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街の花

※縦書きリンクはこちら https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURdjl4eXlVeU1ScDA

 世の中には花を食べる人がいるらしい。クドウさんはその内の一人のようだ。
「おいしいよ」
 なんかファンタジーみたいな味がするよ、と、クドウさんは何の気無しに言う。
 ファンタジーみたいな味?
 クドウさん以外の人がこんなことを言っていたら、僕はそれを笑って聞き流して、その人とはもう二度と積極的には関わらないように心がけるのだけど、クドウさんが言うからそれがどんな味なのかを想像してしまう。
 ファンタジーみたいな味。
「昼間に摘んだ花を、一晩水に浸しておくの。そうすると花の香りがする水ができるから」
 何だか僕には、嘘みたいな話に思えてしまう。もしかしたらこの人は僕を騙そうとしているんじゃないか、と思ってしまうくらいに。本当にそんなことして大丈夫なのだろうか。
「大丈夫じゃないわけ、ないじゃん」
 クドウさんは堂々とそう言うが、二重否定の言い方が不思議な響き方をして、一瞬やっぱり普通の人は大丈夫じゃなくて、クドウさんみたいな人だから大丈夫なのかなと勘違いしそうになる。
「だって、自然に咲いてるものだよ。水仙とか鈴蘭とか、そういう毒性があるものじゃなければ大丈夫でしょ」
 そうか。そういうものか。下らないことを聞いてしまった気がする。
「ぜひ、やってみなよ」
 はい、やってみます、と僕は言う。
「買って来るんじゃなくて、ちゃんと自分で摘むんだよ」
 そう言うと同時に、クドウさんのレジに客が並ぶ。DVDの巻数、お間違いないですか。
 どうして摘んだやつじゃないとダメなんだろう。そう思ったときに、僕のレジにも客が並ぶ。それは一ヶ月以上DVDを延滞した客のクレームで、僕はその後の勤務時間のほとんどを、その客の対応で浪費してしまう。延滞料金納付勧告ハガキの文言が気に食わなかった、ということらしい。たった数百円で、人を犯罪者みたいに扱うのか。
 ねちねちと文句を言われながら、僕はクドウさんと話をしている時、頭の中で色んなことを考えすぎているような気がするから、次はもっと自然に話をしようと思う。「どうでも良いと思ってしまった人たち」に使わない脳みその容量が、全部「数少ない興味がある人」の方に行ってしまっているのかもしれない。


 クドウさんには掴みどころがない。大学院を修めた後も、就職したり実家に帰ったりすることなく、ずっとこの街の同じレンタルビデオ屋のアルバイトを続けている。だから、あの人はちょっと普通ではない、ということになっていた。
 掴みどころのない人だから、いつも変なところで会話が途切れてしまう。クドウさんは、適当に合わせておけば良いところで押し黙ってしまう。言わなくても良いところで何か言う。
 以前、何の気無しに「クドウさんはどうしてこの街に留まり続けるんですか」と聞いてしまったことがある。
「逆に、暫定的な住まいとしてこの街に来てるって感覚の方がよくわからない」とクドウさんは言った。
「人と付き合うときに、君はいつか別れる日のことを思うわけ?」
 そうして会話が途切れてしまうと、つい僕もみんなと同じような口調でクドウさんは自由で良いですねえみたいなことを言ってしまいそうになる。
 そのときは他のバイトの子が「クドウさんはほんとに自由ですね」と言ってくれたので、僕は何も言わずに済んだ。それでクドウさんの言うような、まるで街を人みたいに扱う不思議な感覚を、頭の中で噛みしめることができたのだ。
 僕の大学生活も、そろそろ終わりが見えていた。先のことはまだ決まっていないけど、この街を出て行くのだろうということだけは何故か頭の中にあって、未来のことを考えるたびにクドウさんの言葉が頭によぎるのだった。


