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ミュージカル「バンズ・ヴィジット」のはなし

演劇の制作会社の仕事は大きく三つに分かれるのかも知れない。
いかに素晴らしいオリジナル作品を作るか?いかに大ヒットした海外の作品の上演権を確保するか?著作権が消滅した原作をいかに現代的に舞台化して上演するか?
ホリプロを主語に例をあげれば、一つ目は「デスノート」であり、二つ目は「ハリーポッター」であり、三つ目はシェイクスピアシリーズなのだろう。
二つ目はブロードウェイやウェストエンドで評判になった作品を見てから買えばいいのだが、日本国内の制作会社はみんな同じことを考えている。いきおい海外で制作が発表される前、された後にいかにアプローチするか?そのスピード感が大事になる。

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来年2月7日から23日まで、東京日生劇場で上演されるミュージカル「バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊」は日本初演となる。

この作品は、ブロードウェイで上演される前に、オフブロードウェイで公演を行う段階でホリプロに出資しないかという誘いが来た作品だった。

出資に当たってはニューヨークの提携先からいくつかの作品の紹介があり、そのうちの一つがこの作品だった。ほかの作品はリバイバル作品も含めて興味の湧く物はなかった。

「初老の男女が田舎の橋をきっかけに不倫の恋に落ちる話なんて、今さら見たくねーよ。」

などとホリプロの現場スタッフに悪態をつきながら次々に企画書を見ていった中で、ふっと目に留まったのがこの「バンズ・ヴィジット」のA4サイズ2枚くらいの、あらすじと投資基準の書かれた簡単な企画書だった。

長年緊張と緩和を続けてきたエジプトとイスラエル。そのエジプトからイスラエルに親善演奏会にやってきた警察音楽隊が、初歩的なミスで目的地と違う何にもないド田舎に連れていかれて迷子になってしまう。応対したイスラエルの市民とのたった一日の話、それもこれといって大きな出来事は何にも起こらない。なのに二つの国の異なる宗教、生活様式も全く違う人たちがいくつかのホームステイ場所で起こす奇跡のような愛情や友情形成の話、これがなんとも心地よさを感じるあらすじだった。

世はまさにイスラム国が世界を震撼させていた時。そんな緊張した時代に、こういう作品を上演しようというのが心憎い。リベラル志向が強く、世界から観光客がやってくるニューヨークでこの作品は受け入れられるのではないかと思い、その場で投資することにした。相手も結論を急いでいるということだったとはいえ、この間わずか30分くらいだったと記憶している。映画が原作とあったが、もちろんその時点で映画は見ていない。出資を決めた後で、アマゾンプライムで配信されていたのを知り、後日原作映画を見た。

ところが、「迷子の警察音楽隊」という邦題がつけられたこの映画、なんとも地味で私には面白くない。出資を決めた後で、「これはマズいな」と思ったほどだ。後で聞いたら東京国際映画祭でグランプリを受賞していたことを知ったが、そんなことも知らずに投資を決めてしまった。

さらに言うと、元々この作品に出資しようとするきっかけとなったのは、それ以前に投資していたミュージカル「ディア・エヴァン・ハンセン」という作品がブロードウェイでヒットしたため、いくばくかの利益が見込めていたため、「こんなビギナーズラックで当てたようなお金を、そのまま日本に持ってくるのはおかしいから、何かよさそうな作品に全部つぎ込んでしまえ!」という発想から決めた、いわば動機が不純ともいえる出資でもあったのだ。

そもそも、この「ディア・エヴァン・ハンセン」に出資したのも、2,3枚の企画書を見せられて興味がありますか?と聞かれたからだ。ざっと読むと、SNSがきっかけで、ちょっとした嘘が大きな事件になってしまう高校生の話、というあらすじを読んだだけで、

「これ、今風じゃない。やろうよ。今みたいにSNSが一気に広まっているうちにすぐ日本でもやろう。」

2016年くらいの話だ。単純な理屈と予感で出資を決めた作品だったので、余計にヒットした後の利益が、いわば「あぶく銭」のように感じてしまっていたのだろう。その時点での利益のほぼすべてつぎ込んだのが「バンズ・ヴィジット」だったというわけ。
これを読んだら、ホリプロはこんないい加減に物事を決めているのかと驚くかも知れないが、エンタテインメントなんてそんなもんだと思う。

