。

その口調のあまりの禍々しさに面食らったし、何より彼を殴りつけたくなるほどのいらだたしさが僕を襲った。そして、その感情の揺らぎがおさまった後で、「こいつはどんなに僕より優秀な人間か知らんが、人物としてはものすごく低級やな」と軽蔑の気持ちが湧き上がってきたのを、いま目の前で起こったことのようにはっきりとおぼえている。

そして今でも全然わからない。いったい何が、彼の「ブスへの憎しみ」を駆り立てているのだろうと。彼は一度でも考えたことがないのだろうか。人のことをブスだと思わなくなるだけで、どれほど平和でリラックスした社会が実現するのかを。

世の中に「ブス認定」されている女性は、たくさんいるのだろう。しかし彼女らはブスという文字を顔に貼り付けて生まれるわけではない。誰かが、その人を「ブス」だと呼ぶからブスということになっただけのことだ。つまり、誰も彼女をブスと言わなければ断じてブスではない。

中学生の時、ブスと言うレッテルを貼られ、激しくいじめられていた女子がいた。僕はそのいじめに加わってはいなかったが、傍観していただけなので、彼女にとってはいじめる側と同じ人間だ。僕に罪がなかったとはとうてい言えないことは、とりあえず書いておく。

彼女は毎日心無い言葉を浴びせられ、いつもかなりキレて怒鳴り返し、時には号泣したりしていた。平常心を失い泣き叫ぶその姿は、確かに見苦しいものだったかもしれない。しかし、それは当たり前のことなのだ。僕たちは誰も、その子のいいところなど見る機会がなかったし、見つけようともしていなかったのだから。そんな状態に追い込まれれば、誰だって好ましい部分など発揮することはできない。

美人とブスをめぐる本はいろいろあるが、ある本にはこんなことを書いてあった。ブスは、顔かたちがどうこうより、美女に対する妬みの気持ちが醜いのだ、人格がブスなのだと。なので、人格美人のブスは、ブスに思われないのだと。そのくだりを読んだ時、中学の「ブスの子」の記憶がはげしく甦ってきたのだった。そしてものすごく反感をおぼえた。

でも、勝手にブス認定して嫉妬するまで追い込んでるのは、周りのほうだろう。追い込まれたら誰だって人格ブスになるだろう、と。

いつもにこにこしていたらブスでも大丈夫、とか、何を言われても気にしない度量があればみんなブスとか言わなくなるとかって、それは結局女性に性格面での「美女」ぶりを要求しているのと同じで、ブスは許せねえと言ってるのと何も変わらない。

顔の作りがブスならば、今度は人格のほうで美女であることを求める。しかし、ルックス美女がそうそういないのと同じで、性格美女もそうそういるものじゃない。普通の人に向かって「美女になれよ。そうすれば好かれるよ」ってあまりに過酷な要求じゃないだろうか。なんでそんな残酷なことが言えちゃうんだろう。

中学の時のあの子だって、みんなが普通に接すれば普通の子だったはずだし、彼女がいじけたり我を失って叫んだりという「負の側面」を見せなくても済んだはずだ。つまり彼女は、みんながブスと言うからブスになった。

どうもみんなブスが大嫌いみたいだ。この世からいなくなって欲しいとさえ思っているのかもしれない。少なくとも、あの時のEくんの口調からは、それくらいの憎悪が感じられた。

しかし答はかんたんなのだ。人のことをブスだと思わなければいいし、ブスだと言わなければいい。たったそれだけのことで、世界からブスは一人もいなくなる。だって、ブスはみんなが決めつけるものだから。

僕は幸か不幸か、人間、特に異性のルックスへの当たり前の感性が著しく欠けていて、女性を「この人、むっちゃ美人だな!」と思ったこともなければ「ブスだな」と感じたこともない。人間は中身だ、とかっこうをつけているわけではなくて、単純に美醜の差がよくわからない。みんなそれなりに魅力的にも見えるし、そのかわり美しさやかわいさに心打たれることもない。だから、どうでもいい。

それがいいことなのか悪いことなのかは判断しようがないけれど、たったひとつだけ言えることがある。女性をブスと思わないで済むということは、この社会を生きる上でものすごく楽だし、平穏な気持ちでいられるのだ。

その意味で、僕は世界がとらわれている多くの憎悪の感情のうち一つを、感じないで済んでいる。近親憎悪、差別、嫉妬など人と社会は、たくさんの憎しみに覆われているけれど、少なくともブスへの憎しみは、もう少しなくせるんじゃないだろうか。

とは言え、僕にもやはり「うーん、この人とはちょっと無理かな」という人もまれにいる。ルックスからそう感じたのか、人格面からなのかはわからないけれど。合わない人と無理に付き合う必要はない、というのもまた真理のひとつ。

でも言い換えれば、他人に対して「見えている部分」から感じ取るネガティヴな要素は、その程度で充分機能するとも言える。絶対に合わない、という危機感を察知する程度でいいのだ。

ついでに言うと、恋愛的な意味でも友情的な意味でも、その人が好きになってしまえば、どうせ美醜なんて関係なくなるし、たとえ錯覚であっても好ましく見えてくる。

それなのになぜ、人は「ブスが、ブスが」と言って一生懸命予防線を張るのだろう。憎悪の独り相撲に思える。かえって、ほんとうは仲良くできるはずだった人との出会いを遠ざけている気もする。

少なくとも、あなたが僕が人をブスと断じた時、その人との「出会い」のチャンスはほぼ永遠に失われたことになる。人は、なぜそんな回り道をするのだろうか。

もう一度はっきり言う。ブスなんていない、世界に誰一人として。いるとしたら、僕たちが、社会が作っているのだ。そんなにブスが憎いのならば、人をブスだと思わなくなるだけで、世界からブスは消える。

ブスが一人もいない世界を実現するためにできる、たったひとつのシンプルな方法だと思う。

投げ銭制です。面白かったという方は、ぜひ応援よろしくお願い致します。いつもありがとうございます。ちなみに、Bar Bossa林伸次さんの↓の記事にもインスパイアされ、「ブス」についていつも考えていることをコラムにしてみたものです。ぜひこちらも。

この続きをみるには

この続き:0文字

ブスが一人もいない世界を実現する

オラシオ

100円

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

フリーランスのため、みなさまのサポートは取材や執筆活動の貴重な経費とさせていただいております。また、サポートいただくとものすごく励みになります。最高のエネルギーです。よろしくお願いします。

ありがとうございます!SNSでシェアしていただけるとさらに嬉しいです!
38

オラシオ

この恋愛観、そんなに変わってます?

大学時代に出会った彼女と結婚もせず付き合って早や約四半世紀。初恋からそのまま超ロングラン恋愛に突入した私の恋愛観は相当変わっていると言われます。そんな私の恋愛についてのコラムを集めたマガジンです。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。