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【短編】アジ釣りの日

中学校を休んで、もう10日になる。もとはと言えば、僕の内履きズックの中に、ゴミが詰め込まれていたことが始まりだった。女子のいじめも陰湿だというけど、男子の中で覇気のない僕はまわりからこぞって見下され、からかわれ、悪意を持っていじりまくられた。その攻撃に僕はほとほと疲れてしまった。

今日は日曜日。明日になったら、また学校に行くか行かないかを決めなきゃならない。僕はこのまま、駄目な奴として、落ちこぼれになっていくのかな。そう思って、布団にもぐり込んで動かずにいると、ふいに自室のドアがノックされた。

「入るぞ。具合はどうだ」

父さんの声だった。中学校行かないことを、叱られるのかな。そう思ったら、お腹がキューッと痛くなった。父さんは、僕のベッドの脇にどっかり腰を下ろすと言った。

「賢人。梅雨が明けたし、今日は天気がいい。父さんと一緒に、アジを釣りに行かないか」
「あじ?」

思わず僕は、布団の中から聞き返す。

「父さん、今日は日曜で休みだから、たまに賢人と出かけたいんだ。港近くの堤防へ行こう。釣りは楽しいぞ。外へ出るのは、気分転換になるから、一緒に行こう」

僕は、やったことのない「アジ釣り」の言葉に、つい興味を惹かれて、布団からはい出した。

「まあ、いいけど。難しくないの?」
「大丈夫だ。父さんが教えてやるから」

そういうわけで、不登校10日目の僕は、父さんの車に乗って、港まで行くことになったのだ。

父さんと釣り道具を持って、やってきた堤防は思い切り潮の香りがして、もうすでにぽつぽつと釣り客がいた。二人で、まずは港近くの釣り具店で、エサを買う。エサは凍ったアミエビだ。

エサを買って、バケツに入れて、竿を持ち、僕らは堤防へ歩いて行くと、釣り客と釣り客の間に、自分たちの場所とりをする。

釣竿の先に、針とは別にエサを入れるおもりつきの小さなカゴがついていて、このカゴにエサのエビを入れて、海へ放すらしい。このエサにつられたアジが、6本ある針に引っかかるのを待つのだそうだ。

僕と父さんは、さっそく竿を海に向けて軽く投げ、おもりが海の底に着くのをたしかめると、ゆっくり、上下に揺らし始めた。リールも少しだけ、巻く。

すぐに、僕の竿が、くくっとしない、海中に引っ張られる反応があった。

「うわ!もう食いついた! 父さん、どうしたらいいのっ」
「ゆっくり、魚が逃げないように気を付けながら、リールを巻くんだ。そう、そう、その調子……ほら、釣れた」

引き上げた糸の先の針には、まるく太った小アジが二匹かかって、堤防のコンクリートの上でびちびちと跳ねていた。

父さんが、自分の竿を海中から引き揚げた。父さんの竿にも小アジが一匹かかっている。父さんは順番に、僕の竿にかかったアジと、父さんの竿にかかった鯵の口から、針をはずして、氷の入ったクーラーボックスの中に入れる。

「すごい、僕でも釣れるんだ」
「そうさ、アジ釣りは簡単なんだから」

僕らはそれから、たくさんたくさんアジを釣った。釣り糸を海に垂らしていると、父さんが話しかけてくる。

「中学校、嫌いか。行きたくないか」
「……うん。勉強は嫌じゃないけど、やなやつがたくさんいて、そいつらと会いたくない」

「賢人。中学校も大事だが、学校の外にも、広い世界はある。中学校は、狭くて小さい社会のひとつにすぎない。勉強が嫌いじゃなければ、父さんの友達がやっている塾に行ってみるか?そこはまた学校とは別の場所だから、仲良くなれる子がいるかもしれないぞ」

「うん、そうだね。ありがとう」

仕事で忙しい父さんだけれど、僕のことをちゃんと考えてくれてたんだ。そう思うと、お腹の痛みが、すーっと溶けていくような気がした。

「釣りはいいだろう。こうして海を見て、日がな一日釣り糸を垂らしていると、父さんも仕事であった嫌なことを忘れられる気がするよ。それに、昔の中国には、太公望といって、釣りが好きな男がいてな、若い頃は苦労が多かったが、だいぶ齢をとってから、周の文王に見いだされ、軍師として革命に加担して大活躍したんだ。

賢人もまだまだ若い。学校が辛かったら、こうしてたまに父さんと釣りでもしながら、ゆっくり大人になればいいのさ。賢人も、きっと大器晩成型だと、父さんは思うぞ」

太公望という人の話は聞いたことがなかったが、僕は父さんの話をくすぐったく聞いた。

夕方になる頃には、クーラーボックスの中は、小さなアジで満杯になっていた。父さんと僕は、クーラーボックスを車に積むと、母さんの待つ家へと帰った。

「うわぁー、すごい!こんなにたくさん!賢人、やったね!」

母さんは大漁のアジを見ると、めちゃくちゃ喜んだ。

「大き目のアジは、たたきにして食べよう。これは父さんがさばこう。母さんは、豆アジを、唐揚げにしてくれるかい?賢人も、ほら、手伝うんだよ」

そうして、今夜の食卓はアジづくしとなった。ネギとショウガをまぜて叩いたたたきも、塩コショウを効かせた唐揚げも、すごく美味しくて、僕は久しぶりにご飯をおかわりした。

明日は月曜日。朝が来てみないと、やっぱり学校へ行けるかどうかはわからないけど、僕は自分に心の中で「大器晩成」「大器晩成」と言い聞かせた。そうすると、お腹の中が、あったかくなるのを感じた。

ビールを飲みながら、野球中継を見ている父さんの背中が、今日はちょっと頼もしく見えた。僕にとって、今日はそんな日曜日だった。

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