「書いて、再会」 interlude

この私小説もどきのシリーズ?は東京で過ごした20代最後の日々の、さらにその終わりについてのもの。

前編中編で書いたような四面楚歌の状態を抜け出すためにも、何とかその会社で抜きんでたマイクロフィルムの撮影技術を身につけなくてはいけなかった。

じゃあ「マイクロフィルムの撮影」って具体的にどんな仕事で、自分はそこで成績をあげるためにどんな努力をしたか。

それを本編で細かく書いても専門的過ぎてバランスが悪くなるだけなので、ここで箸休めとして書く。

こういうことの積み重ねをして、後日アップする「後編」の状況につながるのだな、という風にメモ代わりにお読みいただければ幸いだ。


まず、撮影するものは「携帯電話の契約書」だ。数枚一組になっていて、最初の紙は契約者の個人情報が書かれていて「メイン」扱いになる。

余談だが、この会社は違う部署で生命保険の契約書のデータ処理も取り扱っており、僕も前はこの部署にいた。その時整理した書類の中にあの「ジャ○ー△事務所」の所属アイドル全員のものがあって、たぶん事務所で集団契約した際のものなのだろう。それを手にして整理しながらチラ読みして「ああ、ほんとうに本名なんだ」とか、本人の直筆記入なので「この人はこんな字を書くんだなあ」と感じたものだ。

閑話休題。

これらの書類をIM-70(確か記憶では)という機械に通して撮影する。

「通す」というのは、この機械は中でゴウンゴウンとローラーが回っていて、紙を入れる入口がある。その口の前に水平の紙置き台が設置されていて、ここに紙を載せ、一枚一枚手で紙入れ口の中に繰り出して行くという作業のこと。

この紙の挿入口のところに読み取り用のガラス板が設置されており、それを機械の内部に設置したマイクロフィルムに焼き付けるようになっている。

同じような形の撮影機の説明図があったので、貼っておく。この図の「オートフィーダ」が上で言う紙の挿入口にあたる。この前に椅子を置いて、座って撮影作業をする。

さきほど「メイン」の紙の説明をしたが、メインの紙を入れる前に付属のフットスイッチ(電子ピアノの簡易サスティンペダルのような形をしている)を踏んで「マーク」をつける作業が必要になる。

このマークをつけることによってひとり数枚の書類が、そのフィルム一巻5000枚の中でただの「1~5000」ではなくて、1-1~1-5>2-1~2-4という風に、ひとりずつの区切りを設定できるようになる。例えばひとりで書類が5枚ずつだとしたら、5000枚で1-1から1000ー5までの千人分の契約書を撮影できるということになる。

さて、最初にこの撮影業務を説明された時恐怖したのが、ガンガン回るローラーに紙をちゃんと入れられないことだ。ローラーのゴムの部品が紙を噛んで吸い込んでいくので、そこに触れる前に紙をぴしっとまっすぐにしなければならない。おっかなびっくりしてると、まだ斜めなのに持って行ってしまうし、真っすぐに入れたつもりでも、ローラーに触れた途端にその振動で微妙に歪んで入って行ってしまう。

まず、いかにまっすぐに紙を機械に吸い込ませるかが最初の課題となった。これは先輩のやり方などを見て、ゴムの指サックをはめた中指、人差し指、親指でつかむように紙をつまんで微妙に紙をたわませ、そのたわみが元に戻る反動を利用しつつ曲げた指を伸ばして前に紙を飛ばすことでできるようになった。ローラーに引っ張らせるのではなく、真っすぐの状態のまま空中を飛ばすようにしてスポッと吸い込ませるのだ。

さて、撮影用の書類は、あらかじめ書類整理係の処理によって撮影しやすいようになってやってくる。クライアントからはひとり分の数枚ずつが左上にホッチキス止めされた形で届けられる。書類整理では、そのホッチキスを外し、時々順番が間違っているのを正しい順に並べ替え、メインの紙だけを横にしてLの字型にきっちりと揃え、太い輪ゴムでたすきがけにして固定する。その束が撮影者の横の撮影用書類置き場にドカドカと積み上げられていく。

撮影の時は、フットスイッチを踏む→横になっているメインの紙の方向を撮影する方向に90°回転させる→ひとり分の契約書類計数枚をそのまま機械の挿入口に送り込む→次の人の書類のマーク用にフットスイッチを踏む→・・・というのをフィルムが尽きるまでひたすら繰り返す。

この行程において、またいくつか課題が立ち上がる。メインの紙をいかにすばやく方向を回転させるか。そして、書類の束からいかにすばやく正確に一枚ずつつまみあげて目の前の機械に送り込むか。

先輩の女性たちの仕事ぶりを観察しつつ、自分でもいろいろやってみて、この撮影業務で的確に撮影枚数をあげるために大事なのは、ひとつひとつの動作のロスをいかに少なくするかということだと結論付けた。

要は、撮影用の書類の輪ゴムを解いて挿入口の前の台に置いた瞬間から、一巻撮り終えるまでの間に動きが止まることがないようにする。メインの紙の方向を直すたびに「ひとくぎり」ではなくて、紙の方向を直す、フットスイッチを踏む、紙をつまむ、そして送るという複数の作業を限界までロスなくひとかたまりの作業に近づける。

