教えてください、美人ってなんですか?

みなさんは、どこかで女性を見て「ああ、キレイな人だなあ」ってドキドキしたり感動したりしたことってありますか。まあ、ありますよね。

私は不幸なことにこの辺の感覚が完全に壊れてて、そういう風に思ったことがありません。あえて言うなら、私は「ルックス博愛主義者」なんです。美しい、キレイ、かわいいとかがよくわからないかわりに、人からブスとか人並み以下と評価される人のブサイク具合もよくわかりません。どの人の顔もそれなりに良く見えます。

いわゆるブスフェチとかいうのとも違います。特定の層が目立って好きなのではなくて、単にどんな人もフラットなんです。

その女性の顔に対する世間からの採点は、私にとってほとんど意味がないものです。どうしてこんなことになっちゃったのか。私自身はいろいろあった家庭環境のせいかなあと自己分析しているんですけど、これまでたくさんの男女の恋愛を見てきたBar Bossaの林伸次さんは「それは単に、シラオさんがもともとそういう人なんでしょう」と仰ってました(笑)

どちらにせよ、私が女性の美しさにドギマギしたことがないという、ちょっと不幸でどこか壊れた人間だという現実には違いはありません。きっと人生のかなりの部分を損しているんでしょうね。自覚はないのですが。

さて、そんな私は知りたいんです。

美女や美少女、かわいい子とかって、あなたにとってどういう存在なんですか?

とりあえず顔の良さにはいろいろあるんでしょうけど、ここではそれらをすべて「美人」という言葉で代表することにしますね。美人って、ほとんどの人にそう(=「美人だ」)思われるという前提で話が進みますよね。

「あの子、美人だよなあ」
「そうそう」

しかし、その前提が私には通じない。だから教えて欲しいんです。美人の何が美しいと感じるのか。そして、美しいと感じることで何か良いことがあるのか

以前伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』を読んだ時に、スケッチブックを持って街に立つ金髪美女が狂言回しのような役回りで出てきたのですが、そのルックスが全然想像できなかったのです。しかし作中では多くの人が彼女を美人だと感じると書いています。

相方に「これって例えばどういう人なんだろう」と訊くと「ロード・オブ・ザ・リングでガラドリエルやってる時のケイト・ブランシェットとかそうじゃない?」とのことでした。あとで映画を観て確認しましたが、神々しく近づきがたいキャラなのはわかりましたが、やっぱり美人なのかどうかわかりませんでした。

そういう問いを立てた時に、みんなが思い浮かべる人が「美人」の定義に当てはまる人なんでしょうか?

よく「美人はバランスのとれた顔だ」と言われます。とは言え、一方で「完璧な造形の美人は、記憶に残りにくい。どこか特徴的なパーツがある方が印象が強い」なんてことも言われます。どっちなんだろう。

ここで問題なのは、整ったパーツがある程度整ったバランスで配置されていることが「美人」なのか、各パーツそれぞれの美しさは問わずに、バランス良く配置されていることがそうなのか、あるいはバランスは二の次で、それぞれのパーツが美しいことがそうなのか、ということになるでしょうか。

しかしパーツの話をすると、いつも思うんですが、ブスとか十人並以下などと言われている女性の顔をよく見てください。彼女の「顔」に属するパーツのうちどれかひとつは、けっこう良いものがあるんじゃないですか?

少なくとも、全部が全部ダメだなんて人はいないと思うんですけど・・・。それで充分なんじゃ? 人のルックスのいいところなんて、それくらいのものでしかないじゃんという気持ちがあるのですが、私の美的沸点は富士山の頂上のそれよりも低いんでしょうか。

あと「あの人、美人だよね」というのがあたかも誰もが理解する常識のように口にされることも多いですが、もっと掘り下げてみると「美人だけど、好みと違う」とか「みんなはあの子が美人だと言うけど、僕はあっちの子の方がいいと思う」とか美人判定が割れたりします。

