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MONODRAMA 4

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=17W7ZxMwsA-5NfXNTKAlE-4GtXprp9dQV


「ウルシバラくんの目って、海みたいな色してるよね」と、かつてヒキタが言っていたことがある。
「スターはやっぱり最初から持ってるものが違うよね。外国人の血、ちょっとくらいは混じってるんじゃないのかな」

 ファッション誌の表紙の中のウルシバラは、流し目でこちらを見ている。瞳は万華鏡のように不思議な幾何学形を映し出している。加工されているのかもしれない。

「お父さんもお母さんも完全な日本人だよ。会ったことあるけど」
「じゃあどっかで拾われたんだ」
「ハーフだって確信してるじゃん」
 と、言いながらそういうこともあるかもしれないなと思う。ウルシバラはいつも、みんなの輪の中に一応混じっていても、頭の中では自分が生まれた遠くの国のことを思い浮かべているような目をしている。こんなしょうもない国のしょうもない大学のしょうもない連中のしょうもない会話なんて、ウルシバラからすると全く意味を為さない夢を見ているのと同じなのかもしれない。同じ社会に生きながら、少し違うルールで動いているのかもしれない、と思うこともある。高校時代から一緒にいる僕だってそう思う。
「ウルシバラくんと話をしていると、心の中透かされてるみたいに感じるっていうか、全部読まれてるみたいな気がするよね」と、ヒキタは言う。
「嫌な感じがするわけじゃないんだけど、なんていうか、こっちに喋らせるのが上手いよね。自分はあんまりしゃべらないくせに」
「確かに」
「ワカバヤシくんも疲れるでしょう」
 少しの間、なんと答えるべきか悩む。
「慣れた」
「慣れるんだ」
「全然こっち見てないなって思えば良い」

 ワカバヤシ、俺芝居やってる時ほんまに頭の中空っぽやねん。
 ウルシバラの目は、確かに何も映していないように見える。前明かりの反射すらなく、瞳が塗りつぶされたみたいに黒い。
 でも、どうせ僕のこと検分してるんだろ?ウルシバラは。自分の中にある本や映画や経験を参照しながら。
 ひどいな、ワカバヤシ。またそんな穿った見方して。

「いつもそう思いながら話をしているの?」と言ってヒキタは笑った。
「ワカバヤシくんらしいね。ワカバヤシくんは単独で見ることがあるけど、ウルシバラくんを見かけるときはいつもワカバヤシくんが横にいるのに。そのワカバヤシくんに全然こっち見ていないなんて言われたら、ウルシバラくんはショックだろうね。言っておくけど、劇団の他のみんなはワカバヤシくんだって何考えてるのかよくわかんなくて怖いって言ってるからね」
「そうなの?大ショック」
「ほら、そういうの、絶対嘘じゃん。ほんとなのかどうかわかんないんだよ、ワカバヤシくんのは」
「そういう風に言われるのも傷つくけど」
 僕が机の上に雑誌を投げるように置くと、ウルシバラが表紙の世界からこちらを見ていた。やっぱり何か加工されているな、と確信する。


 ウルシバラは、おそろしく本を読む。

 何故本なんて読む?

 とは、僕は聞かなかった。別に聞く必要もなかった。

 ワカバヤシ、本は心の栄養なんやって。

 舞台の背景には、薄く大きくなったウルシバラの影が浮かんでいる。

 ウルシバラが何かを演じるという行為において、きっと本を読むということは少なからぬ影響があるのだろうな、とウルシバラが本を読む姿を見て僕は思う。小説に限らずどんな本であっても、その本から得た感情や知識は、すべてウルシバラの血や肉や骨や皮膚になり、ウルシバラの内側と外側を作り上げていくのだ。
 ウルシバラがそんなしょうもない惹句をきっかけに本を読むようになったとは思えなかったけれど、ウルシバラがそう言うことによって、その言葉は僕の頭の中にやけに強烈にこびりついてしまう。まるで呪いか何かのように。
 そして僕も本を読むようになる。

