微笑みに乾杯 安全地帯との歴史③
1988年の出来事。
ターニングポイントになる年の始まり。
3月に新曲が発売。
「月に濡れたふたり」
これまた意味深なタイトル。
これはセクシーというか、禁断の恋っぽい感じ。
今までにはないタイプのシングル曲で、ちょっとビックリ。
タンゴ調というか南米的というか。
まさかこういう曲がシングルに?って思った。
この曲もベストテン入りならず。
ベストテンっ子だったので、ちょっと寂しい。。。
その分、夜のヒットスタジオやミュージックステーションへの出演が増える。
司会の俳優の柴俊夫さんが、玉置さんに時代劇なんか演らせたら似合うんじゃないという話から、刀を持ってポーズを決めるなんて事も。
とにかく以前よりトークをする様になった。
そして4月、高校生になった僕を祝う様に?
安全地帯6枚目のオリジナルアルバム
「安全地帯Ⅵ 月に濡れたふたり」発表。
流石にどの曲もすごくクオリティが高い。
バービーボーイズの杏子さんをゲストに迎えた「悲しきコヨーテ」
安全地帯の曲の中でも、かなりハードな歌い方をしてる「Shade Mind」
レイ・チャールズにも提供した、僕的に大好きな曲 「Too Late Too Late」
一曲一曲は本当に素晴らしい。
でもバンドらしさを感じたのは、1曲目の「I LOVE YOUからはじめよう」
だけだったかな。
ってのが、正直な感想。
後日知った話ですが、六土さんは当時他の仕事も抱えていて、このアルバム制作にはあまり関わってなかったとか。
安全地帯という存在が大きくなり過ぎて、メンバーが一つになるっていうのが、ちょっと難しくなっていた時期なのかな。。。
6月に「I LOVE YOUからはじめよう」がシングルカットされる
夜のヒットスタジオに出演。
なんと玉置さんの華麗過ぎる食生活が披露される。
1日9000カロリーって?
以前よりはだいぶ健康的には見えますが。
ただこの夜ヒットでのパフォーマンスは、本当に素晴らしかった。
コンサートのノリそのままの熱気。
↓動画でどうぞ!
MIASSツアー行きたかったな。
行ってないので記憶があまりないのですが。
25公演位で大きなホールのみ、あまり地方には来てなかったと思う。
田舎住まいの15歳には、行ける術もなく。
当時はネットもSNSもない訳で。
情報源といえば
という音楽雑誌。
バイトをする様になって、ちょっとお金が出来て、やっと安全地帯ファンクラブ
「BIG JOKE」に入会する。
この辺が情報源となる。
しかし。
しかしだ。
突然の情報を目にする。
「安全地帯 活動休止」
それを知ったのは、新聞のテレビ欄。
今日夜ヒットは誰が出るかな~。
と夜9時の欄を目にした時だった。
ええ。。。。
なんで。。。。
夜まで気が気でない。。。。
夜のヒットスタジオには、玉置さん一人での出演。
他のメンバーはもう別の仕事があって来れない、との事だった。
「より良い音楽を創る為に、少しだけ時間を下さい。」
司会の柴俊夫さんが、メンバーを変える人もいるがそういう事は?と聞くも
「本人が辞めたいと言わない限り、メンバーは変えたくないです」
と強く発言。
ちょっとほっとする。
「微笑みに乾杯」
歌詞と玉置さんの言葉がシンクロして、涙がとまらない。
思い出よりも輝いていたい。
安全地帯への思い。
サクセスストーリーを一緒に歩んだメンバーへの思い。
夢をなくしてはいないから。
涙ふいて、歩いていこう。
もう振り向かない。
君のために。
微笑みを。
今でもこの時の事を思い出すと、泣けてきてしまう。
だからこそ、40周年の時はジーンと胸にくるものがあった。
今回は一旦ここで終わります。
ちょっと休んで、リクエストあれば、また続き書きますね。
イイネ、コメントを宜しくお願い致します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?