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デュアラー型受注ライターのリアル

今日、地方自治体から依頼された仕事をひとつ完了させた。ローカルで仕事する時には、いつも以上にいろいろなことを考える。

最近、地方と都心の二つ(以上)の街を生活拠点にする「デュアラー」というライフスタイルが話題だ。

こういう新しいライフスタイルが流行る時ってすごくキラキラした部分が前面に押し出てくるから若干割引いて見たほうがいいと思うのだけど、やっぱり気になるのは経済的なトピックだろう。

デュアラー体制を日常に導入した人(あるいは世帯)の全収入がいくらで、デュアラーすることによる支出がどれくらいか具体的にわからなければ、ほんとうに「自分も」できることなのかどうかは判断しようがない。

しかし意外とその一番大事な点は詳細に語られることはあまりない。たぶん、ある程度シュアな収入をキープできている人たちだけが踏み込める領域なのかなって気もする。その部分をぼんやりさせないと「みんなが乗っかれるスタイル」というイメージを打ち出せないのだろう。

地方に住んでみるとわかるけど、意外と地方は地方でお金がかかるし、第一違う国でもないんだし、都会の人が幻想を抱くほど物価は安くない。確かに家賃とか地物野菜とかは少し安い。でもその他は同じ日本だから生活費は実はそんなに変わらない。

「いや、でもデュアラーは毎日じゃなくてほんの一部を地方で暮らすだけだから」ってツッコミもあると思う。うーん、まあそうなのかもしれない。でも、デュアラーがほんとうに「みんな」が乗っかれるものなのかどうかのジャッジは、あと何年かしないとできない気がする。

だって、一時的に楽しんで2年ももたなかった、では「ライフ」スタイルとしては定着できていないということになるんだし。数年続いた実例が「たくさん」なければ、評価は難しい。

デュアラーが成立するかどうかの一つのポイントは「地方でも仕事ができるかどうか」だと思う。この「地方でも」という限定条件は、実はダブルミーニングだ。みなさんはどう捉えただろうか。僕のやっているライターという職業を例に挙げて、その二重の意味を考えてみたい。

一つ目の意味は「ライターのような仕事をやっている人は地方ではまだ少ないから、競争の激し過ぎる東京や都会よりも仕事をもらえる確率が上がる」という意味での「地方でも」だ。実力が超一流でない野球選手が、レギュラーを勝ち取るために万年Bクラスのチームに行くことを選ぶようなものだろうか。

少年マンガ的なひたすら「とにかく挑戦して、勝ちに行くぞ」というスピリッツとスポーツを結び付けて見てしまう人たちからすれば後ろ向きな姿勢に映るかもしれないが、この選択は全然アリだろう。実際に活躍できる場が目の前になければ、「(キャリアをほとんど重ねていない)自称プロ」と「プロ」の差は永遠に埋まらない。逆に言うと、場を与えられすれば活躍できるという自信の裏返しとも言える。

「地方でも」のもう一つの意味は、文字通り「どこでもできる職種」ということだ。ライターって、打ち合わせも原稿のやりとりもネットを介してできるし、パソコンがあれば書くのはどんな場所でも構わない。ライターに限らず、そういう「場所を選ばない」仕事は増えてきているように思う。

一つ目の意味だと、どちらかと言うと「移住先のローカルメディアで仕事を獲得する」ということになる。二つ目の意味だと「クライアントが東京でも構わない。住んでいる場所が地方でも、仕事は東京からもらう」という感じだろうか。

僕は今プロデビューしてから9年目で、一つの目安にしている「10年続ける」という段階まであともう一歩のところにいる。青森市に住む僕がデビュー当初から考えていたのは、上で説明した「地方でも」のダブルミーニングは片方だけに寄ってはいけない、ということだ。

つまり、地元からも東京からも両方仕事を受けることが大事だということ。デビューした頃はデュアラーなんて言葉はなかったけれど、これは言うなれば内外から仕事を受ける「デュアラー型受注」ということになるだろうか。

ポーランドのジャズ専門という、世界的に見ても(?)特殊なスタンスは東京向けにアピールできるブランディング・ポイントだけど、逆にローカルに対しては「青森と何の関係もない」と一蹴される。その一方で、よその出身なのにわざわざ移住してきたということや、青森ではほんとうに数少ないフリーランスのプロライターという肩書きはローカルで歓迎される。

