ネット公開「誰をいかなる理由で排除しようとしているのか? ―SNSにおけるトランス女性差別現象から」堀あきこ(英訳あり)Excluding Whom for What? A Look at Transphobia in the Japanese Twittersphere - Akiko Hori (English follows Japanese)

 この記事は『福音と世界』2019年6月号に書いたものです。日本のインターネットにおけるトランス女性への排除言説をまとめ、差別を考え、差別に抗うために書きました。
 私は、こうした記事執筆やハッシュタグキャンペーン、反トランスフォビア声明の発表(2,715人が賛同署名)を、ジェンダー/セクシュアリティ研究者たちと一緒にカウンターアクションとして行ってきました。

 しかし、これらのアクションを受け、日本におけるトランス排除的言説を擁護する英語の投稿が登場しています。これらはおそらく、英語圏におけるトランスフォビックな考えの持ち主にアピールするために英語で書かれたものと思われます。
 これをふまえ、本記事をインターネットで英訳とともに発表することとしました。『福音と世界』の出版社である新教出版社には、転載の申し出に対し、暖かく、素早い同意をいただきました。心からお礼を申し上げます。また、英訳にご協力いただいた佐藤まなさんにも、深くお礼申し上げます。(漢数字をローマ数字にして掲載しています)

This article was originally published in the June 2019 edition of Fukuin to Sekai [The World and the Gospel] in order to provide an overview to the online Japanese discourse excluding trans women, and to think about and speak out against such discrimination.
I have been publishing articles such as this one, organized a hashtag campaign, and issued an anti-transphobia statement (co-signed by 2,715 individuals) as counteractions against online transphobia along with a group of scholars on gender/sexuality.

In response to these actions, however, there have been some English posts defending trans-exclusionary discourse in Japan. These are written in English presumably to appeal to people with transphobic ideas overseas.
On these premises, I have decided to publish my article online along with an English version thereof. I offer my sincerest gratitude to Shinkyo Publishing, the publisher of Fukuin to Sekai, for their swift and welcoming response to my request for online republishing. I also would like to thank Mana Sato for translating the article into English.

誰をいかなる理由で排除しようとしているのか?――SNSにおけるトランス女性差別現象から                 堀あきこ 

 

 インターネット(主にツイッター)において、昨年の夏から、トランス女性(生まれた時に割り当てられた性別は男性であったが、性別違和を持ち、女性として生きることを望む人や女性として生きる人)に対する差別や排除発言が続いており、こうした発言の多くが、フェミニストを公言している女性からなされている。本稿では、その経緯と論点を整理して検証し、何が問題であるかを提示する。ただ、現在進行中の現象であること、ツイッターでは自分に見える情報と、他の人が見る情報が同じではないという仕組みがあることから、この論考はあくまで私の位置からまとめたものであることを断っておきたい。

 

それはどのようにして始まったのか 

 
 2018年7月2日、以下の報道を私はツイートした。

「お茶の水女子大は2日、戸籍上は男性でも自身の性別が女性だと認識しているトランスジェンダーの学生を2020年度から受け入れる方針を明らかにした。文部科学省によると、国内の女子大では極めて異例」(共同通信社、2018/7/2) 

 またたく間に、4,500を超えるリツイート(RT)と7,000を超える「いいね」がつき、ニュースを肯定的に捉えるたくさんの通知コメントがきた。 

 しかし、同時に、女子大の存在意義を問う声(「女性も普通に大学に入れる時代に女子大は必要?」「戸籍が男性の人が入学するのなら、共学にすれば?」)や、「どうやって本当のトランスジェンダーだと判断するのか」「不審者がトランスジェンダーだと偽るかも」といった声もあがっていた。中でも作家・百田尚樹氏のツイートは注目を集めた。

「よーし、今から受験勉強に挑戦して、2020年にお茶の水女子大学に入学を目指すぞ!(1)」(2018/7/5)

 
 このツイートへの返信は、多くが「冗談が過ぎる」「無神経」「トランスジェンダー差別だ」という批判的な声だった。

 百田氏のツイートと同じ5日のウェブ記事(2)では、「嘘をついて入学する男性がでてくるのではないか」「なにか事件が起きたらどうするのか」などのツイートが、不正確な知識に基づく誤解、トランスフォビアなものとして紹介されている。声明から3日後という非常に早いタイミングで記事に取り上げられるほど、トランス女性に対する差別的意見が目立っていたことを示していると言えるだろう。

追い詰められる当事者と差別への抗い

 お茶の水女子大学の室伏きみ子学長は10日に行われた会見で、このような説明をしている。

「学内での説明会はかなりやってきた。教職員、同窓生などには20回ほど行い、学生にも3回行った。学生からの反応はとても前向きな反応で、方針への反対はなかった。」(3)(2018/7/10)