例えばメインの紙の方向を直す場合。挿入口の前の台には、両端にパソコンのプリンタの用紙の大きさ別に調節するガイドのようなものがついている。あれをミリ単位で調節し、布テープでしっかり固定することで、90°回転させた時にちょうどカチッと収まるようになる。ガイドの幅にはミリ単位で微妙な余裕があるので、スムースに紙も送りだせる。

このガイドの幅がきついと、紙がスムースに前に送りだせない。ゆるいと、ガイドの役目を果たさず、挿入口に入る前に微妙に歪んでしまう。たった1ミリくらいガイドがずれただけでそうなってしまうのだ。

超低い自分用の椅子を持ち歩いていた奇才ピアニストのグレン・グールドではないが、椅子の高さもちょうど良いように細かく調節する。姿勢や腕の角度によって、紙を送ったり回転させる時のロスがゼロコンマ数秒抑えられる。

フットスイッチを踏むのはメインの紙を送りだす直前。ということは、メインの紙を回転させる時と同時に踏めば、それだけロスが1秒くらい減る。また、踏んだ瞬間にもうメインの紙を送れるようになればもっといい。

ひとつひとつの動作の間の時間をどれだけ削れるか。そのロスひとつだけとれば数秒の話でも、塵も積もれば山となるだ。撮影枚数をできるだけ稼がなくてはいけない、ということになった時、選択肢はふたつ。長時間働くか、一定の時間内での平均撮影枚数をあげる。先輩方と違って家庭持ちではない自分がだらだら長時間かけて枚数を稼いでも、説得力はない。となれば、自然と後者しかなくなる。

ボクサーが、種類の違うパンチを一発ずつフォームを替えて打つのではなくて、同じ体勢のまま数種類続けて流れるように連発するようなイメージか。書類の輪ゴムを外す瞬間がゴングなら、一巻撮り終えるまでが試合終了。つまり、試合が終わるまでずっとパンチを出し続けるという短期終了スタイルを僕は目指した。

この仕事をやるまで、自分はまったくもってダラダラしたゆるい人間で、適当にやってなるようになるさ主義だと思っていたのだけど、ほんとうは徹底した効率主義が向いていると気づいた。そして、機械はそれを求めれば求めるほど応えてくれる。決して心折れることなく、自分の限界まで邁進してくれるすごい相棒。

とにかく、仕事している間の一挙手一投足、ありとあらゆる動作からロスを取り除くことに没頭していたら、気がついたら僕はひと月あたり、先輩たちの2~3倍くらいの枚数を撮れるようになっていた。

だいたい一日に2巻、1万枚くらい撮れれば上出来だと言われていたところ、僕の毎日の挑戦は5巻撮り終えられるかどうかというレベルになった。結局それが最高記録だったのだが、ある日一日で6巻を撮影し、部長にそれを伝えたら「本当か? それはすごいな。化け物か」と満面の笑顔で言われ、クビ寸前のところを助けてくれたこの部長の恩に報いることができたのではとようやく自信を持てたことをおぼえている。

時々撮影機の修理に来てくれるメンテナンスの大阪弁のおじさんが、先輩の撮影機の修理をしながら僕の撮影を見ていて「いつもそんなスピードで撮ってるの? 機械が泣いてるで(苦笑)」と言われたのも嬉しかった。

世の中は数字や金じゃないという。でも、明らかに数字がものを言う状況というのは絶対にある。どんなに真剣にやろうが、逆にふざけていようが、それを結果として見せなければ勝負に負ける世界。しかしそれは逆に、そこさえはっきりさせれば文句は言われないという「しるし」が存在するということだ。

その「しるし」を受け取るためにすべてを賭ける状況に自分を置けたのは今でも財産だと思っているし、徹底効率主義な自分の仕事のやり方も発見した。それに、この時自分は間違いなく「職人」だったと思う。何もない、同僚の冷たい目を浴びながらの、ゼロどころかマイナスのところから自分の力で積み上げたスキルの尊さをはじめて知ることができた。

あと、自分はゲームは一切やらないのだけど、どこか仕事をゲームのように考えるところがあるのもわかった。どうやってより速くより正確にできるか。それをどうやって日々更新するか。仕事の目安となる数字を設定して、そのベストスコアを毎日超える気持ちでいろいろ考える楽しさ。仕事がゲームみたいに楽しいのだから、ゲームをやる必要がないということなのかも。

自分の中では、そのベストスコアを超えるやり方は「いかに動きのロスをなくすか」ということだったのだと思う。もともとめんどくさがりのところが、そういう発想になったのかもしれない。人より俊敏に正確に動けないのなら、余分な動作や時間を限界まで削ることで近づけるはずだ、という発想。

文章にしてもヴィジュアルが浮かびにくいだろうし、ちょっと専門的な話に過ぎただろうから、ちっとも面白くなかったと思うが、僕はこういう努力を重ねて、四面楚歌の状況を乗り切ったのだった。

後編に続く。

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オラシオ

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