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問いに問いてみた

この前って言ってもかなり前になっちゃうんだけど、雑誌の取材の事前アンケートってやつをやった。

雑誌のお姉さん「勉強と執筆活動の両立はどうしてますか?」

私「両立はできてないと思います。書くのに夢中になって夜中まで起きてる時は次の日授業中に寝たり、宿題忘れたりもするし。勉強に夢中になってる時は全然書かなかったりするし。何をどのくらいづつ出来てたら両立って言えるのかわからないし、両立することがどんなに必要なのか大切なのかもよくわかりません。」

って答えた。

テレビの取材の時は

「物語が出来上がるひらめきはどういう時にくるのですか?」

「…さぁ?浮かんだ時が浮かんだ時なので、何かをしたら閃くなんて都合のいい魔法は発見できてないです。」

って答えた。テレビの人はその後に

「では、今日の感想を3行で書いていただけますか?小説家さんの才能をぜひ間近で見させていただきたいです!」

…今日の感想を3行で書くのは別にいいけど、なんで3行なのか不思議だけど。
才能があるのかも分からないけど、もしあったとして3行の感想文で才能を感じられる才能はこの綺麗なお姉さんにあるのかな?

っていう不思議な気持ちのまま3行の感想文を目の前で書いた。

書いた感想文「今日は刺激溢れる1日でした。テレビの人からいろんな質問をされて、今まで考えたこともないことばかりで、なんで書くのか?とか考えることができたし、他の人の視点で物語や私自身を知れることができて面白かったです。」

実際に、テレビとかの取材は面白いから楽しい。

それに、皐月と美月の夏を宣伝してくれるし嬉しい。

テレビに映る家がいつもより綺麗とか、執筆してる風の映像を撮りたいからPCに向かって書いてるふりをするとか、今はコーヒー飲みたい気分じゃないけど、コーヒー飲んで欲しいって言われて仕方なく飲むとか、そういう演出は私は別にどうでもいい。

でも、小説を書くことと皐月と美月の夏と私が思うことは素直にそのまま答えたいと思う。

たとえそれが求められてる答えじゃなくても。

純粋な問いには覚悟もなにもいらないと思うけど、「こう答えてほしいな」って思ってそれを誘うような問い?をするときは、覚悟みたいのも必要なのかもと思った。

だって、ほしい答えじゃなかった時、全ての計画が崩れるかもしれないけど、事実を伝えることを選ぶのか、そこだけカットしてあくまで計画通りに伝えるのか、大げさになってきたけど、それくらいわたしにはマスコミの人が「問う」って事が面白く感じた経験でした。

お母さんに言ったら「クソ生意気な答え」と笑われました。

山形県に住んでいる小学4年生です。小説や漫画を読むのが好きで、1年生の頃からメモ帳に短い物語を書いてきました。今はお母さんのお古のパソコンを使って長い小説「皐月と美月の夏。」を書いています。サポートしていただいたお金は、ブックオフでたくさん小説を買って読みたいです。