別れは「つくる」もの

電車に乗っていて、正面の席に座っているカップルが妙に会話がないなあと思って見てたら、駅に着くと突然彼氏の方が立ち上がり、スマホをぽいっとそれまで座っていた座席に放り投げ、

「家にある荷物、好きなようにしていいから。俺、どこか別の街に行くよ。じゃ」

と早口で言い捨てて、電車をさっと降りてしまった。直後に閉まるドア。彼女は呆気にとられて、もういなくなった彼を見上げた姿勢のまま固まってしまっている。僕を含む乗客たちはみんな、その様子を見ていられなくなって視線を逸らす。


・・・・・嘘です。

こんなドラマティックなシーンにはお目にかかったことはありません。でも、先日旅先で彼女と一緒に電車に乗っていて、なぜか上のようなシーンを一瞬想像しちゃったんです。そして、自分の気持ち次第でこれって可能なことなんだなと思いゾッとしました。

今はかんたんにメールで連絡が取り合えますし、SNSとかLINEとかコミュニケーション手段も昔にくらべれば格段に豊かです。世界中のどこに行っても、友人や知人と言葉のやりとりがリアルタイムで出来るんです。これで本当に「お別れ」だねっていうシチュエーションは、死別か、記憶を失うくらいしかもうないのじゃないかとも思えます。でも、それは本当なんでしょうか。

上の場面で突然電車から去った彼と彼女は、きっと未婚でかつ同棲しているのでしょう。その彼がいきなり彼女と別れたくなったとする。でも、彼女とのこれまでや、部屋に置いている自分の荷物が足を引っ張るわけです。じゃあ、それらに対する執着も一切消えるほど別れたくなったら?

その答えが、メールと電話を兼ねた連絡手段の要であるスマホを手放すことであり、「荷物も勝手にしてくれ」と言って、部屋には二度と戻らないということなわけです。

彼氏はこのままどこか違う街に行き、そこで仕事を見つけて新しい暮らしを整えて行くのでしょう。新しい彼女もできるのかもしれません。電車を飛び出た後、彼がそこからどういう手段を使ってどこへ行くのか「それを教える意志」がなければ知りようがないのです。

どんなに連絡手段が便利で豊かな時代とは言え、それが成立するのは「つながっていたい」という気持ちがあるからなんですよね。それがなければ、メールやSNSがあっても、例え同じ家に住んでいても、何もつながらない。逆に言うと、別れというのは、気持ちが作り出すものなんだということなんだと思います。それほどの強い気持ちが、ちょっとした気まぐれでつながりそうになる現代社会の中で、そのつながりを遮断するわけです。

こんなに連絡手段が便利になる前の時代(ほんの少し前まではそうでした)を描いたドラマや映画、マンガなどを見ていて、私が一番感情的に思い入れを感じてしまうのはいつも「別れ」のシーンでした。

その時代は「実際に会う」ことイコール「つながりがある」でした。物理的に会っていない状態は、すなわち別れを意味したのです。だからふとしたきっかけで命を賭けた冒険を共にした侍と町娘が「では、達者で」と別れる時、それはその後の人生でもう二度と会わないだろうことを想像させるわけです。

それくらい、一度の別れが永遠の別れになる時代だったんです。ほんの少し前までは。

アニメの銀河鉄道999で、メーテルと鉄郎が別れる駅のシーン、感動しますよね。ドラえもんの長編『のび太の宇宙開拓史』映画版でコーヤコーヤ星とのび太の部屋の間の空間がどんどん離れて行くラストシーン、涙ながらに見た人、たくさんいますよね。

あれらはきっと、あの時代ならではの「つながっていたい気持ちがあるけれど、それは無理」という物理的な条件から生まれる別離の感覚を比喩したものだったんじゃないかと思います。

最近の作品に「死別」のシチュエーションのものが多くなっている(あくまで印象です)のは、「だってメールで連絡できるじゃん」という感覚が一般的な時代に、物理的な別れの共感を感じてもらうのが難しくなっているからなのかなとも思います。大切な人が亡くなってしまうのは誰にとっても平等に「永遠の別れ」ですからね。

でも、これからは最初に書いたカップルみたいな「意志が作る別れ」を描いたものもどんどん増えて行くんじゃないかと思っています。自分もそういうのが書いてみたいし。「もうつながらない」という決意ほど強いものは、ある意味ないのかもしれません。それは、死や忘却などの「他力」な効果ではないだけに、より強く別離の距離の長さを想わせます。

