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【短編】うさぎりんご

私には夢がある。小さい頃からお医者さんになりたくて、懸命に勉強してきた。医学部を受験したが、現役だった去年は不合格で涙を飲み、いまは浪人生として「今年こそ」と予備校に通っている。

もう十二月になってしまい、大学受験のハイシーズンが刻々と迫っているのを肌身で感じながら、自室で予備校に行く前の朝勉強と思って必死にシャープペンを走らせていると、いつものようにドア外から母の声がした。


「ちせ、いつものように部屋の前にお弁当置いとくわね」
「はぁい、ありがとう」

母は勉強の邪魔にならないように、と、いつもお弁当を私が出て行く時分に、部屋の前に置いておいてくれる。一分一秒でも多く、英単語や数学の問題の暗記に時間をかけたい自分としては、そんな母の気づかいがありがたかった。

時計を見た。もう行かなければならない。予備校に向かうために、私はシャープペンを置くと、着替えのためにクローゼットを開けた。

予備校で、お昼時にお弁当箱を開けると、からあげや卵焼きと一緒に、うさぎりんごがいつものように入っていた。母はいつもりんごをうさぎの形に切ってくれる。幼稚園のころからりんご好きな私のためだった。

受験勉強に熱中するあまり、家族とろくに話さないで自室にこもって学習する日々が続いた。それでも毎日、予備校用のお弁当は私の部屋の前に置かれつづけた。

朝ご飯はいつもカロリーメイトですますし、夜は予備校のそばのコンビニでパンを買って、学習室で夜遅くまで勉強するので、家族とろくに顔を合わせない日が続いた。

「……あれ、今日のりんご、うさぎじゃない」

冬らしくなってきたある日、私は気が付いた。りんごがうさぎではなく、普通に皮を剥かれてお弁当箱に入っていた。母さん、うっかりしたのかな、そう思いながら自宅に帰る道すがら、携帯が鳴った。

「ちせ」

兄の声だった。

「母さんがインフルエンザにかかった。お前、受験近いからかかると大変だぞ。今日はうちに帰らずじいちゃんちに泊まれ」

「ええっ」

「朝から風邪気味みたいだったから、寝てもらっていたんだけど、昼から悪化して。病院連れてったらインフルだって」

兄はフリーライターで、実家で仕事をしている。母の異変にすぐ気が付いてくれてよかった、と私は安堵した。

「じゃあ、もしかして今日のお弁当」

「美味しくなかったか? 俺がつくったんだ。母さんみたいにりんごをうさぎにしたかったけど、できなくて」


「……ううん、お兄ちゃん、ありがとう」

携帯の電源を切ると、冬の冷たい空気が頬に染みた。家族の応援が温かかった。

「――今年こそ、受からなくっちゃ」

独り言をつぶやくと、私は祖父の家の方向へ足を向けた。

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