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「つづける」とは継続なのか、断続なのか

かなり時間が経ってしまったが、先日「note」を運営する株式会社ピースオブケイクさんの勉強会に参加してきた。イベント趣旨は「#noteのつづけ方」というもの。

noteは「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」をミッションとしています。

「創作」というと、少しハードルが高く感じるかもしれません。実は普通の会社員はもちろん、新入社員でもフリーランスでも、誰でも創作ができますし、それが誰かの役に立つ時代です。

ただ、「noteをはじめてみたけど、忙しくて何も書けてない」とか「どうすれば自分の仕事にnoteが役に立つか分からない」と感じている方もまだまだ少なくないようです。

そこで、今回は「#noteのつづけ方」をテーマにイベントを開催します。
今回のイベントのスピーカーは、7月からnoteプロデューサーとして就任した最所さんと徳力さんです。

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僕自身のことを振り返ってみると、昨年から少しずつnoteの更新頻度を高めることができている。週一ペースで、2,000〜3,000文字の分量の記事を書くこと。「物語り」や「言葉」に関することを中心に書くこと。ただのファクト記事でなく自分語りもすること。自分と読み手の距離感に配慮すること。そんなぼんやりとしたポリシーも思い浮かべながら、筆を進めることができている。

だが、そこに至るまでは多少の葛藤もあった。毎日更新しようと思って挫けてしまったり、渾身の記事が殆ど読まれず心が折れたり、そもそもnoteのような外部プラットフォームでなく自分のブログをもっと大切にした方が良いのではと思ったり。どんな記事を書けば良いのかという根本の悩みもあったし、それこそ現在進行形で「迷い」続けている

振り返ってみると、僕はWeb日記を含めて(2003年頃の話です。HTMLベタ打ちで書いていました。各ブラウザが完全にCSSサポートする前のことです)、既に16年くらい書き続けている。小学校のときに作文で賞を獲得して以来、書くこと=得意なことと認識している節があって。書くことは表現、つまりは自分自身を表す行為そのものだと思っている。

だからこそ常に悩んでいるのかもしれない。書くことに悩まなくなったとしたら、それは自分自身のピークが過ぎ、下り坂を惰性で進んでいる状態なのかもしれない。それは大袈裟だけど、書くことへの意識がどう在るかが僕のコンディションのリトマス試験紙であることは疑いなさそうだ。

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最所さんがイベント終わりでコメントしていたことが印象的だった。「書けなくなったら書かなくて良い」「頑張り過ぎるとハードルが上がるから、むしろ頑張らないことを意識した方がいい」「人は多面的なものだから、書いているうちに自身の興味がexpandする」というもので、最初から戦略的に動き過ぎない方が良いよというメッセージだったと僕は解釈している。

何を書くか、よりも、何か書く。
自分のペースで、書き続ける。

何かしらのTIPSを期待している人にとっては肩透かしな話だったかもしれないが、僕は「継続」と「断続」について思い直すきっかけになり、とても良い時間だったと思っている。

真面目な人にとって、継続は尊いものだ。フランスのピアニスト、アルフレッド・コルトーさんの名言に「1日練習しなければ自分に分かる、2日練習しなければ批評家に分かる、3日練習しなければ聴衆に分かる」というものがある。強迫観念のように続けることが重荷になってしまい、結局断念してしまうケースが殆どだ。僕も、英語やら筋トレやらは続けることができなくて悲しみが深い。

だけど、最所さんも徳力さんも、「つづける」=断続というニュアンスで語っていたように僕は感じた。疲れたら休んで、気が向いたらまた再開すれば良いじゃないというように。

大学の恩師の小杉俊哉さんも、自著『ラッキーをつかみ取る技術』の中でこんな風に読者を励ましている。

努力、すなわち継続的学習は、ビジネス・ピープルにとっても今や必須となりました。アウトプットが商品やサービスの提供だけではなく、ソリューション、顧客満足、価値提供、高品質低価格など顧客の要求が複雑にそしてより難度が高くなり、それに応えるためには、絶えず、最新の技術、知識を取り入れ、自分を高めるというインプットをしていることが必須となったからです。これだ、ということを自分で決めたらとにかくそれをやり切ってみるということが必要です。
(中略、文豪・ゲーテも壁にぶち当たって継続的に努力することが難しいことに言及して)私たちが、よしやるぞ!と意気軒昂に始めても、すぐにうまくいかなくなったり、暗礁に乗り上げるのは当たり前だということなのです。大事なのは絶対にやる!と決意することです。三日坊主になっても、また再開すればよいのです。継続はできなくとも「断続」は力なり、です。(小杉俊哉『ラッキーをつかみ取る技術』P228〜230より引用。太字は私)

途切れることを「悪」と思う必要はない。もちろん長く続ける人は尊いけれど、他人との比較ではなく、あくまで対峙するのは自分自身だ。

幸いにも、僕はnoteを書くことが楽しい。そしてnoteを読むことも楽しい。スキやフォローしてくれる人のプロフィールをこっそり覗いたり、エモい自分語りのエントリを眺めるのも好きなんだ。どれか一つでも続いているなら、それだけで「noteをつづける」ことになっているはず。良質なアウトプットのためには、良質なインプットが欠かせないのだ。

僕なりの #noteのつづけ方 が、誰かにちょっとでも寄り添えるものとして存在できたら嬉しい。そんな文章を綴っていきたい。

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そして最後になってしまいましたが、貴重なお話をしていただいた最所さん、徳力さん、ありがとうございました!


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