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【連載小説】梅の湯となりの小町さん 9話

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そして、それからいくらの時間も経たないうちに、私は征一さんの車の助手席に乗りこみ気が付けば高層ビルが林立した道路を走っていた。

「わ、あの緑がいっぱいのところは――?」
「新宿御苑」

「あっちに、どこかで見たような大きく高い建物が見えるんですが?」
「都庁だろ……ちっ、渋滞につかまったか」

おのぼりさん全開で「このあたりが噂に聞く新宿!」と目を輝かせていた私を見て征一さんは、はーっ、と大きなため息をついた。

「なんつーか……本当に、何も知らないし、わかってないんだな」
「どういう意味ですか?」

きょとんとして聞き返した。私は、自分に徹底して冷たかった征一さんの、思いがけない一面を見て、気が緩んでいたらしい。征一さんはぶすっとした顔で、前の車の列をしっかり見据えながら、信じられない言葉を吐いた。

「あんたはまず、人を信用しすぎだ」
「え」

「たとえば、俺がここから名村家にまっすぐ帰らないで、かなり治安の悪い場所であんたを車から降ろして放り出し、どこかに行ってしまうことだってできる。だけどそういうこと、あんたは念頭にもないだろ」

私は息を呑む。

「あんたの育ったところはどうだか知らないが、東京じゃ、自分で自分を守れないと、本当に簡単に危ない目に遭うからな。あんたの危機管理意識はゆるゆるだ。どうせ、大学でも適当にナンパされたらすぐ連絡先教えて、どっかに連れ込まれるのがオチだろ」

さっき、ぶつかった相手――森山くんが気さくだったので、さっそくアプリで連絡先を交換したことをまるで見透かされているようで、どきっとした。

「――あの、それは心配してくれてるんですか?」

思い切り拡大解釈かもしれないけれども、そう言ってみると、征一さんはますます形のいい眉を寄せた。

「俺や、そして花恵のこと、冷たいと思ってるだろ。でも、俺たちからしてみたら、自分の面倒を自分で見ようという気概がない奴と、一緒に暮らしたくないんだって。だから、まずせめて、他力本願はやめてくれないか。『本当は一人で帰宅くらいできる。でも俺に頼めば家まで送ってってもらえるだろう』って、その魂胆がもうすっごい嫌」

ストレートすぎる物言いが、心にぐさぐさ刺さる。

「ご、ごめんなさい……」

電車のトラブルも、待てばそのうち解消されたかもしれないのに、すぐに征一さんにお願いしようと思った自分が恥ずかしかった。

「私って、本当に甘いですよね……」

涙がにじんできたが、彼の前で泣いては、ますますうざったく思われることはわかっていた。なので、精いっぱい涙をのみ込んで、目の前に開ける道をまっすぐ見つめていた。東京の春の空は、うっすら霞み、けぶっていた。


名村家の前で、車を降りたら、ちょうど外から帰ってきた昌太くんに見つかってしまった。

しかめつらになった征一さんは「昌太、俺ちょっと梅の湯行ってくるから」とさっさと家の中に引っ込む。目を真ん丸にした昌太くんと、決まり悪くもじもじする私がそこに残された。

「どうして、紘加さんが兄貴と一緒に帰ってきたの?」

質問に、おずおずと全体をはしょりながら答えた。昌太くんは私の話を、征一さんのお説教内容も含めて最後まで聞くと「なんていうか……この春一番の驚きだよ」と言った。

「兄貴って、前も言ったけど、とんでもなくモテるけど誰にでも等しく塩対応で。助手席に乗せるだなんて、滅多にやんないからな。どうしてだろう、身内だから? でもあの兄貴がねえ……」

と、顎に指をやり、まるで推理に納得がいかない探偵のごとく、不思議がっている。そして「俺も十八歳になったら、すぐ免許とろっと」と、眉を開きおどけたように笑った。その笑顔に、心底ほっとしてしまい、昌太くんは名村家のオアシスだと改めて思った。