 部屋に寝転びながら、今年こそエアコンを直さなければ、と思う。
 二十三時からのニュースはどこも、今日が季節外れの真夏日だったことを知らせていた。
 クドウさんが好きなのはライラックという花らしかった。僕はライラックがどんな花なのかすぐに頭に浮かばないし、すぐに手に入るような花なのかどうかもよくわからない。
 調べてみると、見たことがあるようなないようなピンク色の花が出てくる。水の中の煙のようなその花の開花時期は、ちょうど今頃の季節だった。
 夜になって開け放った窓からはもう涼しい風が吹いていて、何かの予感めいた緑の草の香りがした。
 風に吹かれていると、昼間の夏のような暑さをもう思い出せなくなっていて、これから本当に夏がやってきて暑くなるのだという確証が持てないような気がした。本当に夏は来るのだろうか。毎年来るからと言って、夏が来るのに先んじてエアコンを直すのは、とても馬鹿らしいことなのではないだろうか、とふと考えた。
 明日は気温はぐっと下がります。くれぐれも今日と同じような格好で外に出ないように!テレビの中のアナウンサーが言う。
 今年ももしかすると、エアコンは動かないままかもしれない。
 そしてテレビは、お隣の国の核ミサイルの話に移る。


 家から大学までの長い坂道を、頭の中にあのピンク色の花を思い描きながら歩くようになった。
 普段は通らない道をジグザグに行き来した。歩いているときはクドウさんのことではなく、あくまであの花がどんな味がするのかということを想像した。
 ファンタジーみたいな味。
 田舎から出てきた僕にとっては、こうやって家と家がひしめき合っていることすらファンタジーだった。
 ほとんどの家がまだどこもくすんでいなかった。この辺りはまだ比較的新しい住宅街なのだ。
 坂道の途中にある家はどれもコンクリートの基礎が剥き出しになっていて、無理矢理平らな土台が作られていた。テーブルの上にミニチュアの家がしつらえられているみたいで、本当にこの中で人々が生活を営んでいるということが信じられなかった。
 道は車が一台ギリギリ通れるか、というくらいの広さしかない。この辺りに住む人たちは、常に対向車の気配を感じながら、お互いに譲り合って行き来するしかないだろう。
 こうまでして坂道の途中に家を作らなければならない理由があったのだろうか。僕には、その辺りのことが、まだうまく想像できない。
 かつて田舎に住んでいた頃は、この街に対して洗練された都会のイメージを抱いていた。良いものを食べて、良い服を着て、良いところで買い物をする。しかし実のところ、そこにも田舎とは大きくは変わらない生活があった。ゴミを出し、歩いてスーパーに向かい、住んでいるのは若い人ばかりではない。ここじゃない別の場所へ、と田舎の片隅で思っていた僕は、何だか勝手に拍子抜けしたような気持ちになってしまった。
 坂道の途中の、まだ新しい住宅街と、道を譲り合う車たち。そういうものが、懐かしく思い出される時が来るのだろうか。それとも、僕自身が道を譲り合うような日が来たりするのだろうか。
 どの家にもスタンプを押したように、丁寧に整えられた美しい花壇があった。僕はちらちらとそれぞれの家の庭の花壇を見やりながら、その色とりどりの中にライラックがないか探したけれど、そもそも人が育てている花を失敬するわけにはいかず、僕は足早にその坂道を行くのだった。


 花はなかなか自力では見つからなかった。
 観念して「あれってその辺の道端に咲いているものなんですか」とバイト中にクドウさんに訊くと、クドウさんは何かを企んでいるみたいににやりと笑った。
「君もようやく、花を探しながらこの街を歩くようになったか」
 自分がピンク色の花を頭の中に思い描きながら坂道を上っているところを想像すると、それは確かに笑える光景だった。
「恥ずかしがらなくても良いよ」とクドウさんは言った。「こういうのは、やっぱり多少こそこそしてやるものだよ」

 クドウさんが教えてくれたのは、バイト先のレンタルビデオ屋のすぐ傍にある公園で、僕は少々拍子抜けしてしまった。それほど大きくない街灯一本しか立っていないのに、公園は隅まで明るかった。
「ほら」
 クドウさんはベンチの脇の生垣を指差す。ピンク色の花が群生していた。
「時々ここで、ちょっとだけ摘ませてもらってるんだよね」
 クドウさんは、いつもDVDのクリアケースを塔のように積み上げて次々とバーコードを読み取っていくのと同じ手で、丁寧にライラックを摘んでいく。それを、コンビニで買ったボルヴィックのボトルに突っ込んだ。
「ほんとは綺麗な透明の瓶とかに入れると、もうちょい雰囲気出るんだけど」
 君の場合はこれでいいでしょう、とクドウさんは言って、そのあんまりファンタジー感のないボトルを僕にくれた。
 公園の空気は、やはり冬のそれとは違って、何かが素早く身体の中を通り過ぎていってしまうみたいな匂いがした。ライラックも、もうじき季節が終わってしまうとクドウさんは言った。