 しかし、大学の説明とは裏腹に、ツイッターでは大学のトイレ、更衣室といった女性専用スペースをトランス女性が使用することを問題視する声が大きくなっていく。

 「事件が起きたらどうするのか」とトランス女性を犯罪者予備軍のように語る発言が続き、それを差別だと指摘する声や当事者からの丁寧な説明もされたが、トランス女性を排除しようとする言葉は激化していく。 

 そして、2019年1月9日、「ツイッターのせいで高校からの友達が死んだ(4)」という記事がアップされた。投稿者の友人であるトランス女性が、お茶の水女子大学の声明をきっかけに、悪意あるツイートを向けられるようになり、その結果、自死してしまったという内容だった。

 この記事を知った多くの人は、「ついに起こってしまった」と感じたのではないかと思う。差別的言説の増長はとどまるところを知らず、ひどい言葉をぶつけられ、心身の不調を訴え、消えてしまったトランス女性のアカウントがたくさんあった。この半年でツイッターはむごたらしい場所となっていた。

 私は12月の下旬から、ジェンダーやフェミニズムに関わる者として何かまとまった情報を発信すべきではないかと、動き始めていた。当事者がトランスフォビアに対峙している状況と、トランスフォビアを肯定する奇妙なジェンダー論やフェミニズムがはびこっている状況をなんとかしたかった。知人の研究者たちに連絡し、記事を書いてウェブで公表していく、という形の見通しが立ったその矢先、「ツイッターのせいで高校からの友達が死んだ」が投稿されたのだった。
 
 記事にはこう書かれている。

「半年前、御茶ノ水(表記ママ)女子大学がトランス女性の入学を受け入れるというニュースに喜んだ彼女は、[…]ツイッターで、トランス様とか「男体持ち」とか言われて、「トランス」で検索すると凄まじい量の攻撃があるのを見て、男性たちが「俺も女装して女子大に入る笑」みたいにバカにしたり茶化してるのを見て、何もしてなくてもそういうツイートが流れてくるのを見て、そん[な]風にトランスを嫌悪したりバカにしたり排除したりするツイートを沢山の人達がしてるのを見て、ツイッターで繋がっている他のトランス仲間が傷ついたりセラピーに行ったりしてるのを見て、本人も「この状況はきつい」と私に伝えて泣いてしまうほどふさぎこんでました。」(5)

 同じようなつらい体験をしている人はたくさんいる。私は、彼女のように死を選ぶ人がこれ以上現れてはいけない、と祈るような気持ちで記事を書いた。みなと相談して「#トランスジェンダーとともに」、「#ともにあるためのフェミニズム」というハッシュタグを作り、賛同してくれたwezzyという情報サイトで、「トランスジェンダーとフェミニズム――ツイッターの惨状に対して研究者ができること」(6)を掲載していただいた(2019年1月15日)。以降、他の研究者の記事も追加され、フェミニズムの情報を集めたサイト(WAN、Women’s Action Network)では、すべての記事をまとめて読めるようアーカイブ化してもらっている(7)。

 しかし、多くの人に記事を読んでもらっても、肝心のトランスフォビアは止む気配を見せなかった。私たちは「できることはなんでもしよう」と、「トランス女性に対する差別と排除とに反対するフェミニストおよびジェンダー/セクシュアリティ研究者の声明」を出し、賛同署名を募った。2月23日から4月10日の期間に3,342人分の署名が集まった。有効署名は2,715人、うち1,368人が名前を公開してよいとされていた。

 公開のための作業で、お一人お一人の名前を見ながら、胸が詰まった。さまざまなジェンダーや職業、性的マイノリティもマジョリティもいる。苦しい立場にあるトランス女性を慮り、このような状況が早く終わってほしいと願うメッセージもあった。こんなにたくさんの人が名前をあげ、トランス差別に反対している。命を絶ってしまった彼女にこの気持ちは届くだろうか。ツイッターを見て、不安な気持ちになっているトランスジェンダーに、「あなたとともに生きていく」と意思表示している人たちの存在が見えるだろうか。どうか、届いてほしい、そして、生き延びてほしい。

 けれど、まだトランスフォビアの嵐はやまない。3月8日にあったウィメンズ・マーチに、トランスフォビックなプラカードを掲げようとする動きさえあった。これが、2018年7月から2019年4月に至る経緯である。

論点1 女性専用スペースの使用をめぐって

 トランス差別・排除の言説は、何を論点としていたのか。実際の言葉をあげ3つにまとめてみたい。

 まず、最大の論点となっているのが女性専用スペースの使用である。お茶の水女子大学の声明時に示された、女子大にトランス女性が入学すること自体への「不安」は、すぐにトイレやシャワー、着替えの場所などを共有することへの「不安」へと焦点化され、「男性性犯罪者の侵入を増やす」というものにすり替わっていく。

「今までは男が女子トイレにいたら不審者ってすぐわかるけど女子トイレまで(姿は男寄りだけど心は女の)トランス女性OKにしたら不審者と見分けつかなくなって女子学生に危険が及ぶでしょ」(8)(2018/7/10)