結局、美人かどうかって好みの問題でしかないのでは? 美人かどうかではなくて、好きか嫌いかの評価軸。みんなの意見を聴くたびによくわからなくなってきます。

さて、何が美しく見えるのかの話はとりあえずいったん措いておいて、次に美人に対して「美人だ!いいなあ」と感じることで何かいいことあるんですか問題です。

例として、少年マンガのラブコメものなどで、主人公がやたら学校のカワイコちゃんたちに惚れっぽいというのがあります。マンガだから、ある程度かわいい造形になってしまうという問題もありますが、彼女たちは実際作中キャラとしても美人という設定になっていることがほとんどです。

何度も言うように私は感覚が壊れた人間なので、主人公たちの「かっ、かわいい。ドキッ」という気持ちが全くわかりません。そしてもっとわからないのは、いろんな美人に心惹かれることが発端となって、彼がどんどん損をしていることです。

リアルの世界にも、パートナーがいるのに街行く美人にひっきりなしに目をやったり見とれたり、あるいは恋に落ちてしまったり、チャンスがあれば寝てみたいと目論んでいたり、そんな男性がけっこう多いですよね。

とは言え現実は、重婚もできないし、不倫や浮気は倫理的に最大のタブー行為のひとつとして社会に存在しています。つまり、基本的に選択肢はひとつだけ。ひとりのパートナーと末永く付き合っていくということしかないのです。それなのに。

周りの美人に惹かれることで、そのたったひとつの選択肢を守る困難はどんどん大きくなっていく。人生的にも、かなりの岐路に立たされる。そこまでのリスクを背負って美人に心奪われるって、なんか割に合わなくないですか。

もうひとつ「美人にドキッ」で疑問なのは、そのドキッの中にどういう欲望が隠されているのかです。セックスしたいのでしょうか。それとも恋人になりたい? あるいはただ眺めていたい?

目の前にいる女性が美人であるということは、あなたの中のどんな欲望を喚起するのでしょうか。

例えば美人とセックスがしたいという場合。経験がある人はご存知のように、セックスって顔がいい悪いは関係ないですよね。何せ、心から愛し合っている人との間のセックスすら相性が良くないことだってあるかもしれないという世知辛い世の中なのです。顔なんて、何の関係もないでしょう。

または恋人になりたいという場合。これもまたよく聞く話ですが「かわいいから付き合ったけど、性格合わなかった」とか言ってとっとと別れたりするパターン、多いですよね。と言うか、美人であることが理由で長続きしているなんていうほうがマイノリティーです。人はしょせん、ルックスでは付き合えないってことです。

それなのに、なぜ顔でパートナーを選ぶんでしょうか? 美人に惚れるってことが、明らかに損になってませんか? すごく回り道な気がするんですよ。

もちろん「俺は美人と付き合って、うまくいってる。毎日彼女のことを美人だなと思う」という人もいるでしょうけど、それは美人であることが愛の持続の理由ではなくて、やっぱり性格など多角的・総合的な理由でしょう。

合コンなどでよくある例ですが、参加した女性の中で目立った美人に男性陣の関心も会話も集中して、その他の女性たちが白けるという場合。この場合も、実は男性たちは損をしています。他の子だってその人なりの魅力があったり話が面白かったり、いい感じになるきっかけを持っているかもしれないのに、美人に群がることで徒に競争率を上げるだけ。

また、美女であることを理由に態度が明らかに変わるのを、女性は「最低ランクの行為」に位置づけるようです。たったひとりの美女に目の色を変えることで、明らかに損をしているのでは。うーん、やっぱり美人に惹かれることの価値がよくわからない・・・。

建築史家の井上章一の著書に『美人論』というのがあります。この本は「社会が美人をどう位置付けてきたか」ということを豊富な知識で論じたとても面白い本なのですが、あとがきか何かで井上さんが「美人の前に立つと、雷に打たれたような感動をおぼえて動けなくなる」みたいなことを書いていて、苦笑してしまいました。

