「教える」という行いは、教わる側によってはじめて成立する

最初に書いておきますと、このタイトルはよくある学習根性論的な「教わる側の気合いが足りないから、オレのありがたい教えが伝わらんのだ」みたいなのとは正反対の意味を持っています。

根性論的な何かを察して一瞬拒否反応を示してしまったという方は、あと少しだけお付き合いいただいて、本文をお読みいただければ幸いです。まったく逆の意味ですので。

私はよく、グチと相談の中間にあるような相談事を知人や友人から受けることがあります。

中間にある、というのがけっこう大事な点で、これは要するに「相談のようでいながらも、解答を求めていない」内容のものなんです。

もう少しわかりやすく言うと、こういうことです。「一番の親友」というわけでもない、ただの同僚だったりちょっとした友人だったりでしかない私に、なんでそんな微妙な内容のことをぶつけてみる気になったのか何人かに訊いてみたんですよ。すると返ってきた答えが、

「オラシオさんは、正解を言わないから」

ということでした。要するに、ただ一方的に話を聴いて欲しいだけで、説教して欲しくはないということですね。

私はふだん書いているものも同じスタンスなのですが、基本的に「こうすればいい」とか「それは間違いなのでやめた方がいい」とかいうことを指摘しないことにしているんですよね。それは、日常会話でも変わりません。

相談っていうとある程度具体的な解決法を求めている感じがしますし、グチだともっと気の置けない関係でないとなかなか抵抗がある。そういう時に、私みたいなのらりくらりと話を聴くだけの人間は、都合が良い存在なんだと思います。そういう意味での「都合の良さ」を求めること、また求められることについては、私は否定しませんし、人間なんだからそういうこともあるだろうと思っています。

あと、私は「この人はこういうことを言って欲しいんだろう」ということを忖度して、自分が思ってもいないことを言うっていうのはしないことにしています。その忖度の方向が間違っていたら時にすごく人を傷つけてしまうし、第一なんか傲慢ですよね。それに、思ってもみないことを適当に言うというのは限りなく嘘に近いので、のちのち話の筋を合わせるのも難しい。自分の考えと違うことって、意外と何を言ったかおぼえてないものです

一方で、とりあえず自分の考えていることを伝えるようにもしています。もちろん、その時の「相談者」の様子を見つつ、これは言わないほうがいいのかなとかを考えて言葉を選びながらですが。私の言ったことに対してどう考えるかはその人たちの自由ですけれど、自分がどう考えたかを返すのは、聞き役の私なりの精一杯の誠実な対応なんです。

自分がなぜこのスタイルでいるのかと言うと、やはり天邪鬼な性格がそうさせるのだと思っています。私は基本、人に教わるということがあまり好きでないのです。ただし、それは「人に教わることができない」ということとは根本的に違うとも思っています。

よく「何でも素直に人の言うことを吸収する人は伸びる」とか言いますよね。これを「吸収することができない人は伸びない」という意味に取るなら、確かにそれは正論だと思います。でも、言葉通りの意味だとしたら、ほんとうにそうなんでしょうか?

この「定説」については、疑いたいところが2つあります。

まず1つ目は、よく伸びた人=成功した人のうちの何割かの「人の意見をよく聴く」というメンタリティーの持ち主についてそう言ってるだけで、人の意見をよく聴く人が必ずしもうまくいくというわけでもないのではということです。成功した人の一部に、そういう人もいるというだけのことなのではないかと。

実際、人のアドヴァイスはあまり参考にせず我が道をゆく人だって、素直にものを聴く人と同じくらいの割合で、成功者がいますよね。また、よく人の言うことに耳を傾けはするが、自分というものがなくて、大勢の流れに任せる感じの中途半端なことをしているという人も、たくさんいると思うんです。

2つ目の疑問点はもう少し踏み込んだところにあります。

そもそも「何でも素直に人の言うことを聴く」の「何でも」は、ほんとうに「何でも」なのか?ということです。はっきり言ってしまえば、私はこれまで会ってきたすべての人の中から探しても、「何でも人の言うことを聴いて吸収する」という人を見つけられません。要するに、そんな人はいない。

この「何でも聴いているわけではない」には2つの意味があります。

1つは、表面上は傾聴するふりはしていても、実際には心の中で取り入れるべきものとそうでないものを取捨選択している。まあこれは大人ならけっこう普通の態度だとも思えますが、実は案外そうでもなかったりする。拒否感を露わにして露骨に聴く耳を持たない人って意外と多い。