 トランス女性を犯罪と結びつける恐怖の語りに対し、トランス女性はトラブルを避けるように暮らしており、女性用トイレの使用を躊躇う人や、「だれでもトイレ」の数が少なく排尿障害を起こしている人も多いことが語られていた。しかし、女性専用スペース使用に反対する人々は、男性身体への恐怖を表明し続けた。

「「男体持ちを警戒する」というのはトランス女性への不当な差別、トランスフォビアなんかではないということです。シスヘテロ男性による加害に虐げられてきた女性が、犯罪者たちの共通項として男体を警戒するのは、トランスへの差別でなく、シスヘテロ男性への恐怖として当然の反応です。」(9)(2018/10/26)

 トランス女性を「男体持ち」と語る理由に、女性差別や女性の性暴力被害経験があげられている。シス男性による加害への恐怖をトランス女性に向けるのは間違いだと指摘されるのだが、男女の性別二元論の枠は強固に閉じられ、排除の理由が重ねられる。

「男体持ちを警戒しなくていい社会で全ての大学が男女共学ならトランスであろうとなかろうと関係なくなるんだけどね…。今の日本では、やっぱり男体持ちである時点で被害経験をもつ女性たちが警戒するのは当然では?と思ってしまう。」

「それは差別だと言われても…。どうして警戒せざるを得ないのかを考えてほしいし、まずは女性ではなくて加害を繰り返す男や男の加害行為に甘い社会の方に文句を言ってくれよと思うんだけど、真っ先にシスヘテ女性の方を威嚇してくる態度って、男女差別の構造の上に乗っかってる感じがする。」(10)(2018/7/6)

  このツイートでは、トランス女性を危険視するのは差別だという指摘こそ、女性差別だと語られている。トランス女性はシス女性同様に(そして、それ以上に)低賃金であったり、不安定な雇用であったり、バカにされたり、女性差別と性暴力被害を受けたりしているというのに。

 公衆浴場も「ペニスを突然目にする恐怖」として語られる。トランス女性は公衆浴場を利用する権利を有している(災害時の避難スペースでトランスジェンダーが不便な思いをしていることを忘れてはならない)。しかし、現実には、(ペニスを持つ)トランス女性が公衆浴場を利用するのは難しい状況がある。「平穏に過ごすことを願うトランス女性にとって、一番ストレスフルな状況とは「自分の元の性別がその場の話題になる」ことです。だとすれば、ペニスがついたまま女湯に入るという行為は、多くの未オペMtFにとってむしろ一番考えられない行為なのです」(11)とも語られている。だが、「ペニスがあるのに女湯に入っているトランスジェンダーがいる」とのデマは、シス女性に不安を与える話として拡散され続けている。トランス女性の性犯罪者の話ばかりが繰り返され、シス女性による犯罪は無視されているのも同様だ。

 トランス女性の身体を「男体持ち」としたうえで、女性専用スペースでの性被害を強調するのは、現実と合致していないし、女性差別的な社会構造や男性による性暴力もトランス女性が原因ではない。抗うべき敵を間違っているのだ。女性専用スペースからトランス女性を排除する論は、生物学的性別の最重視によってトランス女性を男性とみなす考えと、それに伴う「ミスジェンダリング」という差別で構成されていると考えられる。

論点2 生物学的な性別とミスジェンダリング

 男性身体への恐怖や不安が、別の形で表明されたのが、2018年11月にあった、米国の女子陸上大会でトランス女性が1位と2位を占めたという報道だった。

「私は、これは許されないと思う。これを認めると本来与えられたはずの生物学的女性アスリートの奨学金や将来が奪われてしまう。生物学的な性別の違いを性自認のみで無視することはできない」(12)(2018/11/21)

 このツイートに対し、「誰が『真の』女性かという問いにしてしまうと、排除される人が出てきてしまう」と危険性を訴える声があげられたが、「女性の定義を曖昧にすることで今まで使えていた女性用スペースが使えなくなる人、排除される人が出てしまう」と反論がなされる。このとき、女性の定義として語られるのが「生物学的性別」である。

 しかし、「生物学的性別」でなされる男女の二分は、それほど明確なものではない。スポーツにおける性別確認検査の歴史は、それがいかに困難なものであったかを示しているし、一般的に出生時に付与される性別は染色体検査によるものでもない。そして、ヒトが「オス/メス」だけで二分できないのは、人間には性自認・自己同一性gender identityがあり、それは一人の人が社会でどう位置づけられているかということと深く関わるものだからだ。

 スポーツの話題は急速に萎み、その後、現れたのがトランス女性は「男性身体の特権性」を持つという主張である。これまでも「男体持ち」という言葉がトランス女性に向けられてきたが、トランス女性を男性とみなして語ることはミスジェンダリング(誤った性別割り当て)と呼ばれる(13)。ツイッター社も、他者の尊厳を低下させる内容には「意図的にトランスジェンダー個人の性別を間違えたり、性別移行前の名前で呼ぶことが含まれ」るとして、禁じている(14)。

