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蘇りの旅 ひとは何故熊野を目指すのか 前編

久しぶりのUpとなってしまいました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は身辺に大きな変化がありまして、お笑いの現場を卒業し、そことはある意味真逆な部署に人事異動があったのでした。
「急で意に沿わない人事異動は親族の死に匹敵するストレス」なのだそうだ。
そりゃあ大変だ。
こうしたときに先輩方はどう対処してきたのであろうか。
「ひたすら人に会い気持ちを喋り続ける」
ということがいいというアドバイスをもらったのだが、わたしにはどうもしっくりこない…
そこで、わたしが考えたのは
「全く違う人間として生きる」
ということであった。
いままで「今夜は最高」に始まり、「スーパージョッキー」でガンバルマンで酷いことを沢山し、熱湯 CMを創り上げ、「元気が出るTV」でダンス甲子園の時代を生き。その後「笑ってよろしく」「笑ってコラえて」を経て「ぐるぐるナインティナイン」を20年以上演出してきた。
最初はその自分が完全に否定されたような気持ちになり、だよ〜んとなってしまったのだった。
ところが自然界と響き合うことを常日頃しているせいか、すぐに「あっ。自分自身であることにはなにもかわらないじゃないか。別のストーリーを生きるだけなんだ」という結論に早々にスイッチしたのであった。

つまり単純でバカなのです。おほほほ。

ということで30年近く有休なんて取ったことも無かったので、早速約10日間の休みを頂いて、行ってきました。

蘇りの地 熊野。

まずは一路大斎原へ。

ここは川を挟んでこちら側はこの世あちら側はあの世と言う風に昔の方々は考えた場所だ。

生まれ変わるために相応しい場所では無いか。

大斎原で家津御子さまにまずはご挨拶。

法螺貝・勤行・能管奏上

大斎原はご存じかと思いますが、もともと熊野本宮があった聖地。上から見るとその形は勾玉のようでもあり、一箇所そこだけ立つと足の裏がじんじんするようなスポットもある。

そして川へ。生まれかわるには禊ぎせねばなるまい。
水は冷たいが陽射しは暖かい。
あの世に向かって法螺を立て、祈り、川に入る。
小魚が集まってきて足をつつく。

法螺貝も禊ぎして気持ちよさそうである。

わたしの禊ぎはポリネシアの影響が濃い。
赤褌を締め込んで川に浸かっているのだが、時折散策する方がじいっと観ておられたりもする。お騒がせして大変申し訳ありません。

川を法螺貝を立てながら渉る。つるつるの石を踏んでこける。を繰り返しながらあの世に行って帰って来るということを真剣に行ったわたしだ。

するとなんだかとてもさっぱりしてしまったのであった。元々番組を創ってない日本テレビ社員として、番組のコンプライアンスや考査を司っていく人格に乗り変わったような気がしたのだった。

つまりこれはタイムワープではないか。

30年以上の歴史が書き換わってしまったかのような感覚を感じたわたしだ。こうなりゃ髪型は七三だ。カチッとしたスーツを着て黒縁のめがねをかけ、会社に行くわたしが目に浮かんだ。実際にはそうしないけど気持ちの問題だ。気持ちの中のわたしは七三でスーツな男だ。厳しいことも言うだろう。そんなことまで気にしてたら番組創れませんよと言われるような指摘もするだろう。そうだそれでいいいのだ。

すると國の役に立つ仕事をしたいという気持ちが同時に沸き起こってきた。

となれば玉置山まで上がらねばなるまい。

先を急ぐわたしであった。

玉置山では玉石社をいつもじっくりお詣りします。法螺をたて祈り、祝詞をあげ、能管を打つ。

お地蔵さんのいる山頂に上がり熊野灘を思い切り吸い込む。

写真を撮り忘れた。

30年以上 お疲れさま おれ。

売店の名物、きのこうどんとさんま寿司の直会で再出発を誓ったのであった。

あっ。涙が出てきた。😀
(続く)


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