【小説】お弁当狂騒曲 第4話「週末契約の裏事情」

第1話「菓子パンの女神」
前話「見た目は可憐な女の子だけど」

多和田さんと一緒にラーメンを食べたあと、彼女の運転する車の助手席にいた僕に、ふいに電話がかかってきた。スマホをポケットから取り出して出てみると、不動産屋からで、僕が落とした部屋の鍵が、無事に交番に届けられているようだ、という内容だった。多和田さんとのドタバタで、すっかり頭から飛んでいた家の鍵のことだったが、僕はとてもほっとした。これで家に入れる。

「良かったわねえ」

多和田さんが運転席で微笑み、その口もとにきゅっとえくぼができた。

「はい、本当に一晩泊めていただいて、ありがとうございました。また、家事の指導はいつでもさせていただきますので、呼びつけてください」

「お給料は月末支払いでいい? 月何回くらい指導には来てくれるの?」

「ええと、僕暇なんで、毎週土曜日とか、どうですか。月4回で」

「OKよ。じゃあ、よろしくね」

多和田さんは親切にも、鍵が届けられたという交番まで送ってくれた。僕はなんどもお礼を言いながら、車から降りた。

週明け、僕は内心ほくほくしながら会社へと向かった。誰も知らないだろう多和田さんとの週末の契約を、誇りに思いながら、いつものように弁当をつくり、寒い朝出勤した。

「おはようございまーす」

僕の挨拶を聞いて、会社のあちこちのデスクから「おー、はよ」とか「名取さんおはようございます」とか声がかかる。その中に多和田さんの声がまぎれてないか、僕はきょろきょろした。

多和田さんは給湯室でお茶を淹れているところで、僕はそっと自分のマグカップを持つと、その背後に立った。

「多和田さん、おはようございます」
「あ、名取くん。おはよ」

多和田さんは完全にポーカーフェイスを決めていて、本当に「何事もなかったような」「契約なんて忘れたような」顔をしていて、僕の脇をするりと抜けて、席に戻ってしまう。そうして、出勤してきた営業の西田さんの冗談に、ころころ笑っている。

(そ、そうだよな。僕との週末のあれこれなんて、ぜったいに会社では秘密だよな)

少し寂しい気分がしたが、僕は気を取り直して、たまっていた仕事をがんばって片づけた。何度も頭に多和田さんのことがよぎったが、極力忘れることに勤めて、仕事を終わらせることに専念した。

そうしてつれない態度をとられたまま、一週間が終わり、指導の約束をした次の土曜日がやってきた。いそいそと、家事訓練のプログラムをExcelを使って作り終えていた僕は、そのシートを持って、自転車で多和田さんの家に向かった。

約束の時刻は朝十時。僕は腕時計を確認すると、インターホンを押した。中から「はぁい」という声がして、出てきた多和田さんは、眼鏡をかけている。

「どうぞー。入って」

いそいそと靴を脱いで入った僕は、部屋の入口に立つなり仰天した。一週間でまた、すさまじく散らかっていたのだ。

「た、多和田さん、これどういうことですか。僕と先週、かなりきれいにして別れましたよね。それから一週間で、なんでこうなっちゃうんですか」

「だって……」

多和田さんはセーターにスカートで、もじもじとしている。

「本当に、夢のように散らかっちゃうのよ。ねえ、どうしたらいいの?」

「出したものはもとの位置にしまう、ってただそれだけなんですけど」

「それが私にとって難しいのよねえ」

僕は気を引き締めた。こんなんじゃ、いつまで経っても彼女が嫁に行けないじゃないか。僕は、用意してきていた訓練プログラムを彼女に渡した。

「とりあえず、今日の午前は掃除しながら洗濯機をかけます。午後からは、料理の指導をします。二時間で、とりあえずこの部屋をきれいに片づけましょう。僕がかわりにやると学ばないんで、多和田さんも率先してやってくださいね」

「はあい」

叱られた幼い女の子みたいにつぶやくと、多和田さんは床に落ちていたスーツを拾った。僕は、彼女がしぶしぶものを拾う様子を、腕組みして監督する体勢に入った。

二時間後、なんとか片付いた部屋で、僕らは一息つくためにお茶を飲んだ。多和田さんは、洗濯の際に色ものを分けて洗うこともしていなかった。服にしわがついたり、色じみができたらどうするのか、という僕の質問に「そうしたらすぐ新しいのを買う」と言ったので、驚愕した。本当にお金持ちの人の発想だ。つくづくお嬢様なんだなあ、と僕は溜息をつく。

ふいに多和田さんが、

「名取くんはどうして女の人の下着の洗い方まで知っているの?」

と聞いてきたので僕はお茶をふきそうになった。

「……それは、僕のうちは母も働いていて忙しかったので、母が僕に家事をなんでも教えたんです。洗濯から掃除から、料理から。数年前亡くなった父はずっとガンで闘病していたし、母が働いて家庭を支えるしかなかった。それで、僕もできることをと思い、なんでも家事をやったんです」

「偉いわねえ」

「偉くないです。多和田さんだって、必要に迫られれば、ちゃんとできますよ」

「名取くんは、いいコーチね」

多和田さんがしみじみそう言ったので、僕は身の置き所に困る。多和田さんの、黒目がちな瞳に、しぜんとドキドキしてしまって、僕はどうしていいかわからない。多和田さんへの恋心は、許嫁がいるという事実を前に、抑え込んではいるのだが、ふいにこうして、顔を出すから困ってしまう。

僕は話題をそらそうとして、何を話せばいいか迷ったあげく、つい自分から地雷原に突っ込んでしまった。

「あの、多和田さんの許嫁の方は、どんな方なんですか。何のお仕事をされているんですか」

「あらら。それ、ちゃんと話してなかったっけ」

多和田さんはそう言うと、お茶でくちびるをしめすと、話し出した。

「許嫁はね、黒部誠というの。代々医者の家系で、彼は今精神科医をやってるわ。彼のクリニックは大繁盛で、ときどきテレビにコメンテーターとしても出ているのよ。観たことない?」

「えっ、黒部誠って、あの人なんですか? 本とかもたくさん出してません?」

「そうそうー、あの人なのよ」

名前を聞いてぱっとわかるほど、黒部誠という精神科医は、今わりと話題、というか、精神科医としてテレビや著書で名を売っている三十代前半の新進気鋭といった雰囲気の医者で、しかもなかなかのいい男だった。思いのほか、かなりの大物だったことに、僕のプライドは折れた。

「多和田さんって、なんかすごいっすね……」

「私は全然、見てのとおりよ。ただ、黒部とは幼馴染なの。家同士も懇意だから、しぜんと親同士が決めてしまってね。黒部だって、たぶん見栄えのいい嫁で、家柄がある程度あるなら、きっとなんでもいいのよ。たまたま、私だっただけ。でも、いい人よ」

僕はずっと気になっていたことを多和田さんに訊ねる。

「そんなしっかりした許嫁の方がいるのに、僕をうちに上げていいんですか。僕なんにもしないですけど、黒部さんがきっと心配しますよ」

「いいのよ」

多和田さんの答えはそっけなく簡潔だった。

「黒部には、遊ぶ女の人がたくさんいるの。私は嫁として、ふさわしい容姿だとか、家柄だとかを持っているから、婚約者として選ばれてるだけ。黒部のマンションに通う女はいくらでもいるわ。だから、私が名取くんを家に上げたって、お互い様だからどうってことないのよ」

僕は殴られたようなショックを受けた。やっと腑に落ちた。どうして、多和田さんが僕なんかをやすやすと家に上げたのか。

しゅっとしたイケメンである黒部のことを、多和田さんは気になりながらも、きっとその女遍歴に傷ついていて、だから、僕の存在は当てつけでもあったのだ、きっと。

僕はしばらく言葉をなくして、その場でぼうっとするしかなかった。

第5話「スキャンダル」

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ほしちか

お弁当狂騒曲(連載小説)

家事が得意だけど、ちょっとヘタレな僕は、会社の美人先輩、多和田さんに憧れている。思わぬところでお近づきになったその結果――!?連載(更新中)です。
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