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#55共感の本質「感情は自他の境界を超える!?」~馬との交流から学んだこと~

 こんにちは、人馬交流分析士のりょーじ(@Horse Value)です。人馬交流分析って何?りょーじって誰?それをやって何になるの?という疑問への答えは#1をお読みください!

 さて、#40ではH.O.R.S.E.理論と交流分析の関係のお話をしてきました。大まかにお話しすると、僕が馬との交流で得た気づきである「人間は本来H.O.R.S.E.だよね」という理論と交流分析の人間観がすごく似ているよ、というお話をしました。

 ※H.O.R.S.E.理論について詳しく知りたい方は、#7や#28、#29を読んでください!※交流分析って何?という人は#30~#39を読んでください!

 とはいえ具体例を交えていかないと中々分からないと思いますので今回から、僕が学びを得た馬と人との交流を、交流分析を用いてより分かりやすく説明していきます。

 今日のラインナップはこちら!
・私の痛みは私にしか分からない(#23)という考え
・無意識でも感情は伝染する
・感情に境界はない~共感の本質~

 今回は、#23でお話しした僕と馬との心理的交流を取り上げていきたいと思います。これによって「体験→気づき」のプロセスがより鮮明になり、その時に僕が感じたことをより皆さんに分かりやすい形で説明できると思います!

 早速行きましょう!

私の痛みは私にしか分からない

 自分の感情は自分だけのもの、そう思ってしまっても仕方ありません。こんなに自分が辛い思いをしていても誰も気づいてくれない…そんな風に思いがちです。

 人間は関係性の網の中で生きている、というヘーゲルの言葉を#52ではお話ししました。ここでも同じことが言えると思います。僕達の感情も常に無意識的にでも繋がっています。

インターネットが普及してこれはさらに加速しました

 ここまであまりお話していませんでしたが、僕は乃木坂46が好き(西野七瀬さん推し)です。西野さんセンターの曲ではありませんが、ここでシンクロニシティという乃木坂の曲の歌詞を見ていきたいと思います。

悲しい出来事があると 僕は一人で夜の街をただひたすら歩くんだ
背中丸め俯(うつむ)いて 行く当てなんかないのに 雑踏のその中を彷徨(さまよ)う
キープゴーイング (ウォウ…) キープゴーイング (ウォウ…)
すれ違う見ず知らずの人よ 事情は知らなくてもいいんだ
少しだけこの痛みを感じてくれないか? 信号を待つ間にちょっとだけ時間をいいかい?
この気持ちがわかるはずだシンクロニシティ
 
きっと 誰だって 誰だってあるだろう ふいに気づいたら泣いてること
理由なんて何も思い当たらずに涙が溢(こぼ)れる
それは そばにいる そばにいる誰かのせい
言葉を交わしていなくても 心が勝手に共鳴するんだ
愛を分け合って
ハモれ (ウォウ…) ハモれ (ウォウ…)
 見ず知らずの人とも感情が繋がっているということを美しく歌っている歌です。
みんなが信じてないこの世の中も 思ってるより愛に溢(あふ)れてるよ
近づいて「どうしたの?」と聞いて来ないけど 世界中の人が誰かのこと思い浮かべ
遠くのしあわせ願うシンクロニシティ
だから一人では 一人では負けそうな 突然やって来る悲しみさえ
一緒に泣く 誰かがいて乗り越えられるんだ
ずっと お互いに お互いに思いやれば いつしか心は一つになる
横断歩道で隣り合わせた他人同士でも
偶然…
抱え込んだ憂鬱とか
胸の痛みも76億分の一になった気がする

乃木坂46「シンクロニシティ」

 この歌を聞いたとき僕はそんな感覚を持って、つまり僕達の感情は必ず繋がっていると信じて生き続けることができれば、なんて素晴らしいんだろう、と思いました。そして今でもそれを信じていますしその感覚を実感する体験をしてきました。

無意識でも感情は伝染する

 このシンクロニシティという歌にあるように無意識でも感情は伝染します。

 #23でお話ししたような馬との体験で僕はそれを日常的に実感しています。僕は別に馬に感情を共有しようとしていないのですが、馬は明らかに僕の感情を感じて普段と違う様子になるんです。

 自分自身が気づいていない些細なイライラや悲しさでもそれが起こるので、むしろ僕は馬の様子を見て、いつもと様子が違う馬を鏡として自分自身の感情に気づく、ということもよくありました。

 交流分析の考え方はここでも使うことができます。誰かと交流していつもと違う自我状態でその人が接してきたとしたら、それは自分が異なる自我状態で接したことが原因かもしれません。

 もちろん相手がいつもと違う自我状態なのが原因かもしれませんが、そうだとしてもそれに反応してあなたがいつものその人へのものとは違う在り方になるでしょう。

 どちらにせよ、どちらかがいつもと異なれば違う関係性が生まれお互いの自我状態がいつもと微妙に異なる状態になるのです。

 そこに明らかに感情の伝染があります。

感情には境界がない

 そもそも感情というのは元々境界がない、という風に考えている人達がいます。それが現象学という哲学です。これについてお話していくとすごく時間がかかるので、また別の機会で現象学が「感情は共感から生まれた」ということをしっかり論理的に説明していることをお話していきたいと思います。

 ここではその考え方に納得してもらえるような、皆さんがしたことのある体験について少しお話しします。

 #23でもお話ししましたが、コンサートという場所はお客さんの感情が言葉通り「1つになる」という感覚があります。スポーツ観戦でも、ゴールが決まった時、得点した時、応援している人は「1つになり」ます。

  コロナ禍でお客さんがいないスポーツというものが頻繁に起き「感情がいかに連鎖し大きくなっているのか」を実感する機会になりました。ゴールが決まってもどこか盛り上がり切れない雰囲気を誰もが感じたはずです。

 もう一つ、面白いお話があります。実は子どもというのは生まれてすぐ「自分の感情」と「他者の感情」というのが切り分けられていない、といいます。そして声や表情についても同じだと言われています。なので、赤ちゃんがたくさんいるところで1人の赤ちゃんが泣き始めると「伝染泣き」というものが発生すると言われています。

 これから分かることは、生まれたとき、僕達の最も初期の記憶では僕達は「自分だけの感情」というものは持っていなかったのです。

 シンクロニシティの歌にあるように、僕達の感情は常に誰かと分け合われ、それがまた別の誰かに広がっていって…最終的に自分から始まった感情は世界中の人に広がって76億分の1になるのです。

 嬉しい感情は連鎖して76億倍に、悲しい感情は分け合って76億分の1に。そんな世界になったら美しいですね。

【今日のまとめ】感情に境界はありません。無意識でもその感情は周りに伝わり、それがさらに周りに伝わっていきます。僕達はそうやってみんなで1つの感情を大きくしたり分け合っていたりしているんです。

 明日も一日頑張りましょう!


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