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七夕によせて

九州地方の大雨には大変心を痛めていて、どうか被害がこれ以上広がらないように祈っているところだ。被害に遭われた方が、少しでも早く安心な場所で一息つけるようにと、願うばかりである。

今日は七夕だけれど、打って変わって北陸地方では朝から強い日差しが照り付けている。日中はさぞや暑くなるだろう、という予感でげんなりもするが、こうも思う。

「晴れている七夕って珍しい…!」

私が子供時代の頃、学校でも家でも七夕飾りをつくったが、雨が多くしかも梅雨時期の北陸のこと、押しなべて当日は雨か曇りだった気がする。

「今年も織姫さまと彦星さまが会えないから、願いを叶えてもらえないかも……」

と子ども心に残念がっていた思い出ばかりだ。夜に晴れた七夕の記憶が一切ないというのがまたどうなの?という感じではあるが、人はいい記憶は忘れ、悪い記憶ばかり覚えているのかもしれない。

うちの親は、七夕前になると、近所から笹を切ってきてくれて「飾りに使え」と渡してくれた。それで、手先が器用だった祖父と、折り紙で星や輪っかや短冊をつくり、熱心に飾り付けたものだった。

私が短冊に書いた願いは「家族仲良く暮らせますように」といった家内安全や「世界が平和になりますように」といった大きなものもあったけれど、やっぱり毎年書いていたのは「作家(小説家)になれますように」だった気がする。

でも私は情けないことに、願いを書いただけで満足する子どもだった。「作家になりたいって書いてればいつか叶うもんね~」と能天気な幼少期から思春期、青春期をすごし「全く書けない……!」と焦り始めるのは二十代からであった。遅すぎるだろう。

子どもたちは毎年、七夕に自分の夢を書く。「サッカー日本代表になれますように」「アイドルになれますように」でも、その夢が叶う子と叶わない子に、残酷にも別れていく。

でも、その叶わなかった子が、不幸せになったかというと、そうでもないのが人生の面白いところで、夢が「幸せな家庭を築くこと」に変わったり、大人になってからやりたい夢を見つけることだってあるだろう。

私の夢はいまだに「作家になること」「小説を書くこと」でもあるが(子供時代が過ぎたのに、まだ言ってんのかよ、というツッコミはなしね!)、その前に「人生を幸せに暮らし、家族を大切にしながら生きること」が、それ以上に大切な夢と今はいえると思う。

七夕は「願いが叶いますように」とお祈りをする日でもあるけれども、今一度「自分が人生に求めているものは何か? 何が叶えられたら幸せなのか?」と思い返すきっかけになってくれる日でもあると思う。

あなたも、短冊まで書かずとも「今自分が何を叶えたいのか」を、夜になるまでに考えてみるのはいかがだろうか。それを考えてみることで、やりたいことをやるための足がかりが見つかるのではないか。そんなことを思いながら、私は今日、日が暮れたら夜空を見上げたいと思うのだ。

「どうかあなたの願いも、叶いますように」

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