という社会の中で、どうせ言われたことを内心で取捨選択するならば、とりあえず聴くふりをしておく方が得だと考えて傾聴の姿勢を守る人も当然いるでしょう。これはつまり「何でも素直に言うことを聴く」のではなくて、「素直に言うことを聴く姿勢を見せることができる」という資質で、実際は言うことを素直に聴いているわけではない。いや、聴いてはいるけれどそれを取り入れないということですよね。

つまり、素直に言うことを聴く人は伸びるという定説は、素直に助言に従うということではなく、素直に聴く態勢に入ることができる人を指している可能性が高く、内面はそんなに素直ではないかも知れないわけです。要するに、人当たりの良さが評価対象になっている

さて「何でも聴くわけではない」の2つ目の意味です。

同じ内容で、同じような言葉遣いなのに、言っている人が違うとうまいこと吸収できない、心に入ってこないってこと、ありますよね。私はそれを「教わるスイッチが入っていない」と表現しています。この教わるスイッチが入るかどうかって、結局教える側と教わる側の関係性に影響されるのではないかと思っています。

教わるという状態は、意外と内容が「正解」かどうかではなく、「誰に」教わるかというところが重要なんです。いろいろ自分の中で悩んでいて煮詰まっており、喉から手が出るほどその悩みに対する誰かの反応が欲しい時でも、やはり人は選びます。

正しいことを言っている人が、正しいのにもかかわらずしばし鬱陶しく感じるのは、その人に対して自分の教わるスイッチが入ってないからです。その「正しい人」にとっては、相手のなんか危なっかしい部分とかがよく見えていて、言ってあげたくなるというのも理解できる感情です。ただ、そういう人はなぜか相手の教わるスイッチのオンオフはよく見えなかったりする。伝わらないことに苛立ったりする。

スイッチが入っていない状態の時に何か言われてうまく受け取れなかった人、拒否ったりした人は悪く言われたりすることが多いですけれど、それも微妙に不公平な状況だなと思っていました。狭量なのではなくて、ただ単に、その時教える側に立っていた人とそういう関係ではなかったというだけかも知れないのですから。

私の周りにも何人か、スイッチが入っている状態じゃないのに一方的にいろいろ助言とかしてきて逆に関係が冷えちゃったという人がいます。気にかけてくれるのはありがたいけれども、オンオフを見極めて欲しかったかなというのが本音です。あとあと振り返って、その助言のなかには有効なものもあったなとは思うんです。向こうにしてみたら「あなたの足りないところを教えてあげてるのに、なぜ素直に聴かないんだろう?」って言い分があるんでしょう。

でも、正しいことを言ってるのだからちゃんと受け取らなきゃっていうの、けっこう人間性を無視してて窮屈じゃないですかね? 人は、教わりたいと思った時にはちゃんとスイッチを入れるし、自分から助言を求めたりしますって。

もうひとつ付け加えて言えば、特に関係性を構築していないのに、ふとした弾みで教わるスイッチが入る時もありますよね。ただの知り合いとの他愛もない会話の中に現状打開の糸口を見つけたり、街を歩いていてふと耳に入ってきた何かにインスピレイションをかき立てられたり。

それはきっと、その人が無意識のうちに何かのきっかけを渇望している時にそうなるのだと思っているのですが、その状態は教える側が人為的に作ることができないものだと思います。

私はあまり人に教わることが好きではない天邪鬼ですが、それはスイッチが入っていない状態およびそういう関係の人が多いということであって、素直に助言を求められる相手もちゃんと何人もいます。あと、けっこう「勝手にスイッチオン」状態になっている時があって、何気ないやりとりの中でインスパイアされているパターンも多いんです。

教えるという行いは、教わる側の「この人から」教わりたいという気持ちが前提になってはじめて成立するものです。教える側は、教わる態勢を作ることはできません。

なので「もっと自分は素直になんなきゃいけないんじゃないか」とか「愚直に助言に従わなければダメなんじゃないか」とか自分を責める必要はないと思うんです。あなたが教わるスイッチを入れられる相手は必ずいるし、時々いつもと違う人に対してオンになったりもする。その時あなたは、ちゃんと言うことを聴くはずなんですから。

投げ銭制です。面白かったという方は、ぜひ応援よろしくお願いいたします。いつもありがとうございます。

この続きをみるには

この続き:0文字

「教える」という行いは、教わる側によってはじめて成立する

オラシオ

100円

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

フリーランスのため、みなさまのサポートは取材や執筆活動の貴重な経費とさせていただいております。また、サポートいただくとものすごく励みになります。最高のエネルギーです。よろしくお願いします。

ありがとうございます!SNSでシェアしていただけるとさらに嬉しいです!
22

オラシオ

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。