最後に「別れのシーン」ということでいつも私が真っ先に頭に思い浮かべる作品のことを。

山田洋次監督の、邦画史上に残る名品『幸福の黄色いハンカチ』のラスト直前のシーン。高倉健を送り出した若い二人、武田鉄矢と桃井かおりは、ことの終わりを見届けるその前に、さっと車で去ってしまうんですね。無言で握手だけ交わして。

この映画の中のストーリーは、作中のこの3人の人生にとって、たぶんものすごく大きな出来事で、出会いの意味も大きかったはずなんですね。でも、こんなにあっさりと別れてしまう。でも、それがいいんです。きっとこの若者二人と健さんはもう二度と会うことがないんでしょう。やがて、人生のささやかな一頁として、3人の記憶にそっとしまわれることになるんでしょう。とてもすばらしい出会いだったから、だからこそすんなり別れられる。例え記憶の中でその輝きが小さくなっても、その火が消えることはない。

観終わった後、そんなことをぼんやりと考えてしまいます。この映画をまだ見たことがない方は、ぜひ。今こうやってこの文章を書いている最中にも、思い出して涙ぐんでしまいそうです。それはきっと、あれほどにあっさりと若者たちが去らなければ生まれなかった余韻です。彼らはすばらしい別れを作ったんです。

そして、この映画に対する観客の記憶のあり方と、3人の登場人物がのちのち思い返すであろう作中の一連の出来事に対する記憶のあり方が、見事にリンクするんですね。もちろん、ロードムーヴィーでもあるという設定も効いているんですけれど。思春期は「お涙頂戴の感動映画か」とバカにしていたのですが、今ではこの映画が大好きになりました。

SNSとかでついつい人のことを追いかけることができてしまう今の社会。もちろんそれはそれで温かいつながりを作ってくれるんですけれど、一方で自分も『幸福の黄色いハンカチ』みたいな気持ち良く歯切れ良い別れを作ることができるようになりたいなと、いつも考えています。それは、人として大切なセンスのような気がするんですね。でも、実際は友達や知人とメールなどでつかず離れずの関係を続けてしまっていますけどね。

つながりやすい世の中だからこそ、逆に「別れをどう演出するのか」がこれからの人間のテーマなんじゃないのかなと思います。

いいお別れ、したいですよね!

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別れは「つくる」もの

オラシオ

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コメント4件

私はコンピューター関係の仕事をしています。
なのでか「端末(この話ではスマホ)を捨ててもl D(電話番号とメアド)は生きているし、使わなくても課金されていて、それを消すのは手間だよね」と思ってしまいました。実際仕事を得るために連絡先として電話番号を求められる事が多く、その番号も固定電話ではなく携帯端末のものを使う人が増えています。そもそも固定電話を持たない人も増えています。同棲ならば尚のこと固定電話ではない番号を登録しているでしょう。親や友達にも新しい番号を連絡しないとならない。でもその電話帳さえも電話番号に紐付いて電話会社のサーバーから取り出さないとないのでは?
となると端末を電車に捨てても、端末の電話番号かPCのアドレスが(完全に乗り換えるIDが作成され、一部Dataが移行されるまで)消されない時間ができます。

ここまではロマンのない仕事の私の発想です。
ここからは、映画化前から甲殻機動隊やアップル・シードファンだった私の発想です。

完全に消される前の電子Dataへのアクセスでもう一度彼と接触できるかもしれない。
あるいは女性側が電話番号を変えていなければ、彼が彼女をネットの海でみつけてしまうかもしれない。


10年以上前に使用をやめたプロバイダも潰れて今はもう使えなくなったメアドを持っています。
これを自分のアドレス帳に入れたまま、今のメアドで登録してある大規模に「アドレス帳から友達を探す」をOKにすると、私の昔のメアドをアドレス帳に入れたままの「もう連絡しないだれか」を見つけてこないかな。

等と考えてしまいます。


見つけても、Dataのごみ・差分として「知り合いかも」通知は来ないかな
>よでしゃさん なるほど。もしこのネタを小説にするとなると、もう少しリアリティを持たせるため、その辺の下調べが必要になりそうですね(笑)
実際に物理的に追いかけられるかどうか、より、スマホも捨ていきなり去ることで「もうあなたとは絶対につながりたくないんだ」という気持ちをはっきり伝えるという効果があるのだと思います。またそれはそれでその後に感情のドラマがありそうですね。
>kotone.さん SNSについては、最近少し似たようなことを考えていまして、かんたんにつながることができるからこそ、わざわざ「つながらない」気持ちが見えると言いますか。こちらこそうまく言えないですみません(笑)。そして、実際に会う以上の良さはないな、ということも改めて見えてきますよね。
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