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文学的イマジネーションにあふれる、夜の静寂のための音楽 横山起朗『SHE WAS THE SEA』に寄せて(文:オラシオ)

横山起朗の音楽について書く前にまず、個人的な思い出をつづりたい。彼とはじめて出会ったのは2014 年のこと。場所はポーランドの首都ワルシャワの郵便局だ。きっかけは全くの偶然で、小包の発送のやり方がわからず英語が話せそうな人を探したら、目の前の椅子に日本語で手紙を書く横山がいた。

礼儀正しい好青年といった感じの彼は郵便局のシステムについて丁寧に説明してくれ、自分もワルシャワのポーランド国立ショパン音楽大学に音楽留学に来たばかりなのだと言った。その時は数分ほど立ち話をしただけで別れたが、作曲もするし、近いうちに音楽雑誌にエッセイを連載するはずと話した彼のことは、のちに縁があって再会するまでずっと頭の隅にあった。

今思い返せば、この出会いの記憶は彼の音楽の魅力をそのまま表しているようにも思える。物腰やわらかく朴訥でさわやかな印象の中に、きらりと光る才能の結晶とほんの少しの反骨精神が見え隠れする。自己主張が強いわけではないのに、忘れがたい何かがある。

そして何より、偶然の出合いという舞台がよく似合う余韻に満ちた味わい。あえて言うならそんな音楽なのだ。そして彼本人の魅力でもある。本作『SHE WAS THE SEA』を聴いた人は、僕が彼と出会った思い出のような心地良い後味を体験できるはずだ。

横山起朗は、ポーランドへの音楽留学経験を持ち現在は東京、ワルシャワ、そして故郷の宮崎の3都市を拠点に活躍するという、一風変わったキャリアを持つコンポーザー・ピアニストだ。基本的にピアノ・ソロを中心に音楽を創っている。ただしピアニストとしての横山は、決して個性豊かなタイプではないと思う。

華麗なテクニックで装飾を施す技巧派や、ピアノという楽器からありとあらゆる可能性を引き出そうと試みる実験精神旺盛なプレイヤーとは対極のところにいる。メロディやハーモニーを独り言みたいにじっくり爪弾くスタイルは、素朴とさえ言ってしまってもいいシンプルさだ。

<薄闇のなか鍵盤を探り、紡ぎ出される物語>

セカンドにして初のレーベル・ディストリビューションとなった本作では、そんな彼の演奏スタンスをさらに突き詰めた録音方法が採られている。収録1000 人ほどの規模の音楽ホールを貸し切り、ほとんどの照明を落とした中、手探りでピアノを弾いている。収録もたった1日で終えたそうだ。薄闇のなかで彼の指が鍵盤を探っている間、聴き手は息をひそめて次の音に向かう余韻を味わう。

愛聴しているピアニストにニルス・フラームジャン=フィリップ・コラール・ネヴンチリー・ゴンザレスなどを挙げる横山だが、彼らのピアニズムからさらにピュアネスを抽出したような演奏が、彼の持ち味だ。彼が留学した国ポーランドの代表的なピアニスト、スワヴェク・ヤスクウケの一連のピアノ・ソロ・アルバムに想いを馳せてもらってもいい。特に、一昨年ヤスクウケが日本のTHE PIANO ERA で披露した演奏と本作の間に通底するスピリットを感じる人は多いだろう。

音楽家としての横山の本分は、ピアノよりもむしろ、文学性にあふれたそのコンポジションにある。本作では彼自身が夜に聴きたい音楽をということで、全ての曲が夜に作曲された。ポーランド語でその「夜」を意味するnoc からはじまりラスト手前のタイトル曲にいたる流れは、かつて彼が体験した恋愛がやがて終わりを告げるまでをピアノでつづった、1篇の私小説としてのコンセプトを持っている。

タイトル曲には「もし誰かと別れたならば、その人はいなくなったのではなく、遠く離れた海としてどこまでも続いていると考えるのもいい」という意味が込められているそうだ。

アルバムより「noc」↓

アルバムより「she was the sea」↓

横山の作曲における文学的なイマジネーションが特に発揮されたのが「curtain」と名付けられた3曲だ。ここで彼は、同じ和音をひたすら繰り返し鳴らすだけ。カーテンが風に揺れつつも部屋に留まり続けるように、この曲のコードもすべて同じ音で構成されながら、それぞれの残響が少しずつ違っている。

この3曲には聴き手の中に眠っていた記憶を揺さぶり起こすような不思議な効果がある。録音スタッフは「この素材をどう使うんだ?」と困惑したというが、こうした余白的なトラックにも文学的な背景を設定してサウンドに深い奥行きが生まれているのが彼の音楽の特徴だろう。

