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「天皇」について考えてみる(1) "尊皇派"の考え方について

(写真はhttp://www.shihei.com/free01/kokyo01.html より)
 改元と新たな天皇・皇后の即位を迎えて、新聞・テレビから出版社までのメディアでも「日本にとって天皇とは何か」「皇室の歴史」などのテーマを取り上げているのが目立ちます。そこでこのブログでも「天皇」について改めて考えてみることにしました。語れば長いテーマですので、何回かに分けることにします。

「尊皇派」の人々

 今回は「天皇はなぜ『尊い』のか」ということです。とはいえ、こう書くと私自身が「天皇は客観的に尊いのだ」と主張しているかのように誤解されかねないので、「天皇はなぜ『尊い』とされるのか?」とか「天皇をなぜ『尊い』と思う人々が相当程度いるのか?」などという書き方の方が良いかも知れません。
 いずれにしても「天皇は尊い存在だ」と考える人が一定数いるのは、賛否は別にして事実でしょう。こういう人たちを便宜上ここでは「尊皇派」と呼ぶことにします。

なぜ尊皇派は天皇を尊ぶのか?

 それでは、そういう尊皇派の人々は、なぜ「天皇は尊い」と考えるのでしょうか?

 別にアンケート調査などをしたわけではありませんが、尊皇派の人々に「あなたはなぜ天皇を尊いと思うのですか?」と質問して理由を尋ねてみると、おそらく「天照大神や神武天皇などの神話につながる家柄だから」とか「神道の最高の神職者のような立場だから」とか「伝統的な文化を守ってきたからだ」などの答えが返ってくるのだろうと思われます。
 このような価値観の是非や評価については、ここでは立ち入りません。

憲法で定めているから天皇は「尊い」のか?

 さて、ここで「憲法で定めた日本国民統合の象徴だから尊い」と答える人はいるでしょうか?
 一見、そういう答えもありそうに思えますが、少し論理的に考えてみましょう。「憲法で定めた象徴だから、天皇は尊い」ということは、逆に「憲法で象徴と定めていなければ、天皇は尊くない」ということになります。
 果たして、尊皇派の人々が考える「天皇の尊さ」とは、このように、憲法の規定次第で生まれたり消えたりするようなものなのでしょうか?
 おそらくこういう割り切った発想の人はかなり少数派というか例外でしかなく、ほとんどの尊皇派は、さきほど書いたように、「神話につながる家柄だから」とか「伝統的な文化を守ってきたから」などの理由で天皇を尊重しているのではないでしょうか。

憲法の規定に天皇の条項がなかったら?

そうなると尊皇派としては、「憲法で定めた象徴でなくても、天皇は尊い」ということが言えることになるはずです。
 つまり「天皇は、憲法の定める日本国民統合の象徴であろうとなかろうと、尊い」ということになり、その理屈を推し進めれば、究極的には「憲法に天皇の規定が存在しないとしても、皇室が税金で運営される存在でなくても、法律上は一般人と同じ扱いでも(=要するに、日本国が共和政体であっても)天皇は尊い」ということになるでしょう。

まとめ

 天皇の存在を否定的に考えて「天皇制は廃止すべきだ」という立場に立つなら、余計な議論は必要ありません。憲法から天皇の規定を削除すべきだということで、一応は理屈が完結します。
 問題は、いわゆる尊皇派の立場に立つ人の場合で、「天皇は尊い」と考える理由がどこにあるかを考え直してみる必要があります。「憲法に定めたから天皇は尊い(=憲法に定めていなければ天皇は尊くない)」と考えるなら別ですが、そうでないなら、別に憲法から天皇の規定が削除されても、尊皇派にとっての「天皇の尊さ」には変わりはないということになるでしょう。

 

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