オトコ/オンナは「ジャンル分け」

キレイになったら、食べちゃうぞ

少し前に私用で上京した時、彼女と一緒に山手線に乗っていたらエステか何かの車内広告でこんな言葉を目にしました。

写真は王子様が眠れる美女を抱き起こして見つめ合う風の衣装と設定になっていました。東京にお住まいの方なら「ああ、あの広告か」とおわかりかもしれませんね。でもまあ、私たちにとってはそれがはじめて目にする機会だったんです。

「これさあ、キレイにならなけりゃ食べたくないってことかなあ。なんつーか・・・」

と私がお決まりのフェミ的ツッコミを入れてたら彼女が思いもよらないことを言ったんですね。

「でもこれって、女の子の方が『私がキレイになったら、あなたを食べちゃうぞ』と言ってる風にも解釈できるよね(笑)」

人は無意識のうちに、自分の立ち位置や目の前で起こっている何かをシンプルに区分けしてしまう習性があります。

このエステの広告の場合は、私はこの言葉の主語は王子だと思ったし、彼女はひねくれ者なので美女が主語もありえると考えたわけです。そして実際、柔軟で多様性のあるこの世界では、それが普通に起こりえますよね。キレイになって捕食準備完了になった女性が、お目当ての男性をいただいてしまう。このCMをもしテレビで見たなら、言ってるのが王子か美女かすぐわかるので、こういう分かれ方はしなかったはずです。

私はこの時、自分の凡庸で頭の固い先入観を残念に思いました。と言うのも、昔やっていたブログで私はある実験をやっていたからです。

そのブログは基本的にポーランドのジャズを紹介するという変なネタのもので、もちろんメインのテーマはそれだったのですが、個人的に文体の実験の場でもありました。その実験とは、

男とも女ともとれるような文体にする(でも嘘はつかない)

ということでした。これは男性が女性を装うネカマとかその逆の僕っ娘系ではありません。文字通り、どちらともとれるけど確証は得られない文章ということです。

もともとジェンダーに対する自分のスタンスがフラットでニュートラルなほうだと自覚していましたし、ブログをはじめた頃斎藤美奈子さんの『男性誌探訪』という本を読んで衝撃を受け、そっち系の本をけっこうたくさん読みはじめていた影響もあったかと思います。

嘘を混ぜると何でもありになってつまんないので、自分の「書けること」のなかで男女どちらが主語かわからない話題だけを選び、一人称は「私」にし、彼女のことは「相方」と呼ぶ。都合の良いことに、彼女は私のことを「君」と呼ぶので彼女が私に向かって話す言葉を入れる時に嘘をつかずにすみます。

そうやってジェンダーやセックス(生物的性別)の匂いを極力消しても、読み手はどうしても主語を男か女かに無意識に分けてしまうのです。この文体実験では、文章修行の意味合いもありましたが、その結果がどう出るのかという楽しみもありました。実際、私のことを女性だと思っている方もけっこうな割合でいらっしゃいましたよ(笑)。

それも別に私が「女性だと思われるように誘導」したわけではなくて、その方たちがごく自然にそう思ってしまったということです。面白いですよね。

こういうのって、他にもいろいろありませんでしょうか。

例えば、国会議員の中の人とか乙武クンの中の人とかベッキーとゲスの中の人とかファンキー加藤の中の人の不倫ネタがひところ盛り上がりましたけど、不倫という行いの是非より私が気になったのは、そのニュースに触れた人が自然に「自分にパートナーがいるのに恋愛した人」「恋愛の相手にパートナーがいる人」「自分のパートナーに隠れて恋愛されていた人」の3つのジャンルに分かれて感情移入してしまうことのほうでした。

そして、これらの問題について語る時、そのうちのどれか一つの立場に自分をおいて、そのジャンルを主語として話すわけです。

「男は奥さんだけじゃ我慢できないんだしまあいいじゃん」
「奥さん(あるいは旦那さん)がいるのは知っていたけど、好きになってしまったのは運命。しょうがない」
「ずっと信じていたのに。もう人間が信じられない」

