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【祝J再開】浦和レッズと鹿島アントラーズのサポーターが、27年の歴史を振り返りつつ、宿敵について語ってみた

この記事は「旅とサッカー」をコンセプトとしたウェブ雑誌OWL magazineのコンテンツです。

浦和レッズサポーターのほりけんです。今回は、OWL magazineのライターであり、鹿島アントラーズサポーターの五十嵐メイさんとの対談をお送りします。

お題は、ずばり、浦和レッズと鹿島アントラーズのライバル関係

Jリーグ27年の歴史を経て醸成された、並々ならぬ緊張関係の源を探ります。

7月12日、埼玉スタジアム2002での一戦の前に是非!

五十嵐メイ
鹿島アントラーズサポーター。OWL magazineの門を叩いてライターデビュー。ほりけん評は「小笠原ユニの鹿島サポなんて、浦和サポの嫌いなものを詰め込んだ福袋」。
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ほりけん
浦和レッズサポーター。2018年に念願のシーズンチケットを取得し、北と南のゴール裏を行き来。OWLでは「インテリ系浦和サポ」と呼ばれるが、普段友人には「レッズの話をしだすと途端に知能指数が下がる」と言われる。
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※この対談はリモートマッチです(ZOOMを使用)。

※「サポーターの会話」の雰囲気を残すため、選手等の敬称を省略している場合や、クラブを略称で呼んでいる場合があります。

サポーターへの道

ほり ついに、Jリーグが再開しましたね。そして今週末は早くも浦和レッズと鹿島アントラーズの直接対決がある。

メイ 昂りますね!

ほり ただし、この試合は無観客ではないものの、5000人が上限だから、鹿島サポは入れない。浦和サポも、シーズンチケットを25年以上継続している人しか買えないというプラチナチケットになっている。

メイ 実際どうなんですか?浦和サポ界隈での反応は。

ほり 今季は、東京五輪の影響で、駒場開催の予定が1試合だけあった。駒場だとシーズンチケットホルダーすら全員入れないかもしれなかったから、継続年数でグレードを付けることは元々やろうとしていた。それもあってネガティブな反応はあまりないかな。

メイ ほりけんさんはどのグレードなんですか?

ほり 僕はまだ3年目のペーペーなので、一番下のルビーというグレード。2002年の日韓W杯前後からスタジアムに行くようになったけれど、2018年に、ようやく念願のシーズンチケットを獲得した。

メイ 私、はじめてスタジアムに行きたいと思ったのが日韓W杯なんですよ。お母さんに応募してよとお願いしたのはよく覚えている。当たらなかったけど。

ほり 日韓W杯は盛り上がったよね。でも個人的には埼玉スタジアム2002ができたのが大きかった。Jリーグが開幕したときは小学校の低学年だったけど、試合に行きたくても、なにせ駒場スタジアムのチケットが全然取れなかった。だから当時は「浦和レッズをスタジアムで観る(観られる)」という認識は全く持っていなかった。

でも浦和が埼スタを使いだして、キャパが一気に3倍になった。新スタジアムという話題性もあったから、ここでようやく、スタジアムで観られるんだと気づいて、行くようになった。

メイさんは、鹿島を見始めたのはいつ頃から?

メイ 鹿島アントラーズを認識したのはだいぶ小さい頃ですけど、サッカーをちゃんと見て、選手を覚えて、みたいなことをし始めたのは高校生のとき、2007年ぐらい。鹿島サポの子に誘われて。でもチケットも残っていないので、何戦かは全く覚えてないんですよね。

ユニフォームは、昔に親が買ってくれていた、子供用みたいなのを着ていた気がする。あと、ファンクラブの会報誌に、優勝した時にインタビューされたのがちょっと一言載っています。「やったぜー!」みたいなのが。

