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孤独な暗闇からボールを投げる

 私が文章を書いてみて、一番怖いと思うこと。それは、何も反応がないことだ。
 noteを始めてからまだ数日間しか経っていないが、毎回、おっかなびっくり投稿している。

 「伝えたい」、「知ってほしい」という気持ちが、誰のところにも届かなかったらどうしよう…そう不安になりながら、携帯の通知を確認してしまう。

 何かを発信しても、誰の元にも届かなければ、それは「無価値なもの」になってしまう。触れてくれる人がいて初めて、意味を持つのだ。

 創作は、キャッチボールだと考えている。

 どれだけ多くのボールを投げても、ボールを受け取ってくれたり、投げ返してくれたりする人がいないと、ボールは宇宙をさまよい続けてしまう。

 私はいつも真っ暗な宇宙のような暗闇から、文章というボールを投げている。「どこかにいる誰か」がボールに気づいてくれることを祈りながら…。

 先日、嵐についての記事を書いた。

  ありがたいことに、noteの公式Twitterでも宣伝してもらえた。ビギナーズ・ラックだとは分かっているが、多くの人が引用してくれたり、拡散してくれたり、感想を寄せてくれたりした。

 「ああ、私のボールは届いたんだ…」と胸をなで下ろした。

 批判的な反応もあった。それも嬉しかった。
 だって、私の文章を最後まで読んでくれた上で、ボールを投げ返すことまでしてくれたのだから!

 私のボールで、誰かの心を動かすことができたのだ。胸が高鳴る。

 何度も推敲して磨き上げた、私のボール。
 私は命を削りながらボールを作っている。
 ようやく完成したボールは、いびつな形かもしれない。
 しかし、私にとっては「かわいい我が子」であり、「自分そのもの」でもある。

 ひとりぼっちの真っ暗な宇宙から投げた、一球のボールが、私の手元に返ってくる。「生きていてよかった」とさえ思える。

 もともとファンレターを書くことが好きだった。今も好きだ。私は、手紙魔だ。
 しかし、「好き」という気持ちは、案外伝わっていないことが多い。

 Twitterをフォローしたり、劇場やライブハウスに足を運んだりしても、解散したり、脱退したり、芸能人ではなくなってしまったりする人は、たくさんいる。
 こんなにも才能に溢れているのに!と、何度悔しい思いをしたか分からない。

 だから私はファンレターというボールを投げ続けている。「あなたのことが大好きです」、「いつも応援しています」、「尊敬しています」、「これからも見守りたいです」…。
 効果があるのかは分からないが、何もしないで後悔するよりずっとマシだ。

 ファンレターは、「本人」にしか届かない。
 しかしnoteなら、たくさんの人に「この人は素晴らしい」、「この作品は魅力しかない」と発信が可能になる。
 もしかしたら、関係者やエゴサーチを通して、本人にも伝わるかもしれない(もちろん、noteに書く前に本人にファンレターを送りつけているが)。

 広い広い宇宙の片隅から、私は今日もボールを投げる。それはとても勇気が要る。しかし後悔したくない一心で、全力投球する。

 たくさんのボールを投げる分、たくさんのボールをキャッチして、投げ返せるような人になりたい。
 「好きです」を言える人になりたい。

 noteと出会えて良かった。私はこれからも、「大好き」と言うために、ことばの力を借りようと思う。

 だからこれを読んだあなたも、ボールをキャッチして返してくれたら嬉しいな…なんて、贅沢なお願いもしてみる。

私のボールは、届いていますか?

【了】

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