そんな美人って、ほんとにいるんですか? 動けなくなるなんて、逆にお気の毒だなあとさえ思ってしまいます(笑) その時井上さんを支配しているのは美に対する感動なのでしょうが、それはほとんど彼にとって建築の傑作を見た時の気持ちに近いのかなと想像します。

となれば、美人というのはやはり「芸術品」に近いようなカテゴライズで、人によってわかる・わからないも分かれるし、好みも分かれる。そういう理解の仕方が実情に一番近いのかも。

最後に「美人であること」の美人本人にとっての価値について。

私の周りにいる、美人と言われている女性の友人たちがたまたま「美人であることのデメリット」を感じている人たちばかりだったからかもしれませんが、本人的にもどういうメリットがあるのかよくわかりません。

デメリット説を唱える私の「他称美女」の友人たちがよく言うのは、

1.顔だけ見ていちいち粉かけてくる
2.勝手な幻想を押しつけてくる
3.品定めの視線が集まってイラつく
4.意味もなく同性に妬まれる

というようなことでした。私が思うに、美人全体の中で、美人であることをうまく活用して人生を謳歌したりキャリアを重ねようとしている人の割合はすごく低くて、ほとんどの人は特に得をしていないような気がするのです。美人は別に「美人である」という評価を欲しがっていないと言うか。

ま、しかしこれは考えてみれば当たり前の話で、彼女らはそれぞれ自分自身というひとりの女性として人生を生きているだけで、美人という民族に生まれたわけじゃないですよね。彼女らにはそれぞれ人生の中で自分なりにやりたいことがあって、顔が美しいという事実はただのオプションに過ぎない。彼女の美人さが、その「やりたいこと」にとってメリットになるかどうかは、やりたいことの種類によるでしょう。

「私を好きだと言う人が、ただ単に私の顔が好きなのか、私自身が好きなのか判断するのが難しい」と嘆くモテ美人もいます。良い恋愛をして、結婚して子どもを産んで幸せな家庭を築く!のが人生の目標だと言う女性も未だに数多いですが、美人であることがその目標への近道になるのかどうかも、ちょっと怪しいような?

それらを考えると、やはり美人が美人であることで得をしている例って、思ったよりもグッと少ないのではないかと思います。

最近は相方と一緒にテレビを観たりして、何となく「世間ではこういう顔の人を美人って言うんだろうな」くらいの見極めはつくようになってきました。でも、自分の実感として「あ、美人だ!」と感動するのとはほど遠い。なんか、そういう時はきっとこの先も自分に訪れないんだろうなという気がします。

美人っていったい何なんだろう。美人に対しては、ほとんどの人が美人だという評価を与えるというのが世の中の前提ですが、その前提を疑ってみると、けっこう説明しにくい存在じゃないですか?

以上、私が今までどこか壊れた感性で世界を眺めてきた中で、美人について考えたあれこれでした。

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オラシオ

ふむふむ

コメント3件

なるほど。あくまで自分の日常にはかかわりのない芸術的存在というのはひとつの定義かもしれないですね。
それならば、私が美人にピンとこないのも「そういう人もいる」と言うことはできるかも(笑)
>りんどうさん はじめまして。私はなんでも「選択肢が少ないのは良くない」と思ってしまう性質で、美人のことも、同じような感じなのかもです。あと美女や美男子が内心自分の顔を迷惑に思っている割合ってけっこう高そうで、その辺についてもあまり語られていませんよね。顔をほめられたい人だけが美人だと世の中うまくいく・・・・のになかなかそうはいかない。人生の不思議ですね。
焼き(苦笑)。苦しいはずなのに、人はなぜか妬むのが好きですからね。私は産まれた瞬間に母方の祖父母や叔父叔母たちに「うわー、○○さん(前の父)に似てるわー。ブサイクでかわいそうに・・・」と顔をけなされたらしいので(笑)もうあきらめています。
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