そもそも化粧制度の導入って仕事の役に立ったんですかね 東急マナー向上広告に思うこと

東急電鉄のマナー向上広告動画が炎上しちゃいましたね。

地方から来たらしき若い女性が「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」と同じ列車にいる女性たちの車内での化粧に憤慨して踊り出すというもの。

炎上問題に関する記事例はコチラ↓
http://www.excite.co.jp/News/smadan/20161025/E1477379136950.html
http://netgeek.biz/archives/86012

この動画、この若い女性が電車内外でのマナーの低下に怒って踊る「マナーダンス」シリーズのひとつみたいですね。

さて、私はあまり身なりに気を使わない部類に属する男性で、しかもスーツを着なきゃいけない仕事をやったことはバイトの塾講師の二年間くらいという奴です。なので、スーツを着てネクタイを締めなきゃいけない男性会社員も、きちんと化粧しなきゃいけない女性会社員も、個人的には等しく「大変だなあ」と感じます。

とは言え、です。男性社会に属するひとりとして「男と女が違うだけでずいぶん不公平だな」と感じることは多々ありました。仮に、スーツなり化粧なり社会人としてその職場で必要とされている身なりがあって、それが今一つしっくり果たせていない人がいるとします。その人が男か女かで周りの対応はかなり違います

女性だと「化粧似合ってないなあ」とか「身なりをきちんとできない人は仕事ができない感じがする」とか、なんか主にマイナス・ポイントをつけられがちなのに対し、男性だと「多少格好がダメでも、男は仕事で評価されれば良い」みたいに放免されることが多いです。実際、自分もそう言われたことはあります。「母性本能くすぐるからかえってモテるかもね」と気持ち悪い評価をいただいたこともあります(苦笑)

つまり、女性はキレイに化粧ができるというラインがようやくゼロ地点なのですね。男性はそこまで身なりを整えられなくても良い。ぼろぼろに汚れたスニーカーを履いていたのに、苦笑をされつつも「まあ天才だから」とファッション面に関してはお目こぼしされたビル・ゲイツが、もし女性だったらどうだったんでしょうか。

あと、女性の化粧は男性の身づくろいにくらべ、著しく時間もお金もかかります。そもそも美容やオシャレなどというものはある程度のセンスや相性が必要なもので、個人の向き合い方は千差万別になるはずなのですが、現代日本社会では一様に一定の仕上がりを要求しています。

その仕上がりを保つためのお金が足りないと言えば「安い化粧品でもうまく見えるよう工夫しろ」。時間が足りないと言えば「みんなやってるんだから工夫しろ」。うまいメイクの仕方がわからないと言えば「それくらい働く女の基本だろ。工夫しろ」と工夫しろ地獄。うまく仕上がっていても当たり前と言われる。

それほどに女性に負担を強いている「ルール」なのに、依然女性は男性よりも給料は安く、家事労働の負担も重く、男性の目からもなんか不公平な感じはしますね。しませんか? 本当に?

さてと、動画と炎上の様子を見て2、3気になった点を挙げます。

1.「踊る女性」の設定

地方から来た、まだ学生か社会人になりたてらしき化粧っ気のない若い女性。つまり彼女は何らかの理由で「毎日化粧をしなくても良い」という属性を持っているわけです。

なぜ、彼女自身も化粧をしている女性ではダメだったのでしょう。同じく化粧をしなければいけない同士で、それでも線引きして絶対に家の外では化粧をしないという女性と、そうではない女性の対立構造だとマナーについて考えてもらう効果が薄いのでしょうか。

私はこれ、化粧をしなくても良い男性側の視点をこの女性が代弁している構造になっているのだと思っています。地方在住で、この街でも普通に女性に化粧が求められている状態を見ている者としては、地方から来た(らしき)女子だから化粧っ気がなくて都会の女はキレイだという設定も苦笑ものではありますが。

化粧をしなくても良い者が、化粧必須の種族を他人事のように眺めることで生じる「みっともない」という感覚。もちろん「ちゃんとやっている」女性も電車化粧族を「なんだあれ」「私はそんなこと絶対にしない!」と思っているでしょう。

しかし、そういう「女性側の自律感」としてのリアルを捉えたものであれば、化粧をしなくても良さげな女性を主人公にしなくても良かったはずです。「彼女」を主観キャラに設定したことに、男性主体の構造が透けて見えてくるようです。男がそれを言うと反感を買うので、女性に一応なっているだけなんです。

2.なぜ「みっともない」という言葉なのか

このCMへの批判への逆批判の中で多くの方が述べられているように、実際に車内で化粧するのはある種の「迷惑行為」の側面があります。その迷惑とは、匂いがひどいとか化粧品の粉が飛ぶとか。煙草の受動喫煙を類似例に挙げても良いかと思いますが、実際に具体的な「迷惑」要素は確かにある。