ほり それはすごいな。その時から鹿島サポだったという証拠がちゃんと残っていると。

メイ ただ、サポーターという存在をはっきり認識したのは、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)での浦和レッズでした。うわ、あの人たちヤバ、みたいな。

ほり うちはACLに掛ける思いが強いからな。2007年はテレビ朝日が決勝を地上波で生中継してくれたから、露出も多かったしね。決勝進出が決まったあと、やべっちFCで流れたVTRも最高だった。

メイ でも、あれ見ても浦和行こうとはならなかった(笑)よし、また鹿島行こう!みたいな。

ほり それは残念(笑)

鹿島は強く、浦和は弱かった

ほり 浦和と鹿島に特化した年表を作ってみたので、Jリーグ開幕から見ていきましょうか。浦和目線だけど、1990年代は黒星ばかりだな。

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メイ 私もちょっと調べたんですけど、そもそも鹿島はJリーグ 初年度のサントリーステージ(1stステージ)の優勝を、浦和の目の前で決めたんですよ。

ほり なかなか印象的なスタートだね。

メイ うふふ(笑)しかも、「その時浦和は最下位」と書いてある。

ほり そうだよね。1993年は10チームの2ステージ制だったけど、浦和は10位と10位だから。今だとあり得ないけど、Jリーグ開幕した頃、小学校のサッカー好きな友達には2チーム応援している人もいた。

メイ 2チーム?

ほり 浦和はもちろん応援しているけど、強くない。だからもう1チーム。しかもこれがヴェルディ川崎(当時)と鹿島が多かった。

メイ へぇ!

ほり 日本代表選手が好きだったらヴェルディ、ブラジル人選手が好きだったら鹿島みたいな感じだったかな。小学生は単純だからさ、強いチームに惹かれたんだと思う。

メイ 今考えると、とんでもない混ぜるな危険ですね。

ほり いや、とんでもないよ、ほんとに。でも友達が持っていた鹿島のグッズを教室で見た覚えがある。

メイ うふふふふ(笑)

ほり 1990年代はもう、鹿島は強く、浦和は弱かったということに尽きるんじゃないかな。奇しくも2000年がそれを象徴していた。鹿島が3冠を達成する裏で、浦和はJ2を戦っていたからね。

ファイナルでの2連戦

メイ 転機は2002年、2003年ぐらい?

ほり 2002年と2003年のナビスコ杯決勝の記憶は強い。

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ほり 2002年は、初めてタイトルに手が掛かって、しかも相手は鹿島。常勝軍団に対して、かつて「Jリーグのお荷物クラブ」とも揶揄されたうちが挑戦する構図だった。

澄み切った、秋の日差しに眩しく輝く、赤と赤です

アントラーズの深い赤
それは、どんなに選手が疲れて、傷ついた時も
常勝軍団の誇りを支え続けた、サポーターのプライドの色

レッズの鮮やかな赤
それは、名門がどんなに迷って、もがき苦しんでも
時には怒り、時には泣き、しかしとにかくずっと信じ
栄光の時を待ち続けた、サポーターのプライドの色

赤と赤

ずっとこのチームと共に歩んで来て本当に良かった
そんな歓びに、国立は、満ち溢れています

(2002年ナビスコ杯決勝、フジテレビ青嶋達也アナウンサーの実況より)

ほり 初めて臨んだファイナルで、いい試合はできたけれど、結果は0-1。小笠原の枠外へのシュートがディフェンスに当たって入る、不運な失点を喫して敗れた。1点が遠く、タイトルにはまだ壁があるなと感じた。

ほり でも2003年に同じ舞台で再戦して、今度は4-0で圧勝した。

メイ そこが初タイトルですよね。

ほり そう。浦和レッズの初タイトルは、鹿島を倒して獲ったんだよね。

ほり この年のナビスコ杯では、田中達也がニューヒーロー賞に輝いた。決勝でもキレキレで、先制点をアシストし、ダメ押しとなる3点目を決めて、そして小笠原を退場に追い込んだ。決勝MVPも受賞した。

