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家族コンプレックス

表現が適切かどうかはわからないけど、"家族"というものにコンプレックスを持っています。

約4年前に娘が生まれ、妻と子の3人家族になりました。
それを機に娘の成長記録として残すために育児漫画を描き始めました。

今振り返ってみると、それは自分が持つコンプレックスの反動で始めたものだったのかもしれません。
現在は間も無く2歳になる息子も生まれ、4人家族で不自由なく楽しい毎日を暮らしています。もちろん不満はなく、どちらかといえば大きな幸せを感じています。


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今から7,8年前に父親が亡くなりました。50代前半でした。
ここから、その亡くなった父親の話であり、僕が持つコンプレックスの話です。記憶が曖昧な部分もあります。


僕の父親と母親は、父親が亡くなる少し前に離婚をしました。原因は知りたくなかったので聞いていません。
その上、19歳の時に今の妻と同居を始めたこともあり、実家には年に1,2回荷物を取りに帰るぐらいで、家族とは距離があり、父親とは数年会っていない期間もあったぐらい。両親の仲が良くなかったことは薄っすらと認識していて、家庭内別居の両親の生活をみるのが怖くて家に帰りたくなかったというのが理由のひとつ。


父親は心臓が悪く、亡くなる数年前から入退院を繰り返していて、母親からは父親の入院したという連絡だけは必ず届いていました。

でも、家族と合わない時間が経てば経つほど不安や恐怖、親不孝である自分の愚かさからくる背徳感など、いろんな感情が入り混じって自ら歩み寄っていくことができなくなっていき、父親のお見舞いに行くことすらできませんでした。


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たしか、父親が亡くなる数ヶ月前。
この頃に両親は正式に離婚し、実家から父親が出て行ったとのこと。

妻(当時彼女)の後押しもあり、父親の入院する病院へ行くことに。
随分と会っていなかった父親の姿は、自分の記憶にある父親とは違った姿になっていて、目を覆いたくなるぐらい変わり果てていました。
土木関係の仕事をしていたり、趣味でスポーツをしていたこともあり、黒く焼けた肌でがっちりとした体格だったはずの父親は、頰がこけるぐらいにまで痩せ、体中にシワが増えていて、点滴に繋がれている。

熱狂的な阪神タイガースファンだった父親は、僕が中学で野球部に入ったことをすごく喜んでくれ、高いグローブを買ってくれたり、休日になるといつもキャッチボールをしてくれていました。ベッドの上で変わり果てた父親と話していると、その頃の記憶が蘇ってきて、余計に現実を受け入れることが怖くなってしまいました。

それから少し経ち、一時的に退院していた父親がまた入院をしたと連絡がきたので恐る恐る病院へ行くと、薬が効いているらしく幻覚を見ている様子で『今から仕事に行かないと』『まだやらないといけないことがある』と虚ろな目をしながら立ち上がり、看護士さんに止められていました。一番ひどかったのは正常な手を見ながら『手にボルトが埋め込まれている』と言い出したこと。

父親がこんな姿になっていること。明らかに残りの命が短いこと。そんな状態になるまで会えなかった自分。何もできないもどかしさ。大きなショックを受けました。


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数日後、コールセンターでバイト中に母親から『お父さんが危篤です』とメールが届き、上司に説明すると、タクシー代を出すから急いで向かいなさいとのこと。

その時、自分は父親が亡くなる瞬間に立ち会う資格がないんではないかと思い、病院に向かうべきかも考えました。今まで自ら家族から離れていくようなことをし、父親の様態からも目を背けるようなことしてきた自分が向かっていいのか。
そして、やっぱりまだ父親の危篤を受け入れることもできない。

そんな葛藤を繰り返しながら、ゆっくり考える時間が欲しくて電車で向かいました。
病院の最寄駅に着いた瞬間、さらに怖くなり、駅の反対方向のコンビニに入り、おにぎりを買って食べていました。恐怖に苛まれながらもどこか冷静で、そんな状況でありながらも自分の臆病さが勝ち、現実から逃げようとしてしまっていました。



集中治療室に着いた頃には、心電図がほとんど動いておらず、母親に力のない父親の手を『握ってあげなさい』と言われ、なんて言葉をかけていいかわからず、無言のまま手を軽く握りました。そこからは全く覚えていなくて、泣きながら妻に電話したことだけが記憶にあります。



自らが育んでしまった父親への背徳感。



父親を大切にできなかった大きな後悔から、自分の娘や息子にはそんな人生を歩ませたくない。だから、自らは良い父親でいなければという思いと、家族を大切にしなければという思いが強くあります。それがせめてもの懺悔。


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今は子どもの顔を見せるためではあるものの、母親や兄弟ともよく会うようになりました。



今回、"コンプレックス"という表現を使うにあたり、この文章を読んでくださった方の中でもっとツラい思いをしてきたり、気安くそんな言葉を使うなと思う方がいるかもしれません。自分が生み出した自業自得なのに。と、不快な思いをさせてしまっていたら、申し訳ありません。
僕自身にとっては今もずっと引きずっている後悔であり、うまく表現できず書けなかった部分やトラウマになっている出来事もあります。

今ではこの後悔があったからこそ、子どもが生まれたことをキッカケに前向きに変われたんだと思っています。
この文章はただ自分自身の暗い過去を知ってほしいだけではなく、誰かにとって勇気付けられるものになればと思い、悩んだ上"コンプレックス"という表現で書きました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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吉本ユータヌキ

子どもの観察マンガやイラストを描いています

ぼくがイラストレーターになるまで

2014年にネットで活動を始め、今こうしてイラストレーターとしてご依頼をいただけるようにまでなれました。『自分めちゃくちゃすごいでしょ!』ってことではなく、だれかの参考になればと思って書いていきます。ただの経験談なので参考になるかわかりませんが...
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