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アロマンティック、恋愛がしたい

またダメだったよ、っていう。
ダメだったというか、別れた、というか。

半年付き合った恋人に別れを告げられて、そろそろ一ヶ月が経とうとしている。
なんだかんだこれから将来を共にしようって約束していた仲が解散するというのはそれなりに心にダメージが蓄積されるものでして。
しばらく寂しさを抱えながらぼうっと考える時間が多かった。

別れの予感は随分と前から感じていたのに、いざそうなったらやはり、悲しいものですね。

別れの要因の一つは私にありました。
っていうか、ほとんど私が原因で別れました。
私の、アロマンティックの部分が相手にはどうしても受け入れられないものだったそうです。
え、私の性自認知ってたよね?
とは思ったものの、やっぱし経験してみないとわからないものも、いっぱいあるっつうことですわな。

半年経って、これですか?

頭の中はクエスチョンマークだらけ。
要するに、恋愛感情を持ち合わせていない私と、恋人関係を継続することに難しさを覚えたようで。
友達に戻らないかと提案されたのでした。

「別にスキンシップもとらないなら、普通の友人になってもいいんじゃないって思うんだけど……」

私はずっと恋人のつもりで付き合っていたもんですから、超ショックでしたさ。

Q.恋人とは何か。
A.今この瞬間だけじゃなくて、長期的な将来を一緒に描く人のこと。

こういうもんだと思ってました

それだけじゃダメだったようでした。

でも話を聞けば聞くうちに、相手をたくさん苦しませていたことに気がつきました。
将来のイメージは共通していたのに、今現在の動きに齟齬が生じていた。今、この瞬間のお互いを受け入れられなかったと言うのだ。
アロマンティックだからというか、きっと「私」だったから、そういう結末になったのですけれども。

恋愛ってなんですか、本当に。

アロマンティックとは

恋愛感情が人よりも鈍めなことを指す。

全くない、というわけではないのがポイント。

私は他者に対して優劣のない「好き」しか抱けない。
のかなぁという結論に辿り着いた。暫定的に。

親密度の差異こそあれど、特別な「好き」はあんまりないのだ。
無というわけではなく、「あんまりない」
ちょっとあるけど、周りから見たら確認できないくらいの、ささやかな程度くらい。

恋愛を「たくさんの人の中から、一番好き、を探すゲーム」だとしたら、そもそも人に対して優劣をつけない私の持っている「好き」では同じゲームに参加できないよね、という。
これはレイナと話していてわかったこと。
なるほど、そういう考え方もあるのかと納得した瞬間でもあった。

ともあれ、たくさんの人間たちの中から特別な一人を選び抜くというコマンドは、私のなかには持ち合わさっていないんだと思うのです。
特別な好きを送る「恋人」という関係づくりの手段が、ないのだ。
なんてこった。

私が誰かを特別だと全く思わない訳じゃないし、恋人っていうものになったからには、他者とは違う接し方をしてきたつもりではいたのだ。
けれど、それは相手からしたら「友達みたいなもの」だったし、「特別」ではなかったみたいだった。

私の思う「特別」は相手の定義した「特別」ではなかったというただそれだけのことだったのかも知れなけれいど、それを言われた時はショックだった。
二人三脚で将来を走り抜けたいって、思っていたもの。一人じゃ生きられないから、もう一人と。
二人でできる何かがしたかった。
そう思ってたんだもの。

自分なりに恋愛を定義してみたり、愛を探求してみたりしていた。ようやく巡りあえた恋人には「友達でいいんじゃない?」とか言われる始末。

私の指し示す「特別な感情」は「恋愛感情」ではない。らしいのだ。
当たり前のことを当たり前だと擦り合わせられない現状が、相手にとっては受け入れられないものだったらしい。
恋人、パートナーっていう唯一無二な関係に恋愛要素はどうしても持ち込まないといけないのでしょうか。
恋しないと恋人じゃないのだろうか。
恋愛をしないとパートナーになれないのだろうか。

まぁ、今回の相手が、そうだったっていうそれだけのお話なのかも知れないけれど。
そうだと信じているのだけれども。

とはいえ、どうすりゃええねんな。

まぁまぁな恋愛遍歴を持つ私。
それにそろそろ終止符を打ちたかったのですが、まだまだ恋愛の旅は続きそうです。
それに、孤独ともちゃんと向き合わなくちゃならない。
自分の中に生まれる孤独感と寂しさを他者で癒そうとしてはならない。
これを、学べるような半年でもあったと思います。

でもやっぱり、寂しいものは寂しい。
でも、強くならなくちゃならないのだ。
今度は、ひとりで。

誰か特定の一人と将来を共にしたいと願うことは、約束することは、我儘なことなんでしょうか。

恋愛がわからずとも、経験から恋愛というものをわかろうとしました。
でも、まだまだ恋だの愛だのはわからないことだらけである。
ドキドキもトキメキもうっすらとしかわからないのだけれども、この恋愛でなんとなくまた、この大きな概念の端っこがわかったような気がします。
なんとなくなので、まだまだまとまってはいないけれど。
今回はそんなお話。

ここからは読みたい人だけ。立ち直りたてなので、何度も書き直しちゃうかも。
そんなリアルタイムの苦しみともがきがここにある。
私の小地獄は、コーヒー一杯分で読めます。


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