達也が決めた3点目が優勝を大きく近づけたんだけど、その時に雨のピッチを膝で滑ったシーンは目に焼き付いている。2012年に退団する際は、最終節のマッチデーカードにもなった。

メイ (写真を見て)おぉ、凄い!愛されていたんですね。

ほり 2003年から毎年のようにタイトルに絡むようになっていったけれど、達也は浦和が強くなっていく時代を象徴する選手の1人だったね。

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史上初 アジア王者と3連覇

ほり 2005年は勝ち点60のガンバ大阪が優勝したけど、浦和と鹿島を含めて4チームが勝ち点59で並んでいた。この辺でから一緒に優勝争いをするようになった。

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ほり そして2006年、浦和が初めて優勝した
(編注:中断期間にNHKとDAZNで再放送された。最高だった!)

ほり 2007年、浦和はJクラブとして初めてACLを獲ったし、Jリーグとの2冠にも手が掛かっていた。しかし、最終節で鹿島に逆転されて、優勝を逃した。そこからは今度、鹿島が史上初の3連覇を果たすという流れだね。

メイ この頃から本格的に見始めたけど、負けた記憶はあまりないですね。

ほり 鹿島が3連覇を決めた2009年、うちは2敗しているね。でも、2008年は1勝1分けだったんだな。

メイ ほんとだ。負けてる。この2008年の引き分けって、雷の日じゃないですか。めちゃ疲れたイメージ。

ほり あ、だから2008年は2試合とも事件絡みだったんじゃない?うちが2-0で勝った試合は、あれですよ。

メイ 紙芝居が出てきたやつだ(笑)

ほり そうそう、これは浦和のゴール裏から見ていたから記憶がある。がっつりブーイングするつもりが拍子抜けした(笑)

メイ この年は、浦和側からしたら負けていないですもんね。

ほり 負けてはいないけど、リーグを獲られちゃっているから。2009年の浦和は調子があまり良くはなくて、鹿島はまぁ強いなという感じだったかな。

メイ この年の最終節が、私の思い出のゴールですね。覚えてるぅ、これ!

ほり 埼スタにいた?

メイ いました!雨だったじゃないですか。今では絶対考えられないけど、真冬に半袖で、ずぶ濡れでした。

ほり 勇者だね。でもそれでも十分温まるぐらいのゴールだったでしょ。

メイ マジか!ってなりましたね。最高でした!

3度目の決勝と世代交代

ほり 今回調べるまで忘れていたけど、2011年にナビスコ杯決勝で3度目の対戦をしていました。

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メイ 私もナビスコ杯決勝に行ったのは覚えているけど、相手は清水エスパルスだった気がする。実を言うとこの頃の記憶が曖昧なんですよね。東日本大震災の影響でカシマスタジアムが使えなくて、リーグ戦でも国立使っていたので、何の試合で国立に行ったのかが曖昧で。

ほり 茨城は被災地だったよね。

メイ この年のニューヒーロー賞は誰だったんだろう?柴崎岳かな。

ほり ちょっと思った。あれ、でも違う。2011年は原口元気だね。言われてみれば、元気が獲った記憶ある。

メイ これ、私行ったかな?ナビスコどこかで優勝しているんですよね。相手が清水だった気がするんだけど、それは気のせいかな?もしかして、これ鹿島じゃなかった?(笑)

ほり 2012年じゃない?連覇されていますよ、鹿島さん。

メイ それだ。そこで大迫がニューヒーロー賞取ってるのかな(編注:石毛秀樹選手でした)。なんで2011年行っていないんだろ。9年前、私21歳。何してたんだ。当時は朝起きて「やっぱり今日は、アウェイのガンバ戦に行こう」みたいなテンションだったのに。

ほり いい生活!