なんの事前情報も無く、ただ周囲のビジネス環境から仮説を立てる事だらけ。それで決断したことの8割近くは外れる。打率2割5分でレギュラー選手という野球に似ている。1作1作にもちろん力を入れてはいるが、毎回命懸けだと体がもたない。それ以上に当たりハズレももちろんあるし、一発勝負で結果を求めて外したら破算してしまう。逆に毎回毎回大当たりしていたら今頃大金持ちだ。ましてや何が当たるか全部わかっていれば、何の苦労もしない。だから、演劇や映画の製作というのは、多くの作品の束で収支を考えるポートフォリオを組んでいるようなものだ。

話を元に戻す。「バンズ・ヴィジット」はオフ・ブロードウェイで熱い支持を得て、その年のドラマデスクアウォードなど演劇賞を総なめして、異例のスピードでブロードウェイのバリモアシアターでの上演が決まった。余談だがバリモアという名前は、「映画「E.T.」や「チャーリーズエンジェル」で有名なハリウッドスター、ドリュー・バリモアの大叔母で往年の名女優エセル・バリモアの名前から名づけられている。

さて2017年に始まった「バンズ・ヴィジット」は瞬く間に満員御礼のヒット作となった。私が初めて見たのが上演開始から約半年後の2018年4月だった。

初めて見た後の感想は、「なんておしゃれな作品なんだ!!」

映画を見た後の時とまるで違って、音楽が入ることによって、この何でもない一晩の話が、ドラマティックで、胸がきゅんとする素晴らしい作品に変貌していた。特にエンディングの素晴らしさは鳥肌が立った。ただ、これらの音楽を演奏できる日本人はいるだろうかという不安も同時に感じた。
ミュージシャンはそれぞれオーケストラピットで演奏をしながら、音楽隊の一員として舞台上に上がってきて、セリフはほとんどないものの重要な出演者として参加している。
おまけにミュージシャンの何人かは、楽譜を読まないので、その日のノリでアドリブも入れて演奏していると聞いた。おまけにエジプト人とイスラエル人という設定で二つの国の人間が、かなり鉛の強い英語を話して、設定としては片言の会話で意思の疎通をしていることを表現している。これは難しいぞ。正直日本人による日本語上演は、この時点では困難だと思っていた。

しかしそんな不安をよそに、作品はあれよあれよと評判が評判を呼び、この年のトニー賞にノミネートされ、8月には主要10部門を受賞する偉業を成し遂げてしまった。

トニー賞授賞式が開かれたラジオシティ・ミュージックホール
作品賞受賞の瞬間、客席をバックにステージ上で自撮り


主要10部門受賞というのは「ビリー・エリオット」に並ぶ快挙だそうだ。ちなみにこの年、演劇部門でトニー賞主要部門を席巻したのが「ハリー・ポッターと呪いの子」。今ホリプロが日本版を製作上演している作品であるというのも何かの縁であろうか?

この作品最大の魅力は、お互いの多様性を認め合えば、些細な日常の中で奇跡が起こるということに尽きる。もちろん、アラブ風の音楽や休憩なしの100分というサイズなど、異色のブロードウェイミュージカル作品であることも大きな魅力の一つだ。

そして来年2月、いよいよ日本初演が幕を開ける。演出は「パレード」の森新太郎さん。翻訳の常田景子さん、訳詞の高橋亜子さんは「ビリー・エリオット」でも卓越した才能を発揮していただいた強力タッグ。音楽監督の阿部海太郎さんは蜷川幸雄作品の数々の音楽を手掛け、「100万回生きたねこ」でも作曲と音楽監督をお願いした。珍しい楽器を演奏するミュージシャンも確保した。
こうして、作る側にはハードルの高い作品に集ったキャスト、スタッフ、そして技術の高いミュージシャン達によって、
「あ、こんなミュージカルがあってもいいかも」
「なんか初めて見るミュージカルだった」
日本のミュージカル界で、客席にそう思ってもらえる作品になってくれれば、この作品を日本に持ってきたかいがあるというものだ。

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