 しかし、ミスジェンダリングは差別だと指摘されても、「男体持ち」や「男性身体の特権性」という言葉は繰り返された。これに抗するために、「トランス女性は女性です」というスローガンが用いられるようになったが、「性自認がどうだろうと「女性」ではないんだから本来は女性スペースにも女子大にも入れるべきではないと思う」(15)といった言葉が平然と呟かれている。フェミニストが差別の解消を訴えながら、差別を行うというのは、異常なことではないだろうか。

論点3 トランスジェンダーとは誰か 

 ミスジェンダリングで強調されるのが、性暴力を引き起こすものとしてのペニスの存在だ。このペニスへのこだわりは、性別適合手術(SRS)済みのトランス女性と、そうではないトランス女性を分類しようとする思考となり、「トランスジェンダーを定義せよ」と要求されるようになった。この要求の背景には、女性専用スペースを使ってよいトランスと、使ってはいけないトランスを区分、分類しようとする意図が込められている。

 トランスジェンダー概念は幅広い。性別違和を持っていても、性別適合手術を(どれぐらい)希望するかしないか、ホルモン療法を希望するかしないか、様々だ。トランス女性は女性として生きる人だが、どのような/どのように女性として生きるかは個人が選ぶ多様なものなのだ。冒頭に書いた定義はすでになされているのに、執拗にトランスジェンダーの定義を求める声の内実は、SRSを終え、戸籍変更し、シス女性として通用する見た目の人だけをトランス女性として認めようとする罠であった。これを拒んだ研究者が批判されるという事態も起こったが、トランス女性を排除するための手助けなどできるはずはない。

何に抗うのか

   トランス差別・排除言説の担い手の多くは、フェミニストを自称する女性であり、彼女たちは、# MeToo に共感し、医大入試の女性差別に怒る人々である。彼女たちは女性差別を「人権問題」として考え、怒ってきた。しかし、トランスジェンダーの人権がサポートされると、シス女性の人権の「パイ」が減ってしまうと主張する。 

「まず女体の女性が救われてないのにトランス女性の全てを受け入れるなんてできるわけ無いです。女体の女性が救われた次のステップにしましょう。のっかからないで、自ら活動してください。女性はいっぱいいっぱいです。」(16)(2019/3/8)

 人権はこれが先、あっちは後と順序付けされるようなものではない。誰かの椅子を奪って自分だけが座るというのか。フェミニズムは女性の問題を後回しにするなと、これは「人権問題」だと、男性社会に訴えてきたのではなかったのか。

 国際基督教大学でセクシュアル・マイノリティ学生の支援を続け、取り組みを制度化されてきた田中かず子氏は、以下のように自分の体験を語っている。

「マジョリティの私は、性的マイノリティの人たちが直面している問題を、肌感覚で理解することができない。だから当事者が人権侵害だと申し立てることができるようにすれば、それによって環境を変えていくことができると思っていました。でも、申し立て自体が難しいのです」

「ならば、マジョリティが当事者となるような問いを立てるべきではないか。性的マイノリティへの差別や偏見を生みだす文化や構造に対して、マジョリティが当事者としてどう抗っていくのか、という問い。マイノリティを「支援する」のではなく、マジョリティは自分の問題としてこの抑圧構造に向き合う必要がある」(17) 

 自死してしまった彼女に対する責任は、私たちに、私たちの社会にある。シスジェンダーが基準とされる社会で、トランスジェンダーが生きづらかったり差別を受けたりすることの原因は、シスジェンダー、マジョリティ側が用意したものだからだ。そのことに最も早く気づいて人権問題と捉え、社会変革を訴えることができるのがフェミニストではないのか。女性専用スペースの安全性や、女性への性暴力の問題はもちろん重要だ。けれど、その「女性」にはトランス女性も含まれているのだ。その前提を共有することなしに、誰もが尊厳を守られ、自由に生きることのできる社会を構築できるはずもない。平等な社会の実現はフェミニズムの課題なのだと、この悪夢のような騒動の中で、私は信じている。