ならば、この広告でもそのように諫めれば良かったじゃんと私は思うんですが、どうでしょう。それなのに、なぜ個人の価値観に訴える「みっともない」だったのでしょうか。このCMに対してカチンと来た方は、この言葉の選択に対して怒っているような気がするのです。

個人的な意見を申し上げますと、私も電車内の化粧は好きではないです。正直に言って「みっともない」と思っています。それをやっている方の多くが「どうしても時間がなく、やむを得ず」ではなくて最初からパブリック・スペースである電車をパーソナルなものと勘違いしているフシが見受けられます。しかし、それはあくまで私の主観です。

主観の表明ではなくて、ルールを守るための基準としての「みっともない」という言葉を選ぶことで、まず背景として職業人として必須の身づくろいのコストに男女差があって、それを守るためにやむを得ずやっている人もいるかも知れないという現実を失効させてしまいます。

例えば、ポーラ文化研究所「化粧と生活の調査レポート」にこんな結果が出ています。
「電車でメークをしたことがある女性の92%が抵抗感があると答えています。」
http://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/report/topics_001.html

これ、結構衝撃の結果じゃないですか。上で書いた私の体感とは正反対。彼女らは本当に「我が物顔」でやっているのでしょうか? みっともないのがわからなくてやっているのでしょうか?

そして「みっともない」という言葉には、結局のところ女性の行いもルックスも仕事ぶりもすべてが「審美眼」のもとに評価されているという社会の潜在意識が感じ取れます。女性の何もかもが「美しいか・美しくないか」の基準で見られている

みっともないからやめようというのは、ルールではなく「誰かの美意識」です。CMを見た人のうち、女性でも意見が分かれているようですが、この内容を当然と思った人は結局化粧の必要のない男性か「公共空間では絶対に化粧しない」という美意識を持った女性だけになります。

つまり、当の「車内でも化粧している」女性には届かない動機付けなんですよね。あのCMを見ても、車内で化粧をしない女性だけが「やっぱりそういうことをしない私は正解」と再確認する効果しかないのです。それなのにわざわざ対効果が低い言葉を選んだのは、美意識の範疇でしか女性を捉えていないからです。

みっともないというのは要するに「美しくない」というのとほぼ同じです。美しくないと言えば女性には堪える、だから車内化粧もやめるんじゃないか。美しくないという評価は、女性にとって何よりもダメージなのだから。そんな「美」が支配する世界に女性は生きているというわけですね。

3.って言うか「女性は化粧」は前提なの?

炎上というからには賛否両論が必須ですよね。Twitterとか見ているとだんだん話が「じゃあ男の大股開きはどうなんだ」とか「車内飲酒はどうなんだ」とか、行為別やってもいいか悪いか論争みたいに軸がずれてきているように思います。どっちがいいか悪いかランキングつけたって不毛ですよね。だって、問題なのは順位じゃなくて、迷惑行為は等しくやめなきゃいけないはずなんですから。

第一、どれがいいどれが良くないって誰が決めるの?

まあそれはそれでいいのですが、ではどうして前提となっている「女性は化粧して働くもんだ」っていう社会常識に対して「それはどうなんだ」「それこそやめればいいじゃん」って意見が出ないのか、それが不思議でなりません。

例えば、女性の車内化粧もダメだなんだから同じように迷惑な男性の大股開きも全面禁止させる、というのはなんとなく共感は出来ても、現実的にはかなり困難を伴いますよね。それなのに「大股開きだってダメじゃん」と半分無責任に言っているわけです。そしてそういう意見は、かなり昔からあったにも関わらず、大股開き部族の数はいっこうに減りません。

だったら「そもそも女にだけ化粧させるのが悪いんじゃん」と無責任に言いっぱなしにしても別にいいようなものですが。あるいは「男も化粧させればいいじゃん」とか(笑)

そんなに「働く女性に化粧は必須」って大前提なんですか?

そもそも化粧制度の導入って仕事の役に立ったんですかね。

仕事ができる女性が、化粧しなくなったら仕事できなくなりますか? 男性はスーツを着てネクタイを締めないと能率が落ちますか?

化粧やスーツが職場において必須だという常識は一切変化することはないのでしょうか。例えば、かつて電車の中での行いで「みっともない」とされていた車内で飲み物を飲むという行為は、ペットボトルの普及と、現実的に誰にも迷惑をかけていないという認識が広まって、今では別にやってもいいことになっています。クールビズだって、一昔前ならただ冷房消して耐えようという根性論になっていた可能性もあります。ネクタイはずすなんてとんでもない!という感じで。

それと同じように、働く上で女性が化粧しなければならないという常識も変わることもあり得ます。少なくとも、同僚の女性が化粧しないことで被る迷惑は、私には考え付きません。そもそも女性が化粧してこなきゃいけないという「暗黙のルール」があるのはなぜなんでしょう。

さきほどご紹介したポーラ文化研究所の別のアンケート結果がコチラ。
http://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/report/topics_009.html

多くの人が「身だしなみとしてメークをするのが普通」と答えています。決して「仕事がはかどるから」とか「仕事がやりやすくなるから」ではありません。「身だしなみ」や「普通」は職業上の向上心ではなく社会規範を守るという意識の表れです。

化粧が、女性を美しく彩る効果があるのを否定はしません。とても似合ったメイクをしている女性を見るとカッコいいなとも思いますし、自分に合うやり方を見つけていることに軽い敬意も抱きます。

でも、全ての働く女性に必要なものだとはとても思えません。対照的にすっぴんのほうが美しい(と言うか好ましく見える)女性だっているわけですし。もっと言えば、外見的に好ましく見えるかどうかなど実際にほとんどの仕事にとって何のメリットもデメリットもないです。

確かに、人に良い印象を与える清潔な格好を保つというのは一応社会人としての常識だと思いますが、その形も人や職業によっても違うし化粧が必須というわけでもない。

それでも「どうしてもわが社の女性には化粧をしてもらわなければいけないのだ」というなら、そこに男女格差がある以上、美容手当をつけるか、女性の方を給料高くするか、出勤時間を都合するかなどしないと女性従業員に負担がかかるばかりで、かえって労働力の損失になるだけですよね。

化粧が必須の仕事(例えばホテル従業員とか。それでもノーメイクでもいいような気もしますが)は、雇用先がそれに伴う男女格差を埋めないといけないのではないでしょうか。

男性社会の片隅から観察している立場から言うと、化粧は結局男性たちが職場で「化粧して、より美しくなっている女性を見ていたい」という欲望を叶える役にしか立っていないと思います。

このCMをめぐるやりとりで、特に男性から「って言うか、女性の化粧がそもそも要らなくね?」という声があがらなかったのが個人的にはちと残念でした。ほとんどが「俺も身だしなみは家で完璧にやってるんだから、女性もそうするべき」「男だってネクタイして髭を毎日剃らなきゃいけないんだよ」みたいな話に終始しています。

そもそも男の身だしなみと女性の身だしなみは意味もコストも社会的な立ち位置も全てが違うのに、一緒くたにしていることそのものがずれているのです。

だから、あのCMに怒っている女性たちは、そうした男女格差を押しつける社会規範に怒っているのだとも言えます。決して自分の行いを「みっともない」となじられたからではない。だって、みっともないと思われる可能性をわかった上でやっているのですから。しょうがなく。

本当の意味で個人の趣味の範疇で車内で化粧する人だけが残るのは、職場で女性に化粧してくることを求める暗黙のルールと男女格差が完全に解消されて、化粧が個人の自由になってからだと思います。そういう世界になってはじめて、その行いが社会的に「みっともない」かどうかを議論する土俵に立てるのではないでしょうか。

蛇足:どんな風に発注・受注したんだろう

萌え絵論争になった東京メトロのキャラ「駅乃みちか」の時も思ったのですが、CMなりイラストなりを作ったクリエイターや制作会社があってはじめてあれらが出来あがっているわけです。

上ではあれこれ「男性主体の価値観が」どうとか言ってきましたが、東急なりメトロなりが発注してものが完成するまでにいろんな人の目に触れ、意見が反映されているはず。

発注側の担当がどういう人たちでどういう注文や条件をつけて、それを作る側がどのように受け取って発注側にどのような確認をしたのか。どの程度作品に対しての指定が細かかったのかで、いろいろ変わってくると思います。

結局問題になったあれらのヴァージョンが選ばれたわけですから、そこにこそ問題があるのは間違いないのですが、発注段階では別に萌え絵でも「みっともない」でもなかったのかもしれない。すると「男性主体の価値観」とかいうものはどこに存在しているのか。誰が主語になって作られた作品なのか。

私はむしろ、その辺が気になってしまいます。

女性に化粧を強いるこの世の中は、変わらないかもしれない。ですが、このCMであぶり出されたのは「何が車内マナーとして適当か」ではなくて、その背景にある「どうして働く女性に化粧が必要なんだろう」ということなのだと思います。だから、その「どうして」をもう少し考えてみませんか。とりあえず、私は「ほとんどの仕事で必要ない」と改めて思いました。

もちろん、これも私の主観ですけれどね。

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オラシオ

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