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百田尚樹『日本国紀』のホンネは“戦後改悪史観”をばらまくこと?

『日本国紀』の熱狂と欠陥

 いまや50万部を超えるベストセラーとなった百田尚樹著『日本国紀』(幻冬舎)。この書籍については発売直後から話題になり、神棚にお供えしたり神社に奉納するなどの熱狂的な読者まであらわれており、そのうちお寺で焼いたり埋めたりして供養する人が出てくるのも時間の問題かも知れません。
 しかしながらWikipediaや他人の文章の記述を一部改変・抜粋して利用している部分や事実面での誤りなどの問題もいくつも指摘されており、例えばこの論壇netというブログで細かく検証されているところです。

 この記事では、そういう書籍としての構成面の問題ではなく、歴史観というか歴史叙述の観点について正面から考えてみることにします。近現代がこの本の半分以上を占めているので、近現代に限って検討しましょう。

『日本国紀』の戦後改悪史観

 まず先に言ってしまうと、この『日本国紀』の近現代についての歴史観は
「現在の日本は、大日本帝国の改悪・劣化バージョンである」
という観点に立っていると言えるでしょう。
 もう少し詳しくいうと、『日本国紀』の歴史に対する見方は
 「大日本帝国が、横暴・無能な軍部の判断の誤りで戦争に追い込まれて敗れ、GHQによって改悪されたあと、経済的に復興して現在の日本になった」
という感じで、いわば「戦後改悪(+復興)史観」ともいうべきものになっています。

 基本的なスタンスは、敗戦後の日本で行われた改革のプラス面をできるだけ小さく評価して、逆に悪い改革(改悪)が行われたという印象を読者に植え付けようという態度が見て取れるのです。 

日本国憲法の評価

 戦後の占領下での改革(変革)には様々なものがありますが、最も大きな改革といえば、なんといっても日本国憲法の制定でしょう。
 日本国憲法の基本原理は、一般に「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」の三代原則とされています。
 このうち「平和主義」に関連するのが戦争放棄を定めた憲法9条で、これについては百田尚樹氏が否定的なのは、大体読む前から想像がつくと思います。『カエルの楽園』という本を書いて、戦争放棄を揶揄しているくらいだからです。

歴史上の重要な改革なのに、国民主権も基本的人権も出てこない?

 それでは残り2つの原則、すなわち「国民主権」「基本的人権の尊重」についてはどうでしょうか。これらは戦前の大日本帝国憲法には存在しなかったものです。
 大日本帝国憲法では、神聖不可侵の天皇が「統治権を総攬」するとされていて天皇が主権者であり、また国民は天皇の臣下=臣民とされて、天皇が臣民に権利を認めているという構成を取っていました。
 これに対して日本国憲法では、国民が主権者であり、また1人1人が天皇の臣下として権利を与えられるのではなく、生まれながらにして当然に個人として尊重され基本的人権を有するとされています。大日本帝国の憲法にはそのような観念はなかったのですから、戦後の大きな歴史的変革と言えるでしょう。
 これは日本の歴史の中でも重大な転換ですから、歴史の本では是非とも触れなければおかしいはずですが、『日本国紀』はこのあたりをどのように説明しているのでしょうか。

 実は『日本国紀』は、日本国憲法で国民主権と基本的人権が原則とされたことについては、一切触れていないのです。憲法については戦争放棄のことについて批判的に述べただけで、それ以外の重要な点はまったく説明もありません。
 百田尚樹氏は、どうやら基本的人権についても、国民主権についても、歴史上の変革という意味では関心がないようなのです。

天皇機関説も人間宣言も書いてない

ちなみに『日本国紀』では、大日本帝国憲法で天皇が「神聖不可侵」とされていたことについては簡単に触れていますが、「この『神聖不可侵』の意味は、国民が天皇の尊厳を汚してはならないということにすぎない。」(P302 )などとあっさりしています。
 有名な天皇機関説事件は『日本国紀』には登場しませんし、敗戦後に天皇が人間宣言をしたこと、さらに日本国憲法で国政についての権能を持たない「象徴」になったことについても一切書いていません。まさか百田さんが、天皇は今でも神聖不可侵の国家元首であり象徴ではないと思っているわけではないでしょうが、なかなか不思議ではあります。