メイ 大学ほとんど行っていなかったので、お金厳しいな、やっぱやめとくかと思いながら、よし大阪行こうみたいな。それなのに2011年、何してたんだろ、私。部活の、自分のリーグ戦だったのかな。でも 3連覇して、ちょっとやり切ってしまった感があったことは否めない。

ほり あー、なるほどね。

メイ いや、そんなことはない(笑)そんなことはないですよ!(怒)

ほり この時期はもうオリヴェイラの最後の方?

メイ そうですね。この頃は3連覇した選手たちの貯金で戦っていた気がします。今に比べると、若手の起用も極端に少なかったような気がする……。そこから、その貯金を使い果たした2012年とかにめっちゃ凹んでる。

ほり うちも2008年くらいまではリーグタイトルに絡んでいたけど、そのあたりから徐々に勝てなくなった。そこで思い切って若手にシフトしたけど、結果が出なくて。

メイ あの頃のユースは同世代なんですけど、浦和はタイトル取ってますよね?

ほり 2008年の高円宮杯だね。決勝で9-1という、これサッカーのスコアですか?みたいなのをやったから、浦和サポの期待は高かった。特に原口元気と山田直輝の2人。彼らは2009年にプロ入りしたけれど、僕も元気のユニフォームは速攻で買った。でも、チームとしてはなかなか結果が出なくて、元気がニューヒーロー賞を獲った2011年には残留争いまでした。

メイ 鹿島も2012年はかなり凹んで11位。

ほり 唯一じゃないの、2桁順位って。2001年の1stステージ11位だけど、2ndステージ優勝してるし。

メイ 世代交代がうまくいってなかったのかなぁ。2011年にはマルキーニョスや内田篤人、2012年には田代有三や野沢拓也など、主力がポツリポツリと抜けていったけど、その穴が埋まらなかったのかも。その少し後くらいに、昌子や植田が出てきて、盛り返したけど。

ほり うちは2012年にミシャ(ミハイロ・ペトロビッチ)がきて、V字回復を果たした。前年は残留争いしてたけど、槙野をケルンから期限付きで獲ってきたりして、最終節でACL圏内に滑り込めた。まさにミシャのおかげだったんだけど、そのオフに大事件が勃発したよね。

鹿島の13番の浦和加入

メイ 興梠慎三を獲ったのはミシャですか?

ほり ミシャだね。もう圧倒的にミシャ。

メイ ミシャは興梠が好きなんですか?

ほり 結構前から目をつけていたみたいよ。浦和で結果を出して、自分が獲りたい選手を獲ったという感じ。その頃の浦和は緊縮路線だったから、興梠もゼロ円移籍だったけれど。

メイ 興梠が移籍してきたとき、正直どうでした?

ほり 当初は「鹿島から来てすぐに応援してもらえると思うなよ」「まずはどんなものか見てやろう」と思っていたね。でもすぐにプレーで応えてくれた。特にボールの収め方がとんでもなく上手くて唸ったね。ミシャの1年目は1トップがはまらなくて苦労したから余計に。

うちは個人チャントをなかなか作らないことで有名だけど、興梠のチャントは、早くも第3節の試合前に歌われた。まだ浦和での初ゴールを取る前だったけど、プレーの質でサポーターを認めさせたね。

ほり 移籍する前、鹿島での興梠はどうだったの?

メイ オリヴェイラと興梠の相性はそんなに良くなかったように見えたし、その後に来たジョルジーニョの起用法にも不満があったみたい。大迫が1トップに定着して、興梠は点は取っていたけれどサイドでの起用が多かった。

ほり とはいえ、興梠移籍しやがって、みたいなのはあったわけでしょ?

メイ 13番でしたから。

ほり そういうことか。13は柳沢から興梠だよね?

