自分が麻雀AIになる世界
○『horiwo128型AI』が生まれる日は近い
「ないおトン→NAGA」のように、特定のプレイヤーの牌譜をもとに学習したAIが、既に登場し、結果を出している。
近い将来、自作の麻雀AIを作る技術的なハードルは大きく下がるだろう。
ネット麻雀は、リアルタイムでプレイするユーザーと、自作AIに戦わせておくユーザーの混在する場所になる。
もっと言えば、NAGAとSuphxとLuckyJをもとに学習し、天鳳で大暴れするAIが現れてもおかしくはない。
今はまだ、個人が麻雀AI開発に参入するには、少しハードルが高いが、それも時間の問題だろう。
なんなら、僕がやったっていい。
AIの勉強を一からやるのは大変だが、決して不可能ではない。既に、成功例がいくつもあるのだから。
「horiwo128AI」が完成したら、あとは勝手に戦ってもらうだけだ。これなら、僕は麻雀をする必要もない。
タイプと名前を少しずつ変えて「horiwo128AI」を100体同時に投入することだって、できるはずだ。
ミスもしない。疲れもしない。
好成績は、期待できるだろう。
ただいくつか疑問が残る。
・「horiwo128AI」と「horiwo128」の強さは、どう違うのか?
・「horiwo128AI」に麻雀を打たせておいて、果たして僕は楽しいのか?
「常識に反している」「そんなことして良いわけがない」というのなら、つい2〜3年前のネット麻雀界を思い出してほしい。
NAGAやSuphxを生み出したのは、常識を疑い、批判を跳ね除けて新しいことに挑戦した人の功績ではないだろうか。
新しいものは常識を疑うことからしか生まれない。
「常識的でない」のなら、それはむしろ喜ぶべきことだ。
「常識に則って、誰からも批判されない」ことに価値をおいていては、時代の流れに取り残されるだけだ。
自身の感じる"楽しさ"というのは、おもしろいテーマだと思う。
いくら自動運転の技術が発達しても、自分で運転したいという人は一定数いるらしい。
"運転する"という行為の中に、得られるものがあるということだ。
強い麻雀AIを手軽に作れる時代になっても、「自分で打つ楽しさを味わいたい」と思う人は、きっといるだろう。
であれば、今から「自分で打つ楽しさ」を追求しておくことには、大きな価値があるのではないだろうか?
ミスを減らすのも、ポイントを効率的に稼ぐのも、あくまで麻雀の楽しみ方の一つのはずだ。
このあたりが、僕が必死に「人間らしい麻雀」を追い求める理由だ。
いつか生まれるhoriwo128AIに負けないくらい、いつまでも楽しい麻雀を打ち続ける人でありたい。
ではまた。
読んでくれて、ありがとう。
2024年1月18日 horiwo128(人間)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?