逃避のボクサー

かさぶたがとれるまで殴り合った日々

戦いというものはどうしてこうも痛いのか?

グーがものすごいスピードでやってくる

それをみつめる観客と

それを受けるわたし

どのような感情をぶつけているのだ

あなたはわたしという敵をやっつける

ふりして、じつは・・・!

己の虚栄心や焦燥感や邪念をみつけるや

いなや、それを消滅させたいと思っているの

かもしれない

幼いころから平和主義だったわたしが

ボクサーになるなんて考えられなかった

今でも思う ほんとうは

ー負けたくない、けれど

勝ちたくもないー

どちらかが負けるなんて

そんなの嫌だ

けれどそうでなければ、

そうでなければ人々は喜ばない

もし勝ち負けの存在しない試合を

繰り広げるのならば

観客はつぎつぎに席を立ち

やれつまらない

生温い平和主義のおままごとを見るのは

うんざりだ、などと

ブーイングの嵐が巻き起こるかもしれない

事件はとつぜんやってきた

対戦相手がズルをしたんだ

審判はそれをわざと見逃し

観客もそれを鵜呑みにし

だれもかれも対戦相手の味方となった

おそろしい観衆の目

観衆たちの目はみな、

コバルトブルーの目をしていた

対戦相手はまだ正気さ

審判は冷や汗をかいて

無事に試合が終わることを望んでいる

ー負けなければー

そんな思いがわたしの中に急に芽生えた

観客はわたしがやられることを

望んでいる

やがて人々の目の中にあるコバルトブルーの海

は荒波へと変わり

わたしのボートを倒そうとする

わたしは耐えきれず

かれの右ストレートを素直に受けた

不思議だった

痛みはまったくといっていいほど

感じなかった

彼の勝利だ

私はあきらめることを選択した

ところがわたしはあきらめという

言葉の本当の意味を知っていた

時代は遡って江戸へ

商人として生きる彼ら江戸っ子の特徴、

それはあきらめの良さ

あきらめることは決して負けではない

そう、彼らは古い価値観を捨て、

いさぎよく諦めて前進するのだ

戦うよりも負けること

ここにわたしなりの美学が生まれた

いさぎよく、私は敵の前から退いたのだ

とつぜん、彼はわたしに花束を渡してきた

観客から拍手喝さいが沸き起こる

「きみは勝ったんだ。きみは信念を

貫いたのだ」

彼の汗が光っていた

これこそ、私が待ち焦がれていた試合の結果。

そしてこれこそが、

勝者と敗者が分かり合う瞬間であったのだ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?