(1)https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1014553691850924033
(2)wezzy「お茶大「性自認が女性のトランスジェンダー入学可」で明らかになった社会のトランスフォビア」https://wezz-y.com/archives/56285
(3)https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/09/ochadai-kaiken_a_23478268/
(4)https://anond.hatelabo.jp/20190109004202
(5)注4と同じ
(6)https://wezz-y.com/archives/62688
(7)https://wan.or.jp/general/category/transgender
(8)https://twitter.com/sj795gbh/status/1016648115875602432
(9)https://twitter.com/studentFem_N/status/1055841800043225091
(10)https://twitter.com/gohstofcain/status/1015224264037765121
(11)https://kuroimtf.hatenablog.jp/entry/2019/01/08/100659
(12)https://twitter.com/traductricemtl/status/1064991065000878085
(13)小宮友根「「女性専用スペース」とトランスフォビア」https://wan.or.jp/article/show/8211
(14)https://help.twitter.com/ja/rules-and-policies/hateful-conduct-policy
(15)https://twitter.com/Meisarada5/status/1078864466836578304
(16)https://twitter.com/pGJiukMswdECZTx/status/1103909316547960832
(17)田中かず子(2018)「トランス学生支援からみえてきたこと――ICUでの経験」日本女子大学人間社会学部LGBT研究会編『LGBTと女子大学――誰もが自分らしく輝ける大学を目指して』学文社

 Excluding Whom for What? A Look at Transphobia in the Japanese Twittersphere

Akiko Hori

(Translated from the Japanese version by Mana Sato)

Since summer 2018, there has been a torrent of discriminatory and exclusionary remarks against trans women (i.e. people who were assigned male at birth but have experienced gender dysphoria and live or wish to live as women) in the Japanese Internet-sphere, especially on Twitter. Most of such remarks are coming from women who describe themselves as feminists. This article aims to outline and examine the circumstances of the issue as well as the points of contention to present what really is at stake. However, it should be noted that the article is written from where I stand, since it covers an ongoing issue on Twitter, a tool where, structurally, what I see is not necessarily identical with what other users see. 

How it all started

On 2nd July 2018, I posted a link to a news article on my Twitter account, which read: 

“Ochanomizu University [a women’s university in Tokyo] announced on the 2nd that they will accept transgender students who identify as female even if they are registered as male, starting from academic year 2020. According to the education ministry, this move is unprecedented in [the history of] Japanese women’s universities” (Kyodo News, 2nd July 2018).

In no time, my tweet was retweeted at least 4,500 times and received more than 7,000 likes. Many commented on the news positively.


However, this led to some questioning the relevance of women’s universities (“Do we still need women’s universities when women can receive university education without much issues?” “If they’re going to accept people who are registered as men, why not just turn Ochanomizu into a co-ed university?”). Some others voiced their concerns with tweets such as, “How are we supposed to know whether [the applicants] are really transgender or not?” or “There might be weirdos who try to pose as transgender”. Among all such voices, a tweet by Naoki Hyakuta, a novelist, garnered the attention of many. 

“Cool, I’m going to start preparing for entrance exams so that I can get into Ochanomizu University in 2020!” (1) (5th July 2018)

Many replied disapprovingly to this tweet, stating that Hyakuta has “carried his joke too far”, is “insensitive”, and “discriminatory towards transgender people”.

In an online article (2) published on the 5th, the same day as Hyakuta made his controversial statement, tweets of others’ such as, “Won’t there be men who would lie and get into the University?” and “What if something happens?” are introduced as misunderstandings coming from inaccurate knowledge and as transphobic. That this article came out after a mere three days following the University’s policy reveal demonstrate how prominent such discriminatory remarks towards trans women were. 

Trans people at bay and the ensuing battle

In a press conference held on the 10th, Kimiko Murofushi, the President of Ochanomizu University, stated as follows: 

“We’ve held a number of info sessions on campus, about 20 for faculty staff and alumnae, 3 for students. From the students, we have received very positive reactions and no objections against the [new] policy” (3) (10th July 2018). 

Nevertheless, more and more people on Twitter started to take issues with the prospect of trans women accessing women-only spaces in universities, such as bathrooms and changing rooms.

Many treated trans women like would-be criminals, asking, “What if something happens?” Some called out such remarks as discriminatory, and trans folks themselves provided detailed explanations of their reality. Exclusionary remarks against trans women, however, continued to escalate.

On 9th January 2019, a blog post titled “Twitter killed my friend from high school (4)” appeared on an anonymous blogging platform. The blog post explained how a trans woman, a friend of the poster, was exposed to malicious tweets after Ochanomizu University declared their admissions policy update, and eventually took her own life.

Many who read this blog post would have felt that the moment they feared had come. Yet, the discriminatory discourse intensified. Suffering both mentally and physically from the cruel online abuse hurled at them, many trans women deleted their Twitter accounts. In a mere six months, Twitter had turned into a gruesome space.

As a scholar of gender studies and feminism, I had been working since late in December to provide information concerning this issue in a comprehensive way. I wanted to do something against this situation where trans folks themselves are battling transphobia while bizarre forms of gender theory and feminism affirming such phobia are rampant. However, just when fellow scholars and I laid out a plan to publish a series of online articles, “Twitter killed my friend from high school” was posted.

Here is an excerpt from the blog post. 

