痴漢問題を「男」が考えた その5

前回、自分を含めた「痴漢問題に言及する男性」に対して、

それって、声を向ける先が間違ってない?

ということを書きました。たった一文に要約するとずいぶん挑発的に感じますけど、実際要約するとそういうことになると思います(笑)。

その4はコチラ → https://note.mu/horacio/n/n179d9be407c6

正直、じゃあそれをお前はできてんのかと言われたら、恥ずかしながらほとんどできていないです。個人的な関係やある程度少人数の、男女混合の集まりの中ならまだしも、どう考えても女性蔑視的な旧態然としたオヤジたちの集団の中でたったひとり自分だけが「それ、おかしいんじゃないですかね」と言うのは、対効果の面を考えても二の足を踏んでしまう状況です。たぶん誰が何を言ったところで、誰一人として自分の意見を変えないでしょう。そんな集団の中では、妄想の中で女性はいつも男性のいいように扱われています。しかしまあ、実際にそのようなシチュエーションのことは多いわけです。

それなら、そういう頑迷なホモソーシャルにひそかに疑問を感じているサイレント・マジョリティな男性同士で逆サイドの徒党を組むしか手はないわけで、やはり「オレは痴漢するようなやつじゃない」とわざわざ宣言しないと格好がつかない格好悪い世の中を変えるには、そうやって男自身で男性社会を少しずつ変容させていくのが良いのではないかと私は考えます。

ところが、男性が痴漢問題に言及する時、実は男性に向けて送っているメッセージもあるんですよ。

女性じゃなくて男性に向けてちゃんと声をあげろよと言いましたが、これから書く点については抜かりなくやっている人が多い。ある種「目くばせ」的な。あるいは「やっている」のではなくて無意識にそうなっているのか?

それは、

僕は痴漢したいなんて考えたこともないし加害者を憎んでいるけど、こういう性欲があります。

と自分の性欲やフェチ、性意識のあり方などをつまびらかにする男性が多いということなんです。痴漢の欲望はない、と言う前置きとしてまず自分の欲望のあり方を解説するというパターン。こういうのネット言論や書籍などで結構散見されるのですが、それを目にするたびにうーん、と感じてきました。

一般的に、世の中の男性というものは多種多様なエロコンテンツに包囲されており、大なり小なりそれらのうちのどれかを日常的に楽しんでいるということになっている。そんな環境の中で、男性が男性(および世間一般)に向かって「痴漢みたいなこと、実際にやるのも想像するのもやめようぜ、な?」と言うためには、まずその前に禊のような行為が必要なのです。

つまりそれが、自分の性欲を暴露するということなんですけど。ではその禊はなぜ必要なのか?

それはたぶん、まるで性欲を持たないように見える(あるいはそのように見せている)「聖人君子」(気取り)が「痴漢なんて良くない欲望だよ。やめよう」と言っても単に上から目線の説教にしか感じず、共感を得られないという恐れがあるからだと思います。

違う話に例えてみましょう。

ここにふたりの20代女子がいます。恋に恋する恋愛女子の恋住(コイズミ)さんが、付き合っては別れてを繰り返し、いつもその顛末を泣きながら仕事大好き人間の慈円田(ジエンダ)さんに報告するのが定型パターンとなっている、長年の友人同士。

しかし今回はいつも以上に激しく泣きじゃくるコイズミさん。どんなに恋に苦しんでも健康だけは損なわない彼女が、珍しく憔悴しています。聴けば、今回の恋は不倫だった模様。いつものパターンを考えると、このままコイツは不倫にはまってしまう! ジエンダさんはそれを何とか食い止めようと焦ります。

コイズミ「いけないことだって、わかってた・・・。でもステキな人だったんだもん。奥さんがいるからか、女の扱いもわかっててすごく優しかったし」
ジエンダ「でも不倫はダメじゃん。って言うかそもそも何でそこまでして恋したいの? そこまで恋愛っていいもんじゃないよね。コイちゃん、いっつも泣いてんじゃん」

いつもは思慮深く言葉を選ぶジエンダさんですが、この時は友人の悲惨恋愛ループを止めようと必死でした。ついいつも自分が考えていることが口をついて出てしまった。きっと後で念入りに直すであろう、涙で化粧が崩れまくった顔をキッとこちらに向け、コイズミさんが言葉をしぼり出します。

コイズミ「何、その上から目線。ジーちゃんだって、いい恋ぐらいしたいでしょ。恋したくない女なんかいるわけないんだから。自分だっていい男と付き合いたいくせに、恋愛を否定すんなよ!