GHQの五大改革について

 また、戦後の大きな政治・経済・社会についての改革の骨子として、GHQの「五大改革指令」とされるものがあるのですが、これは『日本国紀』でも触れています(P436)。これは日本国憲法制定前の1945年10月にマッカーサーが幣原内閣に命じたもので、「秘密警察の廃止」「労働組合の結成奨励」「婦人解放(婦人参政権)」「教育の自由主義化」「経済の民主化」がその内容です。

財閥解体と農地改革

 このうち「経済の民主化」については、財閥解体と農地改革として比較的簡単に触れています。
 まず財閥解体は、「これにより証券の民主化が進み、近代的な資本主義となった。また一部の財閥に独占されていた市場が開放されて、数多くの新興企業が誕生した。」(P437)と、割に前向きな表現で説明しています。
 その一方で農地改革については「過大評価されている」「現実には日本の地主の多くは大地主ではなく、小作農からの搾取もなかった」と主張して、さらに、農地が細分化されて効率が悪くなり、農業の発展にとってマイナスであったというWikipediaの「農地改革」の記述まで流用して、否定的な見解になっています。
 (しかし戦前、小作農が地主に納めなければならなかった小作料は、1930年頃は概ね50%、敗戦時は30%程度だったようで(リンク先参照)、それでどうして「小作農からの搾取もなかった」と言えるのか、百田氏の考え方はよくわかりません。)
 このように書いたうえで、財閥解体と農地改革については、「弊害もあったが、この大胆な改革があったために、戦後の日本は戦前と比較してきわめて平等性と自由競争に富む社会になったといえなくもない。」(P439) と、恐ろしく後ろ向きな言い方の評価になっています。

「秘密警察の廃止」や「教育の自由主義化」は説明なし…

 一方残りの「秘密警察の廃止」「労働組合の結成奨励」「婦人解放(婦人参政権)」「教育の自由主義化」についてはどのように説明しているかというと、何と、項目名をこのように並べただけで、具体的な改革の内容はまったく何も触れていません。
 例えば「秘密警察の廃止」といえば、その前提となった治安維持法や特別高等警察について何か触れないわけにはければならないはずですが、『日本国紀』には、治安維持法も、特別高等警察も、それらによる国民の自由の抑圧も、一切登場しないのです。
 また「教育の自由主義化」というと、例えば明治時代に定められた教育勅語を教育の場から排除したことについて触れないわけにはいかないと思うのですが、教育勅語そのものが『日本国紀』にはまったく出てこないのです。

教育勅語や治安維持法や特高警察は、都合が悪いから無かったことに?

 このように『日本国紀』には、戦後の占領時代に行われた改革の意義をできるだけ小さく評価し、マイナス面ばかりを強調して取り扱おうという傾向があり、そこから、教育勅語、治安維持法、特別高等警察など、触れると都合が良くない(=「戦後の改悪」を強調できなくなる)物事については、一切触れないでおこうという発想が強くあらわれていることが見て取れます。

GHQによる「弾圧」はあるが、戦前の日本政府による弾圧は?

 一方、GHQの施策のマイナス面として、日本人に対して戦争への罪悪感を植え付けて「洗脳」したという話は数ページにわたり強調され、戦中に重要な地位にあった者を公職から追放したことや、戦前戦中の政府による弾圧を受けていた学者が復活したことも、まるで悪いことであるかのようにえんえんと描かれています(P426)。

 『日本国紀』では、教育勅語による国民の天皇への従順な意識の植え付けや、治安維持法による言論弾圧も一切なかったことにされていて、軍部が一時的に暴走しただけのような扱いですから、戦後の改革が「改悪」「堕落」のような書き方になるのも、また必然と言えるかも知れません。

 

よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。