“Six months ago, she was overjoyed to hear the news that Ochanomizu University will start accepting trans women… [but] on Twitter, people teased her, saying that she had minority privilege, and called her ‘male-bodied’. She found that, when she searched Twitter for the word ‘trans’, attacks and abuse against trans people came up in horrifying numbers. She saw men joking, ‘I’m gonna dress as a woman and get into a women’s university, too’. She saw such tweets appearing on her timeline, even though she did not do anything [i.e. follow people sending out discriminatory tweets]. She saw so many people tweeting out their hate against trans people, mocking them, excluding them. She saw her trans comrades on Twitter getting so deeply hurt that they had to turn to therapy. She herself was gravely depressed, and she once burst into tears after telling me, ‘This is too tough to take’” (5).

Many are suffering under similar circumstances. Praying that no more people choose to take their own lives like this woman did, I completed my own article. We decided on the hashtags we will use: #トランスジェンダーとともに (toransujendā to tomoni/together with trans people) and #ともにあるためのフェミニズム (tomoniaru tameno feminizumu/feminism for living together). Under these hashtags, I tweeted out my article titled “Toransujendā to feminizumu: Tsuittā no sanjou ni taishite kenkyūsha ga dekiru koto (Transgender People and Feminism: What Scholars Can Do Against the Atrocity on Twitter)” (6) (5th January) published on wezzy, a web magazine endorsing our project. Articles by other scholars followed and are archived on WAN (Women’s Action Network), a feminist information portal, so that all related articles can be found there (7).

Although many people read our articles, the transphobia itself was continuing to seemingly no end. Determined to do everything we could, we issued a statement titled, “Feminists and Scholars of Gender and Sexuality Oppose Discrimination against and Exclusion of Trans Women” and called for co-signers. We collected 3,242 signatures between 23rd February and 10th April. We counted 2,715 valid signatures. 1,368 agreed to publish their names.

Preparing for the release of the statement, I got choked up inside. We had co-signers from all walks of life; various gender identities and occupations, both sexual minorities and majorities. They had sent us messages wishing for this ordeal to end as soon as possible, emphasizing with the suffering of trans women. So many individuals were willing to publicize their names to speak up against the discrimination against trans people. Is our voice reaching the ears of the girl who took her life? Are we visible to the eyes of trans folks who are exposed to the malice on Twitter? We are living with you, and we will continue to do so. We want you to find us. And we want you to survive.

Nevertheless, the storm of transphobia is still raging on. There even were people who attempted to bring transphobic signs to the Women’s March held on 8th March. Such is what has been happening so far from July 2018 to April 2019. 

Contention 1: Women-Only Spaces 

What were the points brought up in the transphobic/trans-exclusionary discourse? I have identified three core contentions which will be explained citing actual remarks on Twitter. The biggest issue so far has been the use of women-only spaces by trans women. The “apprehension” for trans women entering a women’s university, which people expressed upon Ochanomizu University’s policy update, soon converged into the “apprehension” for sharing bathrooms, showers, and changing rooms with trans women, eventually replaced with a claim that allowing trans women into women-only spaces “will encourage male sex offenders to trespass”. 

“So far, we have been able to spot suspicious people because men aren’t supposed to be in women’s bathrooms. But if we allow trans women (who look like men but are women inside) into women’s bathrooms, we won’t be able to tell them from criminals and female students will be in danger” (8) (10th July 2018). 

The discourse of fear associates trans women with crimes. To counter such a discourse, people explained that, in reality, trans women live their daily lives discreetly to avoid troubles and that many hesitate to use women’s bathrooms, even suffering from dysuria due to the limited number of unisex bathrooms. Nevertheless, those critical of trans women accessing women-only spaces expressed their fear of male bodies with insistence.

“Exercising caution against male-bodied people is not undue discrimination against trans women, definitely not transphobia. When women who have suffered violence at the hands of cis hetero men put up their guards against male bodies which is what the criminals had in common, this is not discrimination against trans women but rather a natural reaction coming from their fear of cis hetero men” (9) (26th October 2018). 

These tweets portray trans women as “male-bodied” and justifies it by citing discrimination against women as well as sexual violence suffered by women. Many have pointed out that directing the fear of violence committed by men towards trans women is plain wrong. Nevertheless, those who repeat trans-exclusionary remarks strictly adhere to the gender binary framework and give reasons after reasons to rationalize the exclusion of trans people.

“Well, if this was a society where we don’t have to put up our guards against male-bodied people and all universities are co-ed, we won’t have to fuss about trans people or whoever they are. But in Japan today, I’d have to say it’s quite natural for women who are [sexual] assault victims to be wary of them as male-bodied people”.

“Don’t tell me it’s discrimination. You must consider why we have to put up our guards. Also, stop complaining to women, and complain instead to the society for not being harsh enough towards men who continue to assault women or such acts of assaults by men. But they come and intimidate cis-hetero women before anyone else. That kind of attitude makes them look like they’re taking advantage of the structure of sexism” (10) (6th July 2018). 