そういう意味ではないのだ、と弁解する言葉がうまく出てこないうちに、コイズミさんは口もつけてなかったカモミールティーの代金をテーブルに叩きつけ「もうジーちゃんにはこういう話しない!」とカフェを出て行ってしまいました。

この例え話を、痴漢問題における「禊」のメカニズムに置き換えてみましょう。女はみんな恋したい(男は性欲をコンテンツで解消している)はずなのに、あたかもそんな現実がないかのように説教すんなよ! そんな奴の言うこと聴けるかよ! 自分だけ別次元にいるみたいな物言いが信用できないよ! という反感を呼ぶ、ということなのではないでしょうか。オレの欲望のあり方を理解できない奴に、その欲望を否定されたくないという感じ。

やれやれと内心思いつつも、ジーちゃんはコイちゃんに目線を合わせた諭し方をしなければいけなかった、というわけです。確かに、このふたりの場合はそうかもしれませんね。

しかし、痴漢問題に男性が言及する場合も当てはまるのでしょうか? 私はそれ、個人的にものすごい悪手だと考えています。

そもそも、いきなり「僕もAVは見ますけど、もっぱらジャンルは○○で、痴漢ものには全く興味がありません」などと告白されたところで、気持ち悪いだけで、いったい誰がそれを聞いたり読んだりして楽しいでしょうか。「男が一方的に押しつけるだけのセックスなんて嫌で、オレはお互い優しくし合うのがいいです(だから、オレは加虐的な欲望なんて持ってません)」とか言われても、引きませんか。

痴漢なんて良くない。被害者を傷つけるな!と声を上げること自体はとてもすばらしいことなんですけど、その前にホモソーシャルに対して「そうは言っても僕も男で、時々AV見て(以下省略)。だから僕もみんなの味方だよ」と目くばせをする。

しかしこの行為は単に「友達何人かで一緒にAVを観る」的なホモソーシャルの再生産に手を貸すだけだし、第一ただただ気持ち悪いだけです。

一方で私のこうした意見に対して「性の話が大っぴらにできない世の中で、性に対する意識が改善されるわけがない」という批判もあるのではないかと思います。男性が自分の性意識についてつまびらかにすることは、そのための一歩じゃないか、というわけですね。

でもそれは「文脈」が違うのではないでしょうか? 痴漢は「性」ではなく「性暴力犯罪」です。

誰にでも性欲や歪んだ欲望があるのが当たり前です。でも、人を傷つけたり尊厳を搾取してまでそれを現実のものとしようとする行いを、私たちが住む社会は「犯罪」と位置づけ、それを未然に防ぐ努力をしているわけです。

その文脈の中で「性欲肯定」を語るのは、ちょっと筋が違うのではないかと私は思うのです。

ただ、付け加えておくと、痴漢問題撲滅のために自らの性欲を語る男性にはある種のフェアネス精神があるような気もするのです。ホモソーシャル的目くばせではなくて「自分も歪んだ欲望をどこかに抱えているのは事実なのに、それについて触れないで男性の欲望の歪みについて一般的に語るのは、なんだかフェアじゃないな」という感じでしょうか。

これもまた、うなずける考え方ではありますよね。ただ、やはり第三者は性欲の告白を聴いても引くだけだし、逆にそうした理解ある男性にすら歪んだ欲望があることを改めて明らかにされて、被害経験のある方の男性憎悪・恐怖感が増大する危険性もあります。

あえて語らずとも、誰にだって性欲や歪んだ欲望のひとつやふたつあります。私にもあります。そんなの、人間社会の大前提ですよね。でも、そんなことわざわざ性犯罪撲滅の文脈の中で持ち出さなくたっていいじゃないですか。そんなことしても、引かれるだけで仲間は増えないと思いますよ。

もう一度はっきり言います。それは悪手です。

痴漢は性暴力以外のなにものでもないのですから、自分の内なる欲望のあり方に葛藤などせず、正々堂々と正面から反対すればいいんじゃないかと、私は思います。とりあえず性欲のあり方の話は別のふさわしい文脈をさがしませう。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

フリーランスのため、みなさまのサポートは取材や執筆活動の貴重な経費とさせていただいております。また、サポートいただくとものすごく励みになります。最高のエネルギーです。よろしくお願いします。

ありがとうございます!SNSでシェアしていただけるとさらに嬉しいです!
42

オラシオ

コメント1件

え、性欲が性コンテンツごときで充足する人が描く理論って意味あるんですか?
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。