 僕が舞台の端っこに座って本を開くと、本を開く僕の影が伸びて、白い背景に張り付く。僕はそれを視界の端で捉えながら、本を読み進めていく。本をめくる音だけが、やけに大きく聞こえた。

 とにかく僕は本を読みながら、栄養を取り込み身体や脳を成長させていく、というイメージが離れなくなる。
 そしてその身体を、僕はどこか遠い場所から駆動させる。

 アメリカは、言葉でできてる国なんやで。

 と、かつてウルシバラは言っていた。
 それが誰かの受け売りだったのか、それともウルシバラの持論だったのかは定かではない。

 アメリカって国は、ここは自由の国や、って宣言が先にあって、その理想に沿うように国を作ってるわけ。だからほんまのところはそんなにめっちゃ自由なわけでもない。多分日本とそんな変わらんやろ。別に銃持ってて良くても撃って良いってわけやないし。とにかく言葉で掲げた理想と現実のギャップを埋めるための葛藤してんのがアメリカ人なわけ。そうやって言葉が先走っとる国やからな、なんていうか、アメリカ人の書いてる小説はなんかどっか胡散臭いというか、ほんまのことがそのまま書いてる感じがあんませーへんねん。
 それって、何か芝居と似てへん?結局芝居も小説も、シンプルに言ったら嘘やん。でも俺は思うんやけど、うそつくことでしか、ほんまのことは言えへんのかもしれん、とか。

 ウルシバラの部屋に並ぶ本を次々読んでいく。サリンジャー、ブローティガン、カポーティ、ベイカー、キング、イシグロ、カーヴァー、ケルアック、チーヴァー、サローヤン、トウェイン、バロウズ、ミルハウザー、ブコウスキー、マッカーシー・・・。どれが新しくてどれが古いのかもよくわからないまま、僕は何冊も読んだ。書き手や語り手を疑いながら。
 ウルシバラの言っていることがなんとなくわかったような気もしたし、全然わからないような気もした。そもそもそれまで、アメリカ以外の国の小説はおろか、日本の小説だってたくさん読んできたわけではなかったから、そこにアメリカ性みたいなものを正確に見出すことができないような気もした。
 僕がその小説をどういう風に感じたかよりも、ウルシバラがこの本をどういう風に読んだのか、と考えることの方が重要だった。そもそもこれは、ウルシバラがどう感じていたのかを知るためにやっていることなのだから。

 舞台上の机の上に、本を何冊か積み上げてみる。
 自分の影と本の影が重なっている。

 ウルシバラの部屋で、ウルシバラの読んだ(のであろう)本を貪るように読んでいると、心が静かになるのを感じた。それまでそれほどたくさんの本を読んできたわけではなかったけれど、三百ページくらいの本なら一気に読んでしまうことができた。授業やアルバイトがなくて、ずっと本を読んでいられる日は、飲まず食わずで一日に三冊か四冊読むことができた。

 僕は自分の変化を自覚した。他人の部屋に住むということが、たったそれだけのことが、少しずつ自分を変え始めている。


 アパートには庭、と言ってもただだだっ広いだけの空き地がくっついている。そこにはぽつんと、このアパートよりも古くてこじんまりとした一軒家が建っていて、アパートと庭を共有している。そこに一人で住んでいるのが、このアパートの大家である祖師谷さんだった。
 僕たちの住むアパートとその一軒家は、近所の人たちからひとまとめにされて「ゴミ屋敷」と呼ばれている。きっとずっとそう呼ばれてきたのだろう。僕たちまで時々アパートから出てきただけで汚いものを見るような眼差しを向けられることがある。
 祖師谷さんは河原でガラクタを拾ってきてはくっつけたりぶっ壊したりして、何か芸術活動のようなことをやっている。だから生ごみが積まれていたりするわけではなくて、何か鉄でできたパーツや意味不明なモニュメントが時々現れたり消えたりするだけで、特に臭いなどの害を近隣に及ぼしているわけではない。祖師谷さんの家もアパートも、古いけど別に不潔な感じはしないと僕たちは思っている。
 一年の、多分半分くらい、祖師谷さんは家におらずどこかに行っている。山に登ることが生きがいらしく、国内外問わず全ての山を踏破すると言っていたことがある。僕は世界にどれくらいの数の山があるか知らないので、それが可能か不可能かも知らない。きっと冗談なのだろう。