そのコンポジションの中に息づく豊かなストーリーは、プロの文筆家としても活躍する彼のマルチタスクな才能によって裏打ちされている。以前はコラムニストの親戚が発行するメールマガジンで短編小説を連載していたそうだし、雑誌や新聞などの紙媒体、Web などメディアの形を問わずエッセイや小説の執筆を重ねている。

ここ最近の日本では、文筆家としての優れた能力を併せ持つ音楽家が多く輩出されているが、横山も間違いなくその一人だ。彼はむしろ、文筆家としての視点から音楽を創っているのかもしれない。

<優れた才能との出会いから広がる、『SHE WAS THE SEA』の海原>

記念すべきファーストとなった前作『Solo Piano 01:61』(2016 年、自主制作)には、そんな彼の多才さがほぼすべて詰め込まれている。全曲が彼のオリジナル(または完全即興)で、各コンポジションには書き下ろしのショートショート小説がつく。音と言葉のコラボレーションに対してさらなるイマジネーションをかき立てるジャケ内写真の数々も彼自身の手によるものだ。

タイトル中の数字の意味は「聴く人の生きる時間をいただくのが音楽を聴くという行為。だったら聴いた後に、減るのではなくほんの1秒だけでも時間が増えるような音楽にしたい」というコンセプトから来たものらしい。

ファーストで一人何役も演じた横山のマルチな感性は、セカンドの本作では各分野の優れた才能とのコラボレーションとして大きく結実した。詩的なジャケット、限定生産となる特製ボックスのデザイン、そして収められた写真は、フォトグラファーでWebデザイナーの山口明宏によるもの。

そして唯一のヴォーカル曲でもあるラスト・ナンバー「umi」では、女性9人による聖歌隊CANTUS や即興的ヴォーカル・プロジェクトuta など多彩に活躍する太田美帆との共演と歌詞共作。二人とも作曲家・ピアニストharuka nakamura との仕事でも広く知られ、すでに横山とも何度もコラボし気心が知れた仲だ。

<限定生産の特製ボックス仕様の『SHE WAS THE SEA』。2 枚の写真が同封されており、今後開催されるライブでは同じ仕様の写真が限定で配布され、その人だけの『SHE WAS THE SEA』として完成するという(撮影:山口明宏)>

才能豊かなアーティストたちの協力を得ることで、横山の音楽における文学性はさらに深まったように思える。1曲ごとの個性が光り、ベスト・アルバム的な趣きがあったファーストにくらべ、全体的に曲が短くなりメロディも抽象度が増している。聴き手の感性に委ねられる部分が増えた分、想像し感じとることができるストーリーも濃厚になった。

主役から脚本まで何でも自分でこなしていたインディー出身の映画監督が、メジャーと契約後実力派スタッフに恵まれて監督業に専念し、さらなる傑作を作り出すような感じだろうか。また本作とは別に、気鋭の詩人菅原敏とのコラボレーションでも知られており、言葉や映像とのつながりを生む横山の音楽は、今もゆるやかに深化を続けている。

最後に「umi」の歌詞全文を載せて締めくくりたい。ラスト手前のタイトル曲で夜の海にたどり着いた聴き手は、太田の透き通ったヴォイスとピュアな横山のピアノに見送られて、想像上の海からゆっくりと離れていく。その余韻に、横山の音楽の魅力が凝縮されている。

umi
作曲:横山起朗
作詞:横山起朗、太田美帆(「声よおいで」から太田)

君は霧と
夜を声に
君は百合を
口に添わせて眠る
君も永遠を乞う
壊れ人
一夜の月橋を
いつか渡河の鳥
止まれ時の
二人の裸(ら)にとまれ
声よおいで
私はあなたに
全て捧げ
道を歩んでたいの
行きましょう一緒に
真っ白い
愛の羽音を聞く
どこまで行けるか
見えなくとも
窓に映るは海

「SHE WAS THE SEA」trailer(制作:山口明宏)↓

発売元インパートメントの「SHE WAS THE SEA」紹介ページ↓
(本日4/19発売)

横山起朗オフィシャル・ウェブサイト↓

横山が主宰するレーベル「IS QUIET」のウェブサイト↓
"目を閉じて、身を委ねることのできる、静かで暖かい音楽を届けることを
コンセプトに、ライブの企画やCD制作を行うレーベル"
本作リリースパーティー(5/18)情報と予約フォームもサイト内に掲載


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