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10年間居場所だったnoteに寄せて

2024年明けて、1本目のnoteを書きます。今年は元旦から、みなさまには大変ご心配をおかけいたしました。能登への義援金、寄付のお申し出もぞくぞくと仲良くしてくださっているかたたちから届き、なんてありがたいんだろうとしみじみ思いました。

ただ、このnoteでは震災のことに触れません。ここではない場所で、あらためて書きたいと考えています。いま、さまざまな状況に置かれている方がいるなか、できることをいま精査しているところで、まだ自分のなかでも生傷である面も大きいため、ここでは触れないことを、お許しいただきたいと思います。

そのかわり、2024年が明けたら言いたかったことを書きます。私、2024年の7月で、note10周年のアニバーサリー記念日を迎えます。それで、2024年を迎えることを、数年前からとっても楽しみにしていました。

まさか元旦からこのようなことが起こるなんて思いもせず、出鼻をくじかれてしまいましたが…。でも、それでも10年は10年です。

私は、ここnoteで、ものをつづる楽しさに目覚めました。実は7歳くらいから本を書きたいと思っていたのですが、10代のときも、20代のときも書き方がわからず(真面目に書くことに向き合ってなかったともいえますが)忸怩たる思いで「いつか書けるようになったら嬉しいなあ」とぼんやり思っていました。

2014年初夏、ある人から「クリエイターのための投稿サイトができたらしい」と聞き、早速登録してユーザーになった私は、2014年7月12日、初めての作品をここに載せました。

その夏じゅう、短い掌編をたくさん編んで、日を置かず投稿しました。はじめて「あ、自分でもここでなら書ける」と実感しました。真っ白なキャンバスみたいなエディタ画面と、大きめで読みやすいフォントによって、私は「書ける」イメージを摑むことができました。

夏じゅう編んだ掌編で「言の葉の四季」という個人誌をつくり、それで金沢での文学フリマに初めて出たりしました。紙版の「言の葉の四季」は、在庫がなくなったのでいまはkindleで販売しています。

noteに作品を載せては、それが溜まってきたら個人誌に編んで、文フリで販売したり、ほしいと言ってくださったお友達に贈る、そんなサイクルを続けて、いままで来ました。2023年も、2018年―2022年に書いた短編を32本集めた「雨雲とドロップ缶」というnote再録集と銘打った個人誌を制作しました(現在はもう在庫なし)

そのほか、noteがきっかけで、たくさんの素敵なお仕事のご縁に恵まれ、それはこちらのポートフォリオにもまとめてあります。

この10年の歩みのなかで、私に本を出す機会、書くお仕事をする機会をくださった場であるnote社には、本当に本当に感謝しています。いま、noteでは各出版社、メディアとの連携がなされていて、日々書籍化作家が生まれたり、メディアミックスの機会の場になっています。

それは、とてもすてきなことで、私自身、それがあったからこそ、物書きとしてのお仕事ができたわけでして。

けれど、この10年をnoteで過ごしてみて、もっとも重要だったことは、「私がnoteで書いたことをきっかけに本を出せた」ということではないかもしれないって、思いました。

そうではなくて「書くことが上手くできず色々諦めかけていた私がnoteでは心から楽しく書けた」ということなんじゃないかと思うんです。

こういうことを言うと、怒られるかもしれないですが、私は非常にぬるい/ゆるい/甘い人間で。

「書くことに覚悟がある」側の人とは、比べようがないくらい、のたりのたりとしか夢に向き合えていなかった。

でも、こんな自分がnoteに出会って書くことの楽しさにやっと出会えて、それでも楽しいが勝って続けているうちに、note4年目に書いた100枚ほどの連載に、note6年目に書籍化依頼をいただき、note7年目には本になってた。びっくり。

でも、二回目言いますが、大事なのは「本が出せた」ことじゃない!「書くのがつらかった私が、書くのが曲がりなりにもできるようになってきて、なおかつ楽しくなった」ってことなんです!はい重要!テストに出る!

創作に置いて、私がもっとも大事に思っているのは「それが仕事になる」とか「お金になる」とかじゃないんだと思います。あくまで私の場合ですが。

「書くことが楽しい」って気持ちを持って、作品作りできることが、一番の一番に来るんだと思います。

創作の原始的な喜び、っていうか、私それを、noteに出会うまで忘れてた、いや違うな、わかってなかったんだと思います。

私は、このnoteっていう場は、20出来る人がその才能を100にも1000にもできる場ではあるとも思うんですけど、0.1とか0.3しかできなかった人が1できるようになる場でもあるんじゃないかって。

その、創作が全くできなかった人が、創作の楽しさに目覚めていく場としても、すごく良い環境なのではないかって、思うんですよね。もちろん0.1を1にできたっていうのは、私のことです。

0.1が1になったとて、もともと20出来る人にはまったく敵わない。でも、0.1を1にできるようになった人がすごくないかっていえば、そうではないと思う。創作を人生の友にできたのなら、それはそもそも最高なんだと思う。

私は、やっぱりどこまでいっても「できない側」の気持ちがわかってしまう。でも、そんな「できない側」にいても、創作の喜びを感じることはできるし、その喜びを忘れないためには、創作の全部を仕事やお金に換算しないことも大事だと思ってるんですよ。

私、やっぱりnoteのコミュニティガイドラインの中にある「創作活動でもっとも大事なこと」が強く印象に残っていて。

よかったら、読んでみてください。刺さらないな、っていう人は、たぶん大事だと思う価値観が違っていて、それはそれで良いことなんだと思います。

とりあえず、10年が長いのか短いのかよくわからないけれど、noteはそのあいだ、ずっとともに私のそばにあったサイトです。

これからも、楽しくゆるやかに続けていけたらなあと思っています!
いつも仲良くしてくださるみなさま、そしてnote社のみなさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。









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