サイゼリアのエビが食べたい

サイゼリアのエビが食べたい。小エビのサラダのエビだ。恐らくあれは原価が1番安いエビだ。エビを褒める時の常套句である「プリプリ」からは大きく踏み外し、ふにゃふにゃの赤子の指のような食感のエビだ。

中学生くらいまではサイゼリアのエビに「べちょべちょじゃん」と文句を言っていた。しかし大人になるにつれて、あのエビが何処でも手に入らないと気づいた。

エビを家で使おうと思いスーパーで買うと、どのエビも多少はプリっとしている。最早食レポで「プリプリです」ということには何の意味もないほど多くのエビがプリプリしている。惣菜も同じだ。他の飲食店でも、エビチリなど少しでもエビにフィーチャーする料理となると、エビも力が入るのかプリっとしてしまう。逆に「風味程度でいいや」とエビをぞんざいに扱うと不貞腐れ、桜えびになってしまう。

そもそも食材の価格はどんな要素で決まるのだろうか。恐らく味ではない。人によって味覚は違い測ることは難しいし、飛騨牛よりスーパーの特売肉の方が好きな人もいる。私も「臭み=旨み」だと思っていて、「俺は人間様だ。動物共よ、貴様らの命を喰らってやろう」という生物的な優越感が得られるためスーパーの肉は好きだ。

では値段が決まる要素は何だろうか。恐らく希少価値だろう。松茸という菌類が20年生きた牛様より値段が高くなることもあるのは希少価値から来ている。そもそも「美味しい=希少価値」なのではないかとも思う。臭みがなく脂身が甘い高級な焼肉は、普段食べる機会がないからこそ旨いのであって、私が毎日食べて毎日腹を下している下品な脂が浮いたチェーン店の家系ラーメンとの優劣をつけることは難しい。

食べ物の値段が希少価値で決まるならば、サイゼリアのエビは10倍の値段をとっていい。あの目が虚ろになる何とも言えない食感は他では味わえない。私は小エビのサラダが1万円になっても、高級焼肉に行く感覚で年に1回程度食べに行くだろう。その高級エビサラダを350円で食べさせてくれるのだからサイゼリアは凄い。

私はその優しさに惚れ込んでサイゼリアが大好きなのだ。大学生になっても彼女をサイゼリアに連れていったのは決して金がないからでは無い。彼女にもサイゼリアの優しさに触れて欲しかったのである。

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