メイ そう。柳沢の番号を引き継いだ男が移籍しちゃった。しかもよりによって浦和。

メイ でもあの頃は不可解な移籍も結構あった。例えば野沢。茨城出身でユース上がりなのに、2012年にヴィッセル神戸に行って、1年で戻ってきたんですよ。

ほり 言われてみれば神戸に野沢いた記憶あるわ。

メイ そしてまたすぐベガルタ仙台に移籍するんですよ。その頃サッカーとかあんまり分からなかったですけど、世代交代のこととかを考えるとうーんという部分はあったのかなと思う。

ほり なるほどね。ただ、2014年にはどちらも回復して、再び優勝争いをした。浦和としては、ガンバに逆転されて優勝を逃した印象の方が強いけれど。

リーグを制するとは

メイ 私、2ステージ制に戻った頃はJリーグから離れていたので、その頃の記憶がすっぽり抜けているんですけど、2016年は浦和としてはどういう感じでした?

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ほり それを語るには少し遡らないといけないんだけど、浦和レッズは、そもそもクラブとして2ステージ制に反対だった。当時の社長もJリーグの実行委員会でそう主張していたし、サポーターも反対の横断幕を山ほど出した。

メイ おおお!浦和さん、こういうの結構出してません?

ほり まぁそうね(笑)だから、クラブとして年間1位にこそ価値があるんだという信念を持っていた中で、商業的な理由での2ステージ制と、ミシャの下で浦和が強い時期とが重なった。

2015年はチャンピオンシップ(CS)準決勝で3位のガンバに負けて決勝には行けなかったけれど、元々2位だったから仕方ないと思った。けれど2016年は、年間1位で、しかもJリーグ史上最高タイ記録の勝ち点74を叩き出した。

ほり さらにこの頃は、ミシャレッズ対風間フロンターレという構図もあった。クラブ同士のライバル関係は薄いけれど、どちらも攻撃的な、魅力のあるサッカーで、しかも強い。だからCSをやるとしても、勝ち点72で2位だった川崎と直接対決で雌雄を決したかった。でも結局、浦和も川崎も、勝ち点59しか取れていない鹿島に敗れてしまった。

メイ 凄いな。勝ち点の差が凄い。でも、鹿島のサポーターでも、これはタイトルじゃない、と言っている人もいます。

ほり そういう矜持があるのは鹿島っぽいなと思う。良い意味で。もしかしたらお互い似ているところかもしれないけれど。

メイ だからもう10年リーグタイトルが獲れてないんですよ。あと一歩及ばず。2019年は正直獲れると思っていた。勝手に、ひっくり返せるかなって思っていたんですけど、ホーム最終節で、まさかの神戸にボコボコにされるという。その前、広島に引き分けてしまったけれど、まだ食い込めるぞ、みたいな。三つ巴みたいな感じだったんですけど。

ほり 競ってたのは横浜FマリノスとFC東京か。

メイ シーズンの後半でFC東京との直接対決を制したので、よっしゃこれいけるぞ、みたいなところからスーパー失速しましたね。

ほり そこは2007年との違いだよね。

メイ 2007年はシーズン途中で小笠原が復帰してから負けなしだったんですよね。最後9連勝していて、最終節で優勝を決めました。でも2019年はそのままずるずる、天皇杯も神戸にやられ、みたいな感じで。大岩体制の限界だったのかなと思う。

オズの魔法とリーグ戦の大一番

ほり 間を飛ばしちゃったけど、2018年にもうひとつ、衝撃の事件がありました。

メイ いや、そうですよ。もう、大事件!日本のサッカー界では他のニュースがあって、みんなそっちでざわざわしてたけど、私は、そんなことよりオリヴェイラが浦和の監督になった方が大問題よ、みたいに呟いた記憶がある。

ほり 僕らもびっくりしたよ。だって、まさに3連覇の監督、鹿島の監督といえばこの人だと思っていたから。嘘でしょって。

メイ 浦和はなんでオリヴェイラだったんですかね?

