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「退所者の集い」行って来たよ~🎵 その①


と、言っても
実は秋空に美しい
鱗雲が見られた日のお話🎵😁


秋空に美しい鱗雲🎵

 
 いやいや、何をするにも時間がかかる日々を過ごしていると、「下書き」にしたままの記事が溜まってしまいます~(。´Д⊂)😆

 実は、次の「退所者の集い」の案内が参りました‼️

 わわわ😱☀️
まだ前のも記事にしていない‼️ と(汗)💦


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(その前にほりべえが倒れた時の事を初めて書きます。)


 脳内出血を起こした時は、自宅で夕食を頂きお風呂に入ろうかとしていた時でした。

ん? 右手がおかしい!!!

あ、ドンドン動かなくなっている。


 この時点で、左脳に出血はたまた詰まりにより、脳内細胞に破壊が起きていることが自分で判りました。

 直ぐに主人に「脳内がおかしい。右手が動かない。直ぐに医者に連れて行って!」と頼みました。
 夜でも受け付けてくれる脳外科を探し、慌てて家を飛び出し車を取りに行く夫。
 まだ左側が動くうちに出掛ける支度をしようとしましたが、予想よりも早く身体が動かなくなり、

言葉が話せるうちにっ!!!

と119番しました。


 救急隊員が来てくれた時には、ほりべえはもう自分の力では動けず、
靴も履けないまま玄関の中で蹲っていました。

 脳内の細胞が壊れ身体が動かなくなる。直ぐに気が付いたのは、実は
ほりべえの母の体験があるからです。

 ある日、母が洗濯物を干していました。
毎日の日課の一つですから、その様子を見るともなく目の端で捉えていました。

が、なんかおかしい!!!


 つまんでいる洗濯物がぽろぽろ落ちています。

「? お母さん、どうしたの?」
「〇〇〇………」
呂律が回らない状態です。

 この時点で、あ、脳がやられたな!!!


 急いで、父に連絡し主治医に来て貰いました。
救急車を呼ぶ程でも入院する程でも無かったし、障害は少しずつ回復を致しました。

 このような経験をしていたから、些細な変化でも脳が危険な状態と判り、直ぐに適切な対応が出来たのです。


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 さてさて、「退所者の集い」に行けるようになるまでには、
数年の時間がかかりました。その話はおいおい。


 急性期病棟を無事に卒業し、リハビリ病棟に移行し、何とか退院致しました。
 その後、お年を召した方は「高齢者施設」でのリハビリを受けるのですが、まだその年に届かない人々は「リハビリ難民」になることが多いのです。

 ほりべえは、高齢者施設に入れて頂いたり、時々自宅へ戻ったりしながら、一年半程待って、別の「リハビリ施設」にまた入所することが出来ました。そこには、合計一年以上入っておりました。

 丁度変な流行りもんが世界を襲い、世の中が喧々囂々とし、変化せざるを得ない中で、ほりべえ達は「一人で何とか生きること」のみの為に頑張っていました。


この建物内はとても珍しい。

部屋は勿論男女別々ですが、共有スペースは男女一緒でした。
ま、悪さしたくとも出来ない身体の人々が暮らしているのでwww.
最低でも半年から長い人だと一年半位。
朝昼晩、正しく「同じ釜の飯」を食べた仲間。

 

 
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


思ったよりも長い話となりそうです.

ほりべえはちょっと疲れてしまいましたので、一旦

to be continued

ここまでお読み下さいまして、誠にありがとうございます。m(__)m
共に生きるすべてのものに感謝して♥

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