ノーベル賞ダブル受賞できるスピーカー 公共空間内のBGM考

東京メトロ日比谷線のBGM導入がネット上にちょっと火をつけていますね。ドビュッシーやショパン、メンデルスゾーンなどクラシックやヒーリング用に作曲された音楽を流して、より快適な車内空間をご提供、とのこと。

参考記事:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000317.000020053.html

私はこの問題についての意見をほぼツイッター上オンリーで見ているのですが、おおむね導入に否定的なように見えます。しかし「類は友を呼ぶ問題」というのがありまして、そもそも私がフォローしている人がかなりの音楽ファンだったり業界人だったりしますので、その「否定的」というアングルがそのまま世論なのかどうか、ちょっと判断がつきません。

人によっては、へえ、きれいな音楽が流れるんだ、いいじゃない別に。と思っているかもしれません。

確かに、日本は異常なほど「音」にあふれている国です。私はこれまでイラン、ポーランド、台湾の3ヵ国に行ったことがあるのですが、日本とくらべると、どこの街もかなり静かです。公共交通機関を利用するとその差は顕著です。

日本では、案内のアナウンスとともに発車や停車を報せるメロディが暴力的な重なり具合であちこちから聞こえてきます。メロディそのものは作曲家が職人的スキルで作った、ある種心地良いもののはずなのにやかましくなってしまうのは、きっと「サウンド・デザイン」がなされていないからでしょう。

コンテンツそのものは気持ち良いのに、それが気持ちよく響くための環境が整えられていない。

最近「編集者不要論」っていうのが言われているようですが、編集ってここで言うサウンド・デザインのようなもので、どんなに面白い文章を書きまくれる人がいても、それをより効果的になるように調整する人がいないとポテンシャルがうまく発揮されないままで終わるのではないでしょうか。それと同じことだと思います。閑話休題。

さて他のパターンでは、地方だと、機材の劣化などハード的な要因で音が悪くなっているのに予算難でリカバーされていないということも多く、それで不快感を催している人も少なくないと聞きます。

上で「暴力的な重なり具合」と書きました。例えば逆転の発想で、単独ではメロディとしての役割を果たしていないんだけれど、かわりにどんなタイミングでいくつ重なっても不快に聞こえない音の連なりの単位とか科学的に作れないものなんでしょうか。

日本の空間のやかましさは、それぞれの音が「音楽に寄りすぎている」せいなのではないかと思ったりもします。メロディ未満でも、個別の音型が鳴ってりゃ、役割は果たすんですし。一つ一つが旋律として独立しているからかえって重なると濁ってしまうんじゃ、なんて。

それにくらべれば、外国に行くと案内アナウンスやお知らせ音楽の少なさにかなりビビります。オレが乗ろうとしている便は、ほんとうにここから出るのだろうかと不安になります。しかしそれは私たちが日本から来たからなのでしょう。現地の人にはそれくらいで充分なのかもしれません。

地下鉄車内のBGM問題については、個人的には正直どうでもいいと言うか、音楽を流す流さないの問題ではなくて、上で書いたようなサウンド・デザインの問題だと考えています。よく聴くと流れている、くらいの音量だったら別にいいような気もします。しかしそれでは流す意味がそもそも、というツッコミも入れたくなりますが(笑)

試験放送体験記:https://news.careerconnection.jp/?p=49310

私が地下鉄BGM問題について是か非かの判断を保留しているのは、次に書くような経験をしたからです。

以前フィンランド在住のロシア人ジャズ・ピアニスト、ウラジミール・シャフラノフがふらっと青森市に演奏しに来たことがあったんです。すごく突然のことだったのですが、少しだけその青森市公演をお手伝いしたんですね。で、開演前に「軽食を採りたい」と彼が言うので、近くのカフェに案内しました。店内には、有線で良さげな選曲のBGMが。

彼がパスタを食べながら、ぱっと顔を上げてこう言いました。

「このように、いい音楽を空気のように浴びる環境って、すごく良いね。音楽は耳から聴くだけではなくて肌から吸収するというところもあると思うんだ。こんな風に日常で音楽が流れている日本はうらやましいよ。」

あくまで僕の意見だけどと付け加えてはいましたが、その考え方は私にはとても新鮮に響きました。彼はれっきとした音楽家なので当然「音」に対するこだわりが強く、きっと「ずっと音楽がかかっててうるさいな」と言うと予想していたからです。

シャフラノフのような意見もあるということを知っているので「音楽がパブリック・スペースで流れるのはそんなに悪いことなのだろうか」と思う自分もいるのです。一方で、言わば観光客モードの人と、そこに住み続ける人では捉え方が違うから参考にならないと感じてもいる。

パブリック・スペースと音楽というトピックで言うと、最近は館内BGMを導入している公共図書館がちらほら現れているのをご存知でしょうか。図書館って、おそらく日本で一番「静かな空間」のイメージが強いところですよね。でも、音だけでなく香りも導入している館もあるんです。

読書や勉強など、集中力を必要とする時に、実はしーんとした空間よりも適度なざわめきがあった方が良いという説もありますよね(立証されているかどうかはわかりません)。しかしこれもまた人それぞれかと思います。

以上を踏まえた上で、もう一度整理してみたいと思います。音楽が人間に及ぼす良い効果そのものは、誰も否定していないはずです。別にファンと言うほどではない、とか、日常で自分から聴いたりしないという人はいても「音楽が嫌い」と断言する人はほとんどいないですよね。

では日比谷線BGMの何が引っかかるんでしょう。それは、

みんなにとって快適な音楽ってこれでしょう?って半ば押しつけられている

ということですよね。ショパンやドビュッシーは、確かにすばらしい音楽かもしれません。でも好き嫌いもあるし、好きな人でも聴きたくない時だってある。

家の最寄りのモスバーガーが改装した直後、店内のBGMがビートルズ・オンリーの有線チャンネルになっていた時期があって、ちょっとした拷問でした。最近やめてくれたようですが。いくらすごい音楽でも、そればかりはきつい。

その、いいものだという前提で一方的に流すということが否定派の方たちは許せないのかなあと。「みんな、これが好き(なはず)」で勝手にくくられてしまう気持ち悪さは、私にも共感できます。

また、車内で音楽を聴きたい人はスマホなり何なりで自給自足する。反対に何も聴きたくない人は自然音だけの車内にいる、という自由も当然あるはずです。「聴かない自由」ですね。そうした自由が保障されなくなるんですよね。

音楽は、人がその中に何かを求める時にのみその「何か」が見いだせるようなもので、何も求めていない時にも何かを自動的に与えられるほど便利なものじゃないと私は思います。特に癒されたいと思っていない人は、音楽を聴いて癒されないということです。

東京メトロが言っているような「より快適な車内空間」は、その快適さをBGMの存在に見出そうとしている人にのみ、有効なんです。まあ、反応をおいおい見ながらどうするか決めるということのようなので、どうなるのか引き続きチェックしていきたいと思っています。

と言うか、真夜中のクラブの騒音問題(&摘発)の事例などを見ていても思うのですが、誰か「聴きたい人だけが聴ける(=聴きたくない人の耳には音が届かない)」というスピーカーを発明してくれないものでしょうか。

そんな夢のハードがあったら、電車BGMもクラブ騒音も、あらゆる問題が平和に解決ですよね。クラブでは聴きたい人は爆音でDJを聴いて踊って楽しみ、近所の人はぐっすり眠る。電車内でもそれぞれが聴く聴かないを選んでそこにいる。これ、ノーベル物理学賞と平和賞ダブル受賞できますよ(笑)

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オラシオ

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