ほり なんでだろう。とりあえず、当時のチーム状態はあまり良くなかった。2017年の途中でミシャを解任して、堀さんをコーチから昇格させた。2度目のACLは獲れたけど、国内では振るわなかった。

メイ 堀さんでACL獲ったんですね。仮にミシャが続けていたら、ミシャはACL優勝監督になっていた可能性があったということ?

ほり たらればは難しいけど、最後までミシャだったらACLは獲れなかったかもしれないなと思う部分もある。準決勝、決勝あたりは耐えて耐えて接戦をものにする勝ち上がり方だったから。守備を固めながら、興梠やラファエル・シルバがカウンターやセットプレーから点を取って、勝っていった。遠藤・マウリシオ・阿部・槙野と、4バックにセンターバック4枚を並べることもあった。

あれがミシャだったら、すごくいいサッカーをしながら負けるということもあったかもしれない。

メイ 絶対、ミシャのサッカーをしますもんね。

ほり 実際グループステージでは、4-0、5-2みたいな試合をやっていて、ミシャサッカーが爆発していた。でもそれが最後まで通用したかはわからない。ミシャが去ったのは悲しかったけれど、2017年にACLを獲れたのは、ミシャと堀さんの共同作業の結果だと思っている。

でも結局リーグ戦は7位で、翌年ACLには出られなかった。

メイ そうか、ACLは優勝しても翌年の出場権ないのか。

ほり だから2018年は、もちろんリーグ優勝は目指すけれど、なんとしてでもACL圏内というところで、堀さん続投でスタートした。でも結果が出なくて、暫定監督として大槻さんを挟んで、オリヴェイラが就任した。

オリヴェイラが良かったのは、ACLに絶対出るんだという強いモチベーションかな。リーグ3位内はもちろんだけど、天皇杯も優勝すればACL出られるから気合が入っていた。シーズン途中にはロシアワールドカップがあったけど、松本山雅と対戦した天皇杯3回戦に、ロシアから戻ったばかりの槙野と遠藤を先発させた。

メイ オリヴェイラ、そういうところあるんですよね!もうちょっと何かやりようあるんじゃない、とも思っちゃいますね。

ほり でも、そういうのも含めてモチベーション高くやってくれたのが良かったのかなと思う。J1最終節の後も、サポーターが集う居酒屋「力」にオリヴェイラが来て、リーグは5位で終わってしまったけれど、天皇杯は絶対に獲るんだと。そのためにはみんなの力が必要だから、選手に力を与えてくれ、みたいなことを言った。

ほり サポーターもそれに応えて、準決勝の鹿島戦と決勝の仙台戦の前日は、大量の旗や横断幕を持って練習場に集結した。戦術とかはさておき、オリヴェイラは、うちのサポーターと熱量が揃っているんだなと思った。

ほり あと2018年は、J1第30節のホーム鹿島戦もとても印象に残っている。鹿島はうちより上にいたから、ここで負けたらACL圏内には行けない、という試合で。鹿島の方もまだ優勝が狙えるかもという感じだったと思うけど、そういう状態で埼スタでやった。試合は西大伍の凄まじいボレーで先制されて。

メイ あ、逆転されたやつだ。

ほり それそれ。逆転して勝ったのも嬉しかったけど、大一番を戦えたことが何より嬉しかった。トーナメント戦の決勝が重要なのは当たり前だけど、リーグ戦でも、優勝するときは必ず大一番があるじゃない?

メイ ありますね。

ほり この時はタイトルではなくてACL圏内の争いだったけれど、そういうヒリヒリするようなリーグ戦の試合を、鹿島を相手にやって、勝った。それで「あ、うちもちょっと戻ってきたかな」と思えた(実際はまだだったけど)。だから、この試合はここ数年の中ではトップクラスに覚えている。

2007年の記憶と最強の証

ほり 最後に、浦和レッズと鹿島アントラーズの関係とは何なんだという話をしたいと思います。

メイ これ、難しいな。難しい。いや、でも、

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