とかいう風に。そして、複数の主語を掛け持ちする人は滅多にいません。もちろん、事例ごとにその主語が替わる場合もあります。私はベッキーさんとゲスの人の時はベッキー側のことを考えましたし、乙武クンの時は彼の奥様のことを考えました。

こういうのって、音楽の世界にもすごく通じる部分があります。ある程度の音楽のファンだったら、何かの音楽を聴いた時、自然に「ジャンル分け」しようとする傾向があります。また実際、フィジカルでもウェブでもとにかくショップに行くと、たくさんの音楽がざっくりとジャンル分けされています。

今って、ほんとうに音楽の種類が多種多様になっていますから、昔言われていた以上に「ジャンル分けなんてつまらない」とか「無意味だ」という言葉が説得力を持っているはずなのですが、それでも人は無意識に分けてしまうんです。そうした方が安心と言うか安定感みたいなものを感じるからなのか何なのか、理由はよくわかりませんけれど。

ともかく、ある人にとってはロバート・グラスパーがジャズに聞こえたりヒップホップに聞こえたり、R&Bに聞こえたりさまざまなんですよね。どんなに「分けられない」音楽を創り手が目指しても、きっと人は無意識に分けてしまうんです。

実際は、そうやって分けてみたところで対象そのものの性質が変わるわけではありません。そこにあるもの自体はなにも変わらない。むしろ変わるのは、自分にとってのそれの「見え方」なのでしょう。不倫ネタが人にとっていろんな見え方をするのと同じです。

そしてそれは、世の中のあらゆるものごとの主語を男か女かに分けるということにも通じますよね。エステの広告の惹句が良い例です。私と彼女では、同じ言葉と写真の向こうに違う世界が見えていたというわけ。もっと極端に言ってしまうと、

そのものごとの主語は、受け手が決める

ということになるのではないかと思います。

私は時々性暴力犯罪や痴漢問題について書くことがあるのですけれど、極力「被害者」側に立って書くよう努力しているつもりなのですが、無意識に男性(加害者がいる割合が高い層)の目線からの発想になってしまっていることもあります。

例えば、私のごく親しい友人の女性に「男性とふたりきりでは絶対にエレベーターに乗らない。そうなりそうな場合は次のを待つ」と言う人がいます。そこまで緊張感を持って生きていることに気の毒に感じることはあっても、正直自分の皮膚感覚としてほんとうに共感できているかと詰め寄られたら「できていないと思う」と答えるしかないです。

この友人の発言を先日ツイートしたところものすごくRTされたんです。きっと共感する女性が多かったんでしょうね。

でも「男はそんな感覚もわからないのか」と感じた人もいれば「なんで女性側だけがそんなに努力しないといけないの?」と思う人もいる。「気を使いすぎじゃないのかなあ、男の全員がレイプ魔じゃないんだし。ちなみにオレも違うよ」と感じる男性もいるでしょう。

読んだ人が自分をどう「ジャンル分け」するかで、このツイートの意味するニュアンスもだいぶ変わってきますよね。必ずしも共感の気持ちだけでRTした人ばかりではなかったと思います。

性犯罪トピックにおける「主語」問題はほんとうに複雑なのですが、個人的には男性/女性のジャンル分けから加害者/被害者へとシフトチェンジした方がいいと考えています。

でも、男女の中にも被害経験がある人とない人でまた分かれますし、被害経験を持つ人の中で、上の友人のように「自衛しなくちゃいけない」と考えたり発言したりすることに対して肯定する人と否定する人に分かれることもあります。その男性に被害経験があろうがなかろうが、男性が被害者側に立って性犯罪を語ること自体を良しとしない女性もいますし。

