見出し画像

記憶のなかの夏の日のスープ

煮込み料理が好きだ。最近は鍋よりも大きなフライパンで作ってしまうことが多い。炒めてから煮るところまで、フライパンひとつで間に合わせてしまえるから。

鶏のトマト煮をときどき作るのだが「チキンカチャトラ」という別名があるらしい。とてもおしゃれに聞こえる響きだ。でも「カチャトラ」と言われてたいていの人はぴんとこないだろうから「鶏のトマト煮」でよいと思う。

私たちはイタリア人ではないけれど、パスタをはじめとしたイタリア料理を愛する。なかでもトマト煮は、イタリアのお母さんが作る家庭料理というイメージが勝手にある。日本の肉じゃがみたいなものかなって、想像したりする。

鶏をトマト缶のスープで煮た料理を、私の幼いころ母もたまに作ってくれた。記憶のなかでは、鶏もも肉ではなく手羽先で、トマトスープは、しゃばしゃばとしていて、いんげんなども入っていたように覚えている。

母はフルタイムでずっと働いていたから、普段の食事は母の母、祖母が主に担当してくれることが多かった。だから、たまに母が食事の担当をすると、祖母の作る和食とは違う洋食なども出てきて楽しかった。

子供時代は、とても食が細くがりがりに痩せていた私だったが、その母のトマト煮は美味しいと思って食べた記憶がある。ただ、トマトスープの中から手羽先を拾ってかじりつくやり方は、手が汚れるし食べにくかった。なぜ母は手羽先で作ったのだか、いまでも謎だ。

私は母にコンプレックスがある。人格的にも、賢さでも、器用さでも、コミュ力でも、家事能力でも、自分より母のほうが上だといまでも思っている。

私が母を、唯一超えられているのは「料理が苦にならないこと」だけだ。

母も実は料理が上手だけれど、でも料理をするのが好きで仕方ないのは、私のほうだと言える。実家に帰るたび、家族に料理を振る舞うのが私の楽しみだ。母はいつも嬉しそうに食べてくれる、その顔を見るのも娘として幸せなことだ。

鶏のトマト煮をつくりながら、あの日母が作ってくれたしゃばしゃばしたトマトスープを思い出す。母は自分が食事担当のときにいろいろ作ってくれていたのに、なぜかあのトマトスープの記憶がひどく鮮やかだ。冬であったイメージはない。夏野菜と一緒にそのときの記憶が浮かんでくるから、きっと夏だったのだと思う。

トマト缶は買っておくといろいろ使い道がある。カレーのベースにしてもよし、トマトリゾットにしてもよし、パスタソースにしてもよし、鶏ではなくてイカとか魚と煮てもよしだ。

いつも食べたいわけではないが、一ヶ月に1、2回はトマト味の料理が食べたくなって、スーパーでトマト缶を買い物かごに放り込む。

今、母に、あのしゃばしゃばしたトマトスープを作ってとお願いしたら、母はその作り方を覚えているだろうか。どうもあやしい気がする。それでも、私の記憶のなかから、あのトマトスープのイメージが消えることはない。

母は私に、忙しい仕事の合間を縫って、自分とおそろいの手縫いワンピースまで、昔こしらえていたので、本当に器用でこまやかな人だ。

いまでも、いろいろなことが母に敵わないと感じている。

でも、料理をすることだけは、私が母には習わずに、レシピ本を見ながら自分で上達してきたことだ。

そんな母に、私の作るものを「美味しい。お母さんにはこんなのできないわ」と言われると、くすぐったくて、嬉しくて、なぜかちょっとだけさびしくもある。

あの日食べた鶏のトマトスープは、まぎれもなく母の味だ。レシピを見てつくった私のつくる鶏のトマト煮とは、だいぶ違う印象。私のつくるトマト煮の具には、玉ねぎ、なす、しめじが入る。

服や手を汚しながら食べたあのトマトスープを、なんの具が入っていたか、もうほとんど忘れてしまったトマトスープを、まためぐってくる夏に食べられたらいいな、と思う。

暮らしとごはんのマガジン「食べて笑って四季暮らし」はじまっています。どうぞよろしく。


画像1

今日のひと皿:鶏のトマト煮









いつも温かい応援をありがとうございます。記事がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせていただきます。