男と女のABC問題 解答10

みのりは、よく僕に触れてくる人だった。

「また、くだらないこと言って―」と僕の軽口を半ば嗜めるように背中を叩く。笑いをかみ殺しながら肩に手を置く。

時々「いてっ!」と大袈裟に叫びながら背や肩に感じる彼女の遠慮ない手の感触を、僕は「友情の手触り」だとずっと思っていた。

彼女とはじめて会ったのは、もう10年前。大学3年生の時だ。海沿いの地方都市の四流国立大学に、なぜか何百キロも離れた街から入学した、珍しいよそ者学生同士として。地方の大学は、基本的にその地方の若者が進学するところなのだ。

お互いを紹介してくれたのは確か僕が当時入っていたサークルの同期のトキタだったか。僕は九州から、彼女は北東北からやって来ていて、本来なら全く知り合うこともなかったはずの二人だけど、キレイな海と旨い魚介類以外何もないその街で、カルチャーギャップ・ネタを中心に話が弾んだ。

寮住まいでスポーツ好き、さばさばしてよく笑い、快活な性格のみのりは、全く正反対の性格の僕となぜかウマが合い、キャンパス内の学食でしばし談笑した。時々は二人で学生の溜まり場的な安い居酒屋に飲みに行ったりして、生まれ育った土地についてやお互いの友達の話なんかもした。

周りの友達に言わせると、僕はしゃべり方こそ元気がないものの、言うことがややボケで面白いらしく、特にそれを自覚させたのが彼女の反応だった。みのりには、父や母が僕の頬を叩いて叱った回数の何倍も背中を殴られた。

いつもすっぴんで、着ている服もシンプルな彼女の容姿は、顔や体も含めてごく一般的なんだけれど、その明るいキャラで同性異性問わずそこそこ人気があるようだった。彼女には、一緒にいる人をちょっと元気にさせるようなところがあって、人の悪口を言わないのは特に尊敬できるところだ。彼女のもとに人が集まるのも当然だと思っていたし、少し眩しくも感じていた。

その眩しさは「友情ゆえの輝き」だとずっと思っていた。

大学を卒業し、僕は就職で上京。みのりもまた就職で故郷に帰ることになった。はじめての社会人生活に戸惑ったり喜びを感じたりしているうちに、彼女と時折交わしていたメールでの現況報告の回数もどんどん減り、3年ほど経つ頃には彼女との時間はすでに過去のものになりつつあった。

半年ほどのインターバルが空いて、気が向いて送ったメールはエラーで返って来て、アドレス変更も知らされていないことが判明した。彼女のことは、このまま楽しかった学生時代の思い出を時々振り返るだけになるのかなと思っていた。

そんなみのりから何年かぶりにメールが届いたのが1年半くらい前のこと。勤めている会社に東京支社ができ、彼女は出向社員に抜擢されたのだそうだ。連絡を受けてひさしぶりに会ったみのりは、性格は前と全く変わらず並の男よりよっぽどさっぱりしたままだったが、スーツを着こなし、派手ではないもののメイクもしていた。その社会人な姿をはじめて見て、大学生の思い出がようやく更新された実感を持った。

お互い頑張って社会で働いているんだという感動が不意にわきあがったことを今でもおぼえている。その感想を素直に伝えると、何年かぶりに背中に一発。「化粧とか、似合わないと思ってんじゃないのー?」と彼女は笑っていた。

何年もの地元暮らしで方言が戻ったのか、時々言葉に訛りが入るのもちょっと新鮮だった。思い返せば、僕も彼女も大学時代は標準語で話していたのだ。僕らの大学がある地方の方言は、よそ者には習得が難しかったから。

この東京で、彼女が口にする方言をはじめて聴くなんて。人の縁とは面白い。

それからは、旧知のこともあり、学生の時以上にひんぱんに二人で飲むようになった。当時は自分の故郷のことや、せいぜい趣味で触れる音楽や本の話くらいしかしなかったけれど、30歳目前にもなってくるとさすがにそんなわけにもいかない。自然と仕事や恋愛、人生観などが酒の肴になった。

僕たちは、仕事の種類はまったく違うものの、働くということについてお互いに非常によく似たこだわりを持っているということを発見した。彼女も僕も、決して働くことに感情をまじえない。理由は、仕事の能率が下がるから。そして、職場の人間については、基本的に仕事の出来でしか評価しない。理由は、働き方にその人の人格が表れるから。

学生時代には、決して見いだせなかった共通点だ。こうして友情は更新されていく。お互い新しく社会人モードの中で会話していくその過程で、何度も彼女の手は僕に触れてきた。

僕にとってその感触は、友情以外のどんな意味も持っていないはずだった。

しかし何か月か前のある日。一緒に飲んでいた居酒屋がたまたま騒がしく、彼女がちょっとした冗談を言うために僕の耳に顔を近づけてきた。不意に目の前に現れた、淡いピンクの口紅に覆われたみのりの唇と、耳たぶをくすぐるような触感の囁きに眩むほどのショックを受けた。

これまで彼女に一度も感じたことのなかった異性としての魅力。もっと言うならなまめかしさをその唇と声におぼえてしまったのだ。その衝撃で彼女がどんな冗談を言ったか理解が追いつかず、聴こえないふりをした。

体を離して、また正面に座ったみのりは、僕がこれまで知っていた彼女とはもう別人になっていた。彼女自身は何も変わっていない。僕が彼女を見る感情がおかしくなったのだ。これまで気にしていなかった彼女の体つきやファッションが、突然性的なデータとして目に流れ込んで来るようになった。

この気持ちを知られたら、この友情は終わってしまう。それがわかっていたから、一生懸命にこれまで通りの態度を装いながら、それからも彼女とはいつものように二人きりの飲みを重ねた。

彼女の明るくパッと光が差すような笑顔と、僕の体に触れてくる手の感触を、待ち遠しく思うようになっている自分に気づく。そのたびに甘い緊張が体の芯を走り、かつての友だちとしてのみのりの姿はどんどん僕の中で薄らいでいく。

彼女の体を抱きしめたいと、強く思うようになっていた。

そんなある日。珍しく休日にメールで彼女から連絡が入った。できたら今日中に会って話したいことがあるという。指定されたカフェに行くと、柄にもなく硬い表情をした彼女が先に座って待っていた。

「あのさ、わたし今度結婚することになったんだ。なかなか言い出しにくかったんだけど、、、向こうにいる間に見合いして決まってたことなんだよね」

時折紅茶で唇を湿らせながら、結婚に至るまでの経緯をいろいろ説明してくれたけれど、どうでも良かったのであまり真剣に聴けなかった。いや、彼女の声の響きに耳が心地良くなってはいるのに、なぜか話の内容が頭に入ってこない。

ああ、「向こう」って彼女のふるさとのことか。

「えっと、じゃあみのりはあっちに帰っちゃうってこと?」

僕の声は震えていないだろうか。

「うん。昨日田舎の本社に戻る辞令が出たの。ダンナになる人はあっちにいるから、帰ったらもう結婚しちゃおうと思って」

「そっか・・・突然でびっくりしたけど、おめでとう。みのりが人の奥さんになるなんて、思ってなかったよ」

後ろ半分は、本気の言葉だ。

努めていつも通りの声でそう言うと、みのりは最初に見せていた緊張の表情を崩して「ありがとう。私もまだあまり実感ないんだ。見合いって言っても、子どもの頃から知っているヤツだから、あまり意味なかったんだけど」と答えた。

彼女は、なんではじめは緊張してたんだろう。心のどこかで、僕が彼女を好きだという可能性を恐れてたんじゃないだろうか。つまり、僕の気持ちにうっすら気づいていたのか。でも、そんなことはもうどうだっていい。やがて彼女が僕の前から去っていく。このことは変わらない。

僕が気持ちを抑えて彼女に送った祝福の言葉は、さよならと同じ意味だ。そんな僕の様子から、彼女が何を感じとったかはわからない。でも、彼女は確かに僕から別れの意思を受け取って、こわばっていた気持ちを自分から解いた。

「・・・・いつ地元に帰るの?」

「それが早いんだけどね、1ヶ月後なんだ。うちの会社、せっかちなの」

「そうなんだ。そんなに急なのは珍しいね。そっかあ、みのりとももう頻繁に飲めなくなるなあ。東京で一番親しい友達はみのりだったから、さびしくなるよ」

えっこれ、僕が喋ってるの?

本心を閉ざした僕の口から、自動的によくある言葉が次々とこぼれでる。すらすらと喋る僕のような誰かを後ろから眺めながら、突然みのりに惹かれたあの時のことを考えていた。

はじめて聴いた彼女の囁き声の、耳をくすぐる感触。居酒屋のライトに照らされエロティックに光った、柔らかそうなピンクの唇。

彼女はいつだって、僕に無造作に触れてきた。でも、僕から彼女に触れる機会は、一度もないまま終わるのだ。

友情が壊れるのが怖くて気持ちをこらえていたのに、もうすでにその時は結婚のことは決まっていたんだ。抑えれば抑えるだけ、ふくらんで来た僕のこの想い。せめてその前に彼女の結婚のことを知っていれば、そもそも彼女に惹かれなかったかも知れない。

この気持ちが完全に消えるまで、いつまでかかるんだろう。

気が付くと目の前の僕が「じゃあ、準備も大変だね。会社のほうの残務処理とかも忙しいんでしょ? みのりとは、これでいったんお開きかな」と言ってる。

「うん。元気でね。あ、ついでに言っとくと式とか一切やらないから。呼ばれてないとかって拗ねるなよ~」

みのりはそう答えて、バシッと僕の肩をぶった。彼女の手が触れた辺りが、じわっとあたたかくなる。人形のように喋っていた僕は、どこかの誰かじゃなくてちゃんと僕だった。消えゆく、彼女の感触。

「痛いなー。ダンナさんにはちゃんと優しくしてやりなよ。とにかく、もう一度おめでとう。また東京で会えて、楽しかったよ。ありがとう」

「ははっ、こんな風にぶつの、カタヤマくんだけだよ。こんな私でも、さすがにダンナにはもうちょっと優しくするよ」

「なんだよそれ、ひでーな」

いつもの調子に戻ってやり合っているうちに、みのりの手の感触は完全に消えた。いつの間にか友情の手触りから変わっていたそれは、間違いなく恋の手触りだった。僕と彼女が、友達だった頃の思い出だけを残し、それは跡形もなく消え去った。

さようなら、みのり。僕にこの気持ちをくれて、ありがとう。

みのりは、よく僕に触れてくる人だった。でももうそれもこれできっと最後だ。これからも、彼女のことを考えるたびに思い出すのは、その手の感触だろう。

(終)

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オラシオ

男と女のABC問題

フリーの若い男女男をめぐるショートショート・シリーズ。さまざまな恋が実ったり破れたり、はたまた生まれもしなかったり。
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