These tweets claim that those who regard trans women as dangerous are not transphobic, and that such accusations of transphobia are in fact a form of discrimination against women. In reality, however, trans women are suffering low wages, unstable employment, belittling, discrimination, and sexual violence for being a woman, no less than (or even more so than) cisgender women.

Public baths are described as the supposed site where cis women are confronted with the “fear of suddenly seeing a penis”. Trans women have the right to bathe in public baths (we must remember that, precisely because the society fails to recognize this right, trans women still experience great inconvenience in shelters in the event of natural disasters). In reality though, trans women (who have penises) cannot readily access public baths. One blogger explained, “For trans women who wish to live in peace, the most stressful of situations is ‘their former gender becoming the topic of discussion’. Therefore, for most MtFs who have not undergone sex reassignment surgery (SRS), entering the women’s section in a public bathhouse while having a penis is the most unthinkable of all actions” (11). Nevertheless, people continue their attempts to scare cis women by spreading the false rumor that trans people with penises would come into women’s baths. It must also be noted that these people ignore sexual offences committed by cis women while repeatedly emphasizing trans woman sex offenders.

People making trans-exclusionary remarks online recognize trans women as “male-bodied” and emphasizes sexual violence committed by trans people in women-only spaces. However, such views are completely inconsistent with reality. Moreover, trans women are not responsible of our sexist social structure, nor of sexual violence committed by men. They are naming the wrong people as their enemies. The discourse looking to exclude trans women from women-only spaces seem to have two pillars: considering trans women as men based on prioritization of biological sex, and a form of discrimination called “misgendering” that comes with such a view.

Contention 2: Biological Sex and Misgendering

There was a case where the fear and apprehension towards male bodies were expressed in a different way. This happened when it was reported that trans women came in first and second place in a women’s athletic conference in the US.

“I think this is unacceptable. If we accept this, we would be taking away scholarships and future opportunities that biologically female athletes would have been able to gain. We cannot just disregard biological sex based on someone’s gender identity” (12) (21st November 2018). 

Another user responded to this tweet, pointing out that “turning this into an issue of [defining] ‘real’ women would lead to the exclusion of certain people”. However, the poster of the original tweet retorted, stating, “Obscuring the definition of ‘women’ would result in people losing access to women-only spaces which they previously were able to use”. In such contexts, “biological sex” is brought up as the criterion that defines ‘women’.

However, the division between man and woman based on “biological sex” is not as obvious as we believe it to be. The history of sex verification in sports is a testament to the difficulty of such dichotomization. We should also note that we hardly ever conduct chromosome analysis when assigning genders to babies upon birth. Moreover, human beings cannot be dichotomized neatly into “male/female” because humans have gender identities which are deeply tied to the ways in which individuals are situated within a society.

The topic of sports, however, was quickly cast to the side, and then came the claim that trans women have “male-body privilege”. Trans women have been labeled as “male-bodied” and thus not really “women” but describing trans women as male is a form of misgendering (13). Twitter, Inc. forbids such actions, stating that “targeted misgendering or deadnaming of transgender individuals” is degrading (14).

However, people continued to claim that trans women are “male-bodied” and that they have “male-body privilege”, even after others pointed out that misgendering is discrimination. In response to this situation, trans folks and allies started using the slogan “toransu josei ha josei desu (trans women are women)”. Nevertheless, tweets like, “No matter what their gender identity is, they’re not ‘women’ and they shouldn’t be allowed in women-only spaces nor in women’s universities to begin with’ (15) are still being sent out, ever so nonchalantly. Feminists calling for an end to discrimination while discriminating against others? This is not the way things are supposed to be.

Contention 3: Who are “Trans Women”?

Those who misgender trans women emphasize the penis as the root cause of sexual violence. Such a fixation on penises has evolved into attempts to divide trans women into those who underwent sex reassignment surgery (SRS) and those who have not, culminating in a demand to define who really is “transgender”. This is a judgmental attempt to separate trans women who qualify to use women-only spaces from those who do not.

The term “transgender” encompasses a wide array of individuals. People who experience gender dysphoria may or may not wish to undergo SRS (and if they do, the number of procedures they choose to undergo may vary). Likewise, they may or may not opt for hormone therapy. In other words, trans women are people who live as women, but they do so in the diverse ways that they have chosen individually. The definition of “transgender” already exists, as is stated at the beginning of this article. The voices stubbornly calling for further definitions were in fact snares; their aims were to recognize only those who underwent SRS, changed their registered gender, and can pass as cis women as “trans women”. Some scholars came under fire for refusing to present “definitions” that would function as such a snare, but there is no way we are becoming accomplices in the exclusion of trans women.

Who are we to fight against?

Most of those who spread transphobic/trans-exclusionary discourse are women who define themselves as feminists. They have empathized with the #MeToo movement and raged against medical colleges discriminating against female applicants. They have considered discrimination against women as an issue of human rights and voiced their anger as such. However, they claim that supporting transgender rights would mean taking away cis women’s “share” of rights.

