私の書く恋愛小説はあくまで娯楽です

私の小説は、家族ものとか児童文学もあるけど、恋愛ものも多い。恋愛小説というジャンルに入るのだろうけど、なんで自分がそういうテーマで書くかについて、考えてみることにした。

「恋愛小説」…のイメージは「わぁ、切なくて素敵ですねえ」という好意的なものもあれば、ぶっちゃけて「この作者、頭ゆるそう」という悪いイメージもあると思う。一時期流行っていたケータイ小説と自分の書くもののあいだに差があるのか、と聞かれたらないかもしれない。

生きてきた人生の中で、恋愛についての経験が豊富かと言われれば決してそうではないし、むしろ少ない。でも、私はおおいに、小説のなかで恋愛を扱いたいし、恋愛を描くことでしか、書きたいことに届かないと思っている。

「男女が出会い、互いに恋をすることによって、傷ついてきた過去を救いあう」

……なんでだかわからないが、自分の中にある大きなテーマが生まれもってこれしかなくて、これしかないので仕方なくこれを延々書いているのである。陳腐なテーマであることは言われなくてもわかっているし、なかなか文学的にも前衛的にもなりようがないが、これしか書きたいことがない。

そうして、一番大事なことは、私は小説の中の恋愛と現実の男女関係とは、まったく分けて考えているということである。

私の書く恋愛小説はあくまで娯楽である。物語の中の、そうだな、洋食屋ななかまど物語であれば、丹羽や紺堂(一応イケメンキャラ)の言動を、いち女子としてキャーキャー言いながら読んでいただきたい。

がんばっている女の子が、男に愛を告白されて結ばれるストーリーだ。古典的少女漫画的展開だけれど、私はこういうのを書いていると癒されるし、読んでも癒される。本当に、自分も娯楽として書いてるし、読んだ人にも娯楽として楽しんでもらうための作品だ。

だけど、これと同じような大恋愛を、現実でも同じようにやりたいとか、やってきたとか、そういうことはない。現実と、恋愛ドラマや漫画や小説とは別。まったくの別だ。

異性にきれいなものを自分勝手に投影することが恋だとして、現実ではその投影は裏切られることが多い。

すべての男がDVやモラハラなどするひどい人なわけではないし、すべての女が意地悪な面があったり部屋がきれいじゃなかったりするわけではないが、現実では、恋愛や結婚で長くときめきを維持することは難しい。生活に飲まれて、家族愛になっていったり、夫婦として暮らすうちに、きれいなものばかり投影はできないことに嫌でも気づくだろう。

なにが言いたいかというと、私は娯楽用の小説で恋愛を扱っているけれど、それは恋愛というテーマでものを書くことで自分が癒されるからであり、人生の中で娯楽として小説や漫画を読むことで、気持ちが救われるからだ。そうして、そういう方が私だけでなくいらっしゃるから、私の本を手に取ってもらっているのだと思う。

話は変わるようだが、twitterのなかでは、多くの女性が女性の持つ権利や男性の無理解について、意見を日々主張している。うなずかされる意見も多い。フェミニズムに基盤を置く問題が、twitterの存在で露呈してきて、多くの人が問題にするようになり、社会が良くなっていくきざしのように思える。

そんななか、恋愛小説を書いている自分を振り返り「この展開・内容はフェミニズム的にどうなんだろうか」と思うこともないではない。

やっぱり、フェミニズム観点からして、男性を美化して盲目的に追従するような恋愛小説は、現代的ではないだろうと思う。恋愛はいいことばかりではなく、その中にDV問題やストーカー問題、性被害などの危険性もはらんでいる。

その危険性にじゅうぶん注意を配った上で、でも、私は、