 帰り道、どうしてこんなこと思いついたんですか、とクドウさんに聞いてみた。
「犬が食べてるのを見て、うらやましく思ったから」

 公園のベンチに座って、花を見てたわけ。綺麗だな、と思いながら。そしたらそこに飼い主に連れられたフレンチ・ブルドッグがやってきて、私が見ていた花をぱくっと食べたの。
「あ、見られてましたか」
 飼い主にも、できるだけ見られないようにしているんですけど、と犬は照れくさそうにそう言って、私の足元を通り過ぎていった。

 犬が通り過ぎていったベンチの足下にも、同じ花が咲いていた、とクドウさんはいう。
「それを持って帰って、どうにかして食べられないかと思案した結果思いついたのが、ただ水に浸すだけっていう。煮詰めてジャムにするとか、肉か魚を蒸し焼きにする時にちょこっと入れるとか、色々思ったんだけど、多分これが一番正解だと思う。ちゃんと香りもするし」


 その晩、ビールを飲もうと開いた冷蔵庫の中に花が咲いているのを見て、僕はむやみににやけてしまった。ビールを一本飲み切ると、もう一度冷蔵庫を開けて、もう一本飲んだ。
 その日、山と海の間にある街の端のなんでもない公園で、女と二人で花を摘む自分の後頭部を夢に見た。

 昼前、起き抜けに飲んでみた、そのライラックの匂いがする水は、確かに花の香りがしていい匂いなのだけど、水として身体に取り込むと、とても不思議な味がした。鼻から入ってくるのと違う感じがするのはどうしてなのだろう。
 花びらを噛みしめると、青くて渋い味がした。
 ファンタジーみたいな味。
 照れくさそうに花を食べる犬を思い浮かべながら、今度クドウさんに、好きなファンタジー映画を聞いてみよう、と思った。

 僕はピンク色の花を探しながら歩くのが、自分でもはたと気づいて恥ずかしくなる癖になっている。人の家の庭の中の花壇の中も、いつの間にか無意識に覗くようになっていた。丁寧に世話されている花壇の中に、以前感じていた人工的なものとは違う、生活の匂いがした。住人に気付かれても大抵の場合は快く挨拶してくれるが、それにはまだ小さな声でしか挨拶を返せない。
「こういうのは、やっぱり多少こそこそしてやるものだよ」とクドウさんが言っていたので、これで良いのだろうけど。
 あの日、普段歩かないクドウさんの家に向かう道を歩きながら、クドウさんはこの街が結構好きだと言っていた。
「思っていたよりも冷たくないから」だという。
 それって不良が年寄りの手を引いてると普通の人より素敵に見えちゃうのと同じなんじゃないですか、と僕が言うと、クドウさんは、そうかもしれないけど、好きになっちゃったらもうそういうのって関係ないよねと言った。


 あれ飲みましたよ。確かにファンタジーの味がしました。ボリス・ヴィアンの小説的な。ははは。花びらの方は、青臭くて食べにくかったです、と、ボリス・ヴィアンの下りはいらなかったかなと思いながらクドウさんに報告すると、クドウさんは「普通花は食べないでしょ」と言って笑った。水だけを飲むものらしかった。
 それは初めて見るくらいの大きな笑い声で、途中から自分が恥ずかしいのか照れているのかよくわからなくなった。



※こちらの短編は、「冷凍都市でも死なない」というサイトの「花の香りの水を飲む」から着想を得ています。
「冷凍都市でも死なない」http://shinanai.com/
「花の香りの水を飲む」 http://shinanai.com/hana.html 
                (執筆者 みとさん @_mito_to)

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