“There’s no way we can wholly accept trans women when female-bodied women are yet to be saved. That should be the step to be taken after female-bodied women are saved. Don’t rely on us, act by yourselves. We women have our hands full” (16) (8th March 2019).

Human rights have no room for prioritization. Since when did fighting for our rights mean taking away someone else’s? Haven’t feminists appealed to the male-centric society not to set aside solving women’s issues, that our issues are nothing else but human rights issues?

Kazuko Tanaka, who supported sexual minority students in International Christian University by improving the campus environment, narrates her experience as follows:

“Being a part of the majority, I cannot understand first-hand the issues sexual minorities are facing. So, I had thought that constructing a system where the minorities themselves can make claims when their rights are violated would help bring about change in their surroundings. However, it turned out that making such claims per se is very difficult”.

“What we need to do, then, is to raise a new question which would cause sexual majorities to become stakeholders. In other words, we must ask ourselves how we, the majority, are to fight as stakeholders against cultures and structures that form the basis for discrimination and bigotry that sexual minorities suffer from. The majority needs to tackle this oppressive structure as their own issue instead of trying to ‘help’ sexual minorities” (17).

Who is responsible for the girl who took her life? It is us, our society. In a society where being cisgender is the norm, cisgender people, i.e. the societal majority, are the ones who laid the grounds for the suffering of and the discrimination against trans people. Aren’t feminists supposed to be the ones to notice this responsibility before anyone else, recognize what goes on as an issue of human rights, and demand that the society must change? There is no second-guessing the need to secure the safety of women-only spaces and protect women from sexual violence; however, when we say “women”, we mean trans women, too. If we cannot agree on this premise, there is no way we could build a society where everyone is granted freedom and dignity. Amid this nightmarish confusion, I still firmly believe that it is the mission of feminism to bring about a society where every single person is respected and treated equally.

(1) https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1014553691850924033
(2) wezzy “Ochadai ‘seijinin ga josei no toransujendā nyūgaku-ka’ de akirakani natta shakai no toransufobia (Transphobia in society surfacing after Ochanomizu University ‘accepting transgender people who identify as women’) https://wezz-y.com/archives/56285
(3) https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/09/ochadai-kaiken_a_23478268/
(4) https://anond.hatelabo.jp/20190109004202
(5) Ibid.
(6) https://wezz-y.com/archives/62688
(7) https://wan.or.jp/general/category/transgender
(8) https://twitter.com/sj795gbh/status/1016648115875602432
(9) https://twitter.com/studentFem_N/status/1055841800043225091
(10) https://twitter.com/gohstofcain/status/1015224264037765121
(11) https://kuroimtf.hatenablog.jp/entry/2019/01/08/100659
(12) https://twitter.com/traductricemtl/status/1064991065000878085
(13) Komiya, Tomone “‘Josei senyou supēsu’ to toransufobia (‘Women-only spaces’ and transphobia)” https://wan.or.jp/article/show/8211
(14) https://help.twitter.com/ja/rules-and-policies/hateful-conduct-policy
(15) https://twitter.com/Meisarada5/status/1078864466836578304
(16) https://twitter.com/pGJiukMswdECZTx/status/1103909316547960832
(17) Kazuko, Tanaka (2018) “Toransu gakusei shien kara mietekita koto: ICU deno keiken (What we have learned from supporting trans students: My experience in ICU)”. Nihon Joshi Daigaku Ningen Shakai Gakubu LGBT Kenkyūkai [Ed.] LGBT to Joshi Daigaku: Daremogaa Jibun rashiku Kagayakeru Daigaku wo Mezashite (LGBT and Women’s Universities: The Path towards Universities where Everyone can Be Themselves) Gakubunsha. 

Akiko Hori is a scholar of gender studies and feminism. After completing her masters in the Graduate School of Human Sciences, Osaka University, she has taught in a number of colleges and universities including Kansai University. Her works include Yokubou no Kōdo [The Codes of Desire] (2009, Rinsen Book Co.) and “Karera ga Honki de Amu tokiha ni okeru Toransu Josei no Shintai Hyōshō to ‘Bosei’ [Body Representation of a Trans Woman and ‘Motherhood’ in Naoko Ogigami’s film Close-Knit]” (2019, Jinken Mondai Kenkyu [The Journal of Human Rights]). 


Mana Sato is a translator based in Kyoto, Japan. Her recent works include Against the Storm: How Japanese Printworkers Resisted the Military Regime, 1935-1945 (2019, Intervensions) co-translated with and edited by Kaye Broadbent. She has also worked on Japanese subtitles for the Serbian film Train Driver’s Diary (Dir. Milos Radovic), set to be released in Japan in August 2019.



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堀 あきこ

ジェンダー、セクシュアリティ、視覚文化。シェアハウスやってます。フェミニスト。 お仕事はhttps://researchmap.jp/hori_a/ 映画の感想はhttps://filmarks.com/users/horry_a
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