その両方のバランスを取りながら、ローカルと東京の双方からクライアントを獲得する。そういう理想が自分の中に確かにある。どちらかに偏ると、やがて頭打ちしてしまう危険があるんじゃないか。

さて、デュアラーを目指す(あるいはもう実践に移している)ライターさんの考えていることなどをウェブ記事とかでちらほら拝見するのだけど、ちょっと引っかかっているのは「東京でキャリアを積んで、環境の良い地方へ移住して心地良くやっていく」みたいな部分。

これは「地方でも」ダブルミーニングの二番目のほうの意味で「東京の仕事を地方で獲る」なんだけど、僕が実践していることとはちょっと違うのだ。なぜかと言うと、ここで言われているデュアラー成立の条件に「まず東京で足場を固める」が欠かせないからだ。

もちろん、この選択も全然アリだ。それで自分の人生がより充実し、楽しくやっていけるのならば、誰も文句を言う筋合いはない。ただ一方で、このことは一つの厳しい現実を示してもいる。それは、

地方在住の状態でライター業をスタートしても、ほとんど続かない

ということなのではないかと思う。最初に東京でクライアントを確保しておくというスタートを切ってから地方に移住というプロセスを踏むのでなければ、仕事を続けるのは難しい。つまり移住者がローカルで継続的にライタージョブを獲得するのは基本的に無理だという割り切り。

もう一つ、シングル拠点からデュアラーへのベクトルの問題もある。デュアラーって、基本的に「都会の人が、地方にも拠点を作る」なのだ。その逆の「地方の人が都会にも」というのは割合的に少ない気がする。前者と後者では家賃の問題が立ちはだかって、かかる初期費用が全然違ってくる。

もともとローカル仕事のギャラが高くはないこと、つまりデュアラー体制移行のための資金固めのペースも都会の人より遅いことなども考え合わせると、地方在住者が都会にも拠点を増やすというのはまだまだかなりハードルが高いのではないだろうか。

デュアラーという人生の選択肢は、そもそも都会の人向けのものなのかなという気がしないでもない。けっきょく選択肢が多いのは都会ということなんだろうか。

僕は、青森市在住の状態でプロのキャリアをはじめたので、こうしたリアルがすごく理解できる。個人的に、地方に住む同業者が増えるのはとても嬉しいし、地方ってなかなかフレッシュな空気が入れられないところがあるので、もっといろんな人が参入して来れば面白いのにといつも思っている。

一方で、地方在住というところからスタートしてライター業を続けていくという意味での「ほんとうの仲間」はいつまでも増えないなというジレンマもある。増えるのは常に「東京でライター修行して人脈キープして、住みやすい地方に来ました」という人ばかり。

その差は、「同じライター」という視線を向ければ全然ないように見えるだろうけど、地方でデビューした僕にとってはものすごい落差なのだ。そして、その差を共感してくれる人はほぼいない。まあ、異端の者は仲間を求めても得られないってことなのかもしれないけれど。

うん、まあ仕事に追われていればそのクライアントが東京かローカルかなんてどうでも良くなってしまうような気がするし、けっきょくのところそれほど忙しくないからつらつら考えてしまうのかもしれない。

ただ、せっかく地方在住というところからキャリアをスタートさせた珍しい立ち位置にいるので、ローカルと東京の仕事をバランス良くやるとか、デュアラー型受注におけるローカルワークの意味合いとかについては、引き続き考え続けたいなと思っている。

僕は青森市暮らしにかなり満足していて、ライターとしてのすべてを地方在住という生活環境に負っているから、自分の「書く」というスキルを使ってこの街に何がしかの形で恩返ししたいのだと思う。

ローカル在住のライターのデビューがもっと増えればいいのになあ。そういう時代は、どうしたらやってくるのだろう。

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ライター、コラムニスト。青森市在住。陸奥新報で「図書館ウォーカー」連載中。『中央ヨーロッパ現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド』監修。コンピCD『ポーランド・ピアニズム』『ポーランド・リリシズム』選曲・解説。ご依頼はaladyhasnoname@yahoo.co.jp
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