 その日も、庭には小さな鉄くずを集めて固められた小さな塔のようなものが建っていた。この間そのそばで満足げに煙草を吸っていた祖師谷さんにこれはなんですかと聞くと、「んー、セーブポイント?」と語尾を上げた回答が返ってきた。
 僕がその横で煙草に火を点けると、「あれ、お前煙草吸ったっけ?」と聞かれた。
「最近始めました」
「高校時代に吸ってたとか?」
「いえ、そういうわけでもないです」
「ああ、なんかあったんだ」
 え?と聞き返すと、祖師谷さんは嬉しそうな顔をしながら「大人になって分別がつくようになってから、何の理由もなく突然煙草を吸い始めるやつはいない」と言って煙を吐いた。

 いやいやそんな気にしなくていいじゃん。恥ずかしがらなくていいよ。溜まるよなあ。ストレス。何でなんだろうなあこの国は。不思議だよなあ。俺なんて親父から継いだアパート経営して適当に食ってるだけなのに、溜まるんだよなあ。ストレス。なんか呪われてんじゃないのこの国、と思うことあるよ。だから俺は時々海外に行くんだよ。そうするとなんか解放されるんだよな。

 祖師谷さんは「セーブポイント」に寄りかかった。

 お前の相方さ、あれお前心配してやった方がいいよ。あいつも相当ストレスかかってんだろ。
 なんか話したんですか?
 いやよくするよ。今までどんな山登ったんですかとかどうでしたかとか。マリファナの話したらめちゃくちゃ食いついてたよ。

 短くなった煙草を、祖師谷さんはしゃぶるように吸った。

 アメリカのどっかの山でさ、マリファナ吸いながら登山していくツアーがあるわけ。もう俺どこの山なのかも思い出せないんだけど。ラリっちゃってさ。あははは。まあとにかくインディアンの霊とかがたくさんいるヤバい山なんだよ。そこのネイティブ・アメリカンたちは、そういう観光客に大麻売って生活するわけ。そういうツアーを計画してね。いや、もともとネイティブ・アメリカンの連中が大麻吸うのって儀式の一環なんだけどさ。回し飲みしてみーんなでラリって、グレイト・スピリッツっていうのに媒介になってもらって、他人と和平を結ぶんだって。いや意味わかんないでしょ。俺のツアーについてきてくれたアロってやつ、こいつはすげえチャラくて、チャラくてって良い意味でだよ、これ吸いながら山登って、俺たちは和平を結ぶんだって言うわけ。泣けてくるよな。見ず知らずの俺にそんなこと言ってくれるなんてさ。で、調子乗って吸いすぎてヘロヘロになって、もうアロの顔もうっすらしか思い出せないんだよ。笑えるよな。でもアロって良いやつだったな、っていうのは覚えてるから俺たちは確かに和平を結んだんだよ。多分。
 そういう話したらあいつ食いついちゃってさ。グレートスピリッツ、祖師谷さんは見たんですか?って。見たような気もするし見てないような気もするし。どんな格好してるんですか、グレートスピリッツって、なんて聞いてきてさ。俺もグレートスピリッツのことなんて良く知らねえっつーの、みたいな。覚えてねえよ。ぶっとんじゃってんだもん、って言ったら笑ってたよ。ぶっとんじゃってましたか、なんて言ってさ。でもさ、目が笑ってないの。あいつ追い詰められてんだよ多分。
 そうなんですかね。
 いやあ。俺わかるからさ。そういうの。ちゃんと見ててやれよ。

 そう言って祖師谷さんは「セーブポイント」に煙草を押し付けると、家の中に入って行った。僕もそれにならい、吸殻をなすり付けてウルシバラの部屋に戻った。

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