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日本国憲法の中の「押しつけ」でない部分とは?

押しつけ憲法かどうか

 憲法について議論する場では、「日本国憲法はアメリカの占領下で、GHQの指導を受けて作られたから、押しつけ憲法だ」という意見がわりと普通に見受けられます。
 “押しつけ憲法”と呼ぶかどうか、また改正すべきかどうかは別として、現実の歴史のなりゆきとして占領下で今の憲法が作られたことは事実ですから、少なくともGHQの意向に反する内容にはできなかったことは、間違いありません。
(なお最初にお断りしておくと、いつも論争の的になる「9条」についてはここでは触れません。)

 ただし反対に、GHQがすべてを決めて、それをそのまま日本国憲法として機械的・事務的に日本に受け入れただけなのかというと、決してそういうわけではありません。GHQの意向に反する内容の憲法にすることができなかったということは、逆にいえば、GHQが異議を唱えない範囲では、日本側の意向を反映することができたということでもあります。
 ここでいう「日本側」というのは、日本政府という意味もありますが、それ以上に、民意を反映した日本の議会が重要な存在です。

日本で初めての男女平等選挙による帝国議会

 帝国憲法の改正の審議のため、終戦後間もない1945年12月17日に改正された衆議院議員選挙法が公布されて女性にも参政権が与えられ、1946年4月10日に、戦後第1回の、なおかつ日本で最初の男女平等の衆議院選挙が実施されました。
 なぜ衆議院選挙だけの選挙だったかというと、この時点では旧帝国憲法がまだ存在していたので、「国会」ではなく「帝国議会」であり、参議院ではなく貴族院が設置されていたからです。貴族院は、勅任議員(天皇が任命する議員)と、世襲の華族や皇族の議員から構成されていて、議員は選挙で選ばれるものではありませんでした。従って1946年に選挙で選んだのは衆議院議員だけだったわけです。

議会の審議の中で条文が追加された

 この時新たに選ばれた衆議院議員たちを集めて、貴族院議員とあわせて帝国議会が開会され、憲法改正の案を審議することになったのです。手順としては、GHQの案をそのまま右から左に議会に提出したわけではなく、日本政府がGHQ案を踏まえた原案をつくってGHQの了解をとりつけ、それを議会で審議する形になりました。

 この帝国議会での審議の中で、GHQ案(とそれを踏まえた原案)には無かった条文が、いくつか追加されたのです。つまりGHQに指示されたからではなく、日本側の発案で入れられた条文ということになります。
  ここでそのすべてを検討することはできません。とりあえず追加された条文を2点、手短かに紹介するにとどめます。それは17条と25条です。

憲法17条の追加

 まず憲法17条は、国家賠償を決めています。条文は次のとおりです。

何人(なんびと)も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

 これは公務員が不法行為をした場合に、それによって損害を受けた人は国や地方公共団体等に損害賠償を求めることができるということです。わかりやすい例としては、警察官が運転するパトカーが過失で事故を起こして歩行者をケガさせたようなケースです。

  このような公務員による不法行為の場合、国(や地方公共団体)が賠償するのは当たり前のことのように見えますが、実は帝国憲法にはこのような規定はなかったのです。戦前は国が国民に対して賠償責任を負うという発想は、原則として存在しませんでした。

 そればかりではなく、帝国憲法の改正についてのGHQ案にもやはり国家賠償の定めはありませんでした。というのは、アメリカにも、まだこの時点では国家賠償という発想がなかったからです。(アメリカで、国家賠償の法制度が導入されたのは、1946年8月でした。)

 このような中で衆議院での審議を経て、17条の国家賠償の規定が新たに追加されたのでした。つまり日本人が自分の発案で、憲法に新たに国家賠償の制度を設けたわけです。

憲法25条の追加

 もう一つの例として挙げておきたいのは25条で、これは有名な「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する、つまり生存権保障の条項です。これは割りとよく知られている条文ですが、まずは見てみましょう。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 生存権の保障は、他国の例でいえばドイツの第一次大戦後のワイマール憲法が有名です。国が生活保護などの社会福祉で国民の生存権を保障する義務があるという発想ですが、アメリカ憲法にはこの種の規定はありません。(もちろんアメリカにも社会福祉制度がないわけではありませんが、憲法で国の義務として定めているわけではありません。)

 GHQの案にもこういう発想はなかったのですが、衆議院で提案がなされて、この生存権についての25条を付け加えることになったのです。別にGHQがやれといったわけではありません。

 このように、もともとのGHQ案にはなかったにもかかわらず、衆議院で議員たちの発案で追加された条項は他にもありました。

 今の日本国憲法を「押しつけ憲法」と呼ぶかどうかはともかくとして、少なくとも17条と25条は、「押しつけ」ではないどころか、日本初めての男女平等の自由な選挙で選ばれた議員たちが、別にGHQに指示されたわけでもなく独自に付け加えたものであり、当時のアメリカ憲法よりも人権保障という観点ではさらに進んだ日本独自の条項なのです。


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