駅と街、そして靴と足

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プラットフォームに散った落ち葉が、レールを横断して吹くそよ風に揺られ、僕の歩みの底に潜り込む。
踏みしめると、茶色い葉がつぶれる乾いた音がした。
そう言えば、靴擦れの痕がもうなくなっているな、気がついたら。
新しい靴が、やっと僕の足に寄り添ってくれた。


「通学に利用する女子高生たったひとりのために廃止をやめた駅」

今年の3月、春の鉄道ダイヤ改正時にひときわ話題になったトピックがこれでした。

くだんの駅はJR北海道石北本線「旧白滝」駅。3月26日のダイヤ改正で、その高校生の卒業を受け、廃駅となりました。

参考記事↓
卒業式へ最後の通学 旧白滝駅利用、唯一の乗客
http://www.sankei.com/photo/daily/news/160301/dly1603010026-n1.html

先日仕事の合間にぼけーっとテレビを見ていたら、この駅が廃駅になるまでの日々を取材したドキュメンタリー番組の再放送があり、驚きの事実を知りました。

旧白滝駅の駅舎は、周辺地域の住民が自分たちで建てたものだというのです。ということは、ここに駅があることを希望する人たちがそれだけたくさんいて、その人たちは駅周辺に街を形作っていたのでしょう。この土地に、そういう時代があったということの証明なわけですね。

*石北本線については、ぜひ渡辺一史『北の無人駅から』をお読みください。いわゆる鉄ちゃん本ではなくて、北海道の近現代史と鉄道の関係を駅という存在を起点に綴った本です。他にもいろんな路線が登場します。傑作!

さて、駅と街との関係を想う時、私はいつも「どちらが先だったんだろう」と考えるのです。というのも以前読んだ本で、阪急東宝グループの創業者、小林一三の考え出したプランを知ったからです。

ごくかんたんにまとめると、小林が興した阪急電鉄はもともと街があるところに駅を配してそれを渡り歩くように路線を引くのではなく、先に鉄道と駅を作って、その駅前地点を中心に街を開発して行くのです。

このやり方は例えば東京方面の西武鉄道なども手本にしていて、私鉄経営のロールモデルと言われているそうです。面白いですね。

かと思えば、駅自体は大きいのに繁華街や街の中心地はそこから離れたところにあるという場合も散見されます。地方都市によくあるパターンですね。例えばJR八戸線の本八戸駅とか、駅前はほとんど何もなくて、中心街に行くには歩いて10数分かかります。そもそもこの駅自体が、2駅離れた新幹線発着駅でもある八戸駅からそれなりに距離があります。青い森鉄道の三沢駅も街の中心部に行くにはバスで10分くらい乗らなくてはいけません。なぜそこに駅ができたのだろう?とかいろいろ考えてしまいます。

*この辺の話題は、鉄道大好きの政治学者、原武史の諸作に詳しいです

何はともあれ、駅前って、その地域の日常が感じられるので私は好きです。知らない地方に旅をして、電車の乗り換え時間が20分でもあれば、必ずさくっと駅前散歩をするようにしています。

さて、駅と街との関係を想う時、私の頭の中になぜかいつも浮かんでしまうものがあります。それは靴です。

新しい靴を履くと、靴擦れを起こすことが多いですよね。ほんとに痛いし、この靴を手なずけることができるんだろうか、ひょっとして合わないのを買ってしまったんじゃないかって不安になるわけです。

一方で、靴を履いて歩くってものすごく負荷がかかっていて、靴にとっては巨大な力にいつもドシンドシンと押さえつけられている感じなんですよね。

これは要するに靴と足のせめぎ合いなのです。

そうやって何日も履いていると、やがてあんなに痛かったはずの靴擦れもなくなり、気がつくとその靴が日常の一部になっている。常識的に考えて、絶えまぬ足からの圧力に靴が屈服して(笑)、その形を足になじむように微妙に変化させたと理解するのが正しいのでしょうが、果たしてほんとうに足自体は形が変わっていないのか?

新品の靴が足に合わなくてかかとや指に傷を負わせてしまうのは、ミリやコンマ・ミリ単位のミスフィットが原因なのでしょうが、ひょっとしたら足の方も靴に合わせてもっと微妙なレベルでその形を変えているのかもしれません。

この靴と足との関係性は、どことなく駅とその周辺の街とのそれを連想させるんです。

例えば旧白滝駅のような超ローカルの駅があったとして、そのローカルさは、もともと人があまりいないところに駅を建てたからなのか、だんだんその地域に人がいなくなって生まれたものなのか。両者の関係は建てた時から歴史を重ね、だいぶ変わっているはずなのですが、その変遷は今この時を見るだけではなかなかうかがいしれない

これって靴擦れが治った後の靴と足の関係が、どちらが歩み寄っての結果なのかわからないのと似ているような気がします。

旧白滝駅を利用していた女子高生も、駅までお母さんの車で送ってもらっていたので駅前には住んでいないのでしょう。周辺集落にはもう30数人しか住んでいないと番組では言ってました。

そして、駅が廃駅になったことでまたゆるやかにこの集落のありかたも変わっていく。ずっと履いていた靴がダメになったとか、足を怪我して違う形の靴しか履けなくなったとかに例えられるでしょうか。

駅と街にも、そして靴と足にも歴史あり。だけれど、その歴史は一目でわかるものじゃない。だからこそ、歴史は重く尊い。それは長年寄り添った夫婦や恋人たちの関係にも言えるでしょうし、考え出すとなかなか深いですね。


おまけ1

蛇足ですが、むりやりこじつけるとこのコラムのテーマにずばりフィットしていると思われる内容のミステリ小説を思い出しました。

クレイトン・ロースンの短編『この世の外から』です。創元推理文庫のオムニバス『魔術ミステリ傑作選』に収録されています。

何がフィットしているのかは、勘の良い人だとトリックがわかってしまうと思うのでここには書きません。個人的にも読んで「なるほど!」と叫んでしまった作品です。今は絶版みたいなので、ぜひ図書館で探してみてください。そして、私と同じ驚きを体感するとともに「なるほど、オラシオの言ってたのはこういうことか」と私の牽強付会ぶり感心してください(笑)

おまけ2

今聴いていただいている音楽は、ポーランドのピアノ・トリオ「マルチン・ヴァシレフスキ・トリオ」『Faithfull』というアルバムに収録されています。このアルバムはあの3.11の後に私が最初に聴いた音楽で、この曲にはほんとうに感動し、震えました。

この曲に敬意を表し、私は勝手に「君のもとへ、夜汽車が」という邦題をつけたんですよ(笑)。いつかそういうタイトルの短編小説を書いてみたいとも思っています。

そしてもうひとつ目標を。鉄道旅をテーマにしたコンピCDを監修選曲して出したいと思っているのですが、この曲は絶対に入れます。『Faithfull』はアルバムを通して大傑作なので、みなさんもぜひ旅のお供にどうぞ!


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