さて、性と主語のトピックでその多様性と難しさについて語るならばLGBTは避けては通ることのできない話題ですよね。

レズ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーのそれぞれの頭文字をとってこのカテゴライズが命名されていることは、有名人をはじめとした数多くの人がSNSのアイコンをレインボーフラッグに倣って虹色にしたり、LGBTをテーマにした映画祭などの企画などで広く知られるようになってきています。

みなさんの周りにもその4つのうちのどれかだとカムアウトしている知人がけっこういらっしゃるのではないでしょうか。

とは言え、その「4つ」の区分けもそもそもかんたんに説明する用のジャンル分けに過ぎないと思いますし、現実はもっとゆるやかで複雑でしょう。

私が今のところ気になっているのは、例えば「体は男で、心は女」というような説明がなされる場合、その「心は女」というのはなぜ女性にジャンル分けされたのだろうかというところですね。

その理由が「男性が好きだし、女の子のファッションがしたいから」みたいな感じで言われることも多く、本人もそのような説明を使っていたりします。(えっと、一応もっと細かい例については割愛していますので悪しからず)

ですが、同性が好きな男性もいますし、男性が好きな人イコール女性ではないのはもう世の中の常識となりはじめています。またファッションが性別を規定しないのではないかという話もありますし、そもそもスカートなど「女の子っぽい」ものが女性特有のものだというのは女性らしさをそういうものに求めるというスタンスの人たちが言っていることにすぎないですよね。

つまり「心は女」と言う場合、世の中で「女性らしい」とされている部分をその人が内面に持っているという理由でそう言っているわけです。でも、LGBTの社会運動って、そもそも世の中がそのようにかんたんに男・女でジャンル分けすることに対して「そうじゃない。もっと多様なものだ」と言っている部分もあるので「体は男で、心は女」という当事者の説明に触れるたび、ちょっとよくわからなくなるんです。

そこで言う「女」は、これまで社会がジェンダーの固定的な枠組みの中で語ってきた「女」だからです。それはむしろ当事者にとって、否定したい分け方なのかなと思うんですよね。「心は女」の根拠にならないんじゃないのかと。

と言っても、別に批判したいのではなく、将来的にはそのような説明さえもが必要ない世の中になって欲しいなと思っているんです。何が男か、何が女か、そのうちのどちらがどれくらいの割合でそれぞれ自分の中にあるか、人それぞれで、わざわざジャンル分けする必要のない世界。

そういう世界になると、今度はそれはそれでまた違うジャンル分けが自然にできるんでしょうけれどね(笑)

とりあえず、今のところ世界で最大のジャンルは「男と女」なのは間違いなさそうです。ジャンル分けは半ば無意識なものですから、完全に脱することはたぶんできないと思うのですが、その無意識さについてちょっと想像してみたら、もっと世の中が豊かに見えてくるのではないかと、私は思っています。

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オラシオ

お題企画(2016)

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コメント3件

興味深かったです。
心は女…のくだり、確かに!そこまで考えたが及ばなかった!と目から鱗でした。

ジャンル分けは特に上の立場の人が下の立場の人を扱い易くする為にあるってのは、一つあるんじゃないか?と思ってます。
嫌な言い方をするならば支配し易くしている。みたいな。

私も多様化を望みます。
らしさ が性別じゃなく個人にあるようになって欲しい。
もっといえば個人の らしさ が日々変わりゆくものであって欲しい。色んな人に出逢って色んな考えを知って色んな意見の中で なびきながら生きていけば良いと思うんです。それが自然にだと思う。
ごめんなさい 自然に の 「に」は誤字です。
ありがとうございます。心は女(あるいは男)は、ややこしい問題を取り扱っているはずなのに、妙にわかりやすくて、その説明は特に当事者の方がしっくりきているのかなあと疑問に感じていました。
まあほんと、男とか女とか精神的な部分は混ざり合っているので、自称しなくても良い社会になればいいなと思います。
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