その晩、私は花恵さんのいない二畳の和室で考えに考えた。もっと、自立心を持たねば。「なんにも知らない、なんにもできない、田舎の箱入り娘」から脱却をはからねば。そのために、できることをひとつずつ、練習していくのだ。

決心した私は、佳代さんにまず話をすることにした。和室の明かりを消し、台所に向かう。いまごろは、梅の湯の営業が終わって、もう戻ってきているはずだ。

はたして、佳代さんは台所で、小さなテレビをつけドラマのエンドロールを見ていた。テーブルの上には、スーパーの特売チラシがちらばっている。ドラマが終わっていることを確認して、声をかける。

「あの、こんばんは」
「ああ、紘加ちゃん。どうしたの?」

「私、やっぱり、何もせず居候だけするのは、申し訳が立ちません。梅の湯のお手伝いでも、家事でも、させてください。それからもう少ししたら、バイトを始めようと思っているので、食費も渡したいです」

佳代さんは、しばらく無言になったあと、テレビをリモコンで消した。

「頼りない甘ちゃんだと思ってて、いつこっちに厄介をかけていることに気付くんだろうと見ていたけど、案外早くて安心したよ。あんたのお父さんからは、一ヶ月経って、紘加ちゃんが自分から『食費を渡す』と言わなかったら、自分たちから話しますと聞いていて」

「そうだったんですね」

実は、テストされていたのか。自分の親からも。佳代さんや二朗おじさんからも。でも、今日のドライブで征一さんにはっきり言ってもらえなかったら、私はまだ気づかなかったかもしれない。

だって、先日花恵さんが放った「同居が迷惑」という言葉には、恥ずかしく思う一方で反発しか生まれてなかった。その場で、どうしたら問題を改善できるのかということには、頭が回ってなかったんだ。

「紘加ちゃん、そうしたらね」

佳代さんはそう言いながら、冷蔵庫を開けてラップのかかったいちごの皿を出してきた。

「大学の授業が始まったら、おそらく午前は忙しいだろう。だから朝の掃除はまかせられないけど、午後から夜まで、銭湯を開けているときに番台を手伝ってくれる? 授業がない日で、週2でかまわない。あとは、バイトをして社会勉強しなさい。結局ここだって身内だから、甘くなってしまうからね。そして、ときどき夕食づくりを交替してくれたら、助かる」

「ありがとうございます! ぜひ、やります」

「まあ、こないだの掃除の手際を見たら、そう多くは期待してないけどね。夕食は、冷蔵庫のなかにあるものでこしらえて。新しく買い物するんじゃないよ」

「はい。わかりました」

母に、メッセージを送っていろいろ教えてもらうか、と思ったところで、これも他力本願かなと思い直す。レシピはネットを検索すれば、たくさん出てくるだろう。

「いちご、食べちゃって。お客さんからもらったんだけど、賞味期限ぎりぎりでさ、どう見ても」
「あ、ほんとですね」

私は皿を受け取った。佳代さんのはっきりしたもの言いにも慣れてきて、彼女が決して内心では自分を突き放してないことがわかった。

特売チラシをとっくりと眺めて、安い食材をメモしている佳代さんの向かいに座らせてもらい、甘酸っぱいいちごを食べた。実家でも、母とよく食べていたいちごを、東京の親戚の家で食べていることに、妙というか不思議な縁を感じる。

食べ終わって、自室に戻ろうとしたら、ちょうど玄関で花恵さんが靴を脱いでいた。自分には到底履けなそうな、ヒールの高くて細い靴。改めて感心しながら「おかえりなさい」と声をかけた。

一拍遅れて、ちょっとぶっきらぼうな「――ただいま」の声が返ってくる。無視されなかったことにほっとした。もうすぐ、入学式が近づいてくる。

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