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栄光などなくても

六月に入ってからテンションがガタ落ちで、わりと低空飛行の日常を送っている。バイオリズムで下がる時期に入っているのはちがいないのだけれど、料理も小説も、思う様につくったり書いたりできない。

いつ、うつ抜けできるかな、とただぼんやりしてるまま、日々が過ぎていく。仕事は行っているので、なんとか社会人としての体裁は保っているが、日常にあまり楽しみを見いだせないのはしんどい。

こういうときは、小説を書いている意味を、すぐ見失いがちだ。

私はそもそも、子供の頃から兼業作家志望で、売れっ子になるような未来は思い描いてはいなかった。趣味で細々とつくっていけたらいいとは、いまでも思っている。でも、noteに小説を書き始めて、思いの外たくさんの方々に作品が好きだと言っていただけて、本当にびっくりした。

期待に応えたい一方で、なかなか思うように制作できない。

小説が下手なのはわかっている。短編はなんとか書けても、長編を走りぬくだけの力が、まだまだ足りない。すぐに連載はとん挫しがちだし、体調不良だといっぺんに書けなくなる。仕事が忙しくなっても書けなくなる。

このごろは、小説を「好きだ」という気持ちさえ、失いそうになっていた。

でも、それはたぶん、体調があまりよくないからだろう。ここで、見てくれてる人がいるのに、弱音を吐くのはどうかなと思わないでもないが、弱音を我慢して何も書けずにいる数日のほうがしんどかった。

どうか、どうか、神様。

ずっと、書きたいという気持ちを、小説を好きでいる気持ちを、私が大切にして一生を生きていけますように。

少しずつ、浮上していけたらいいな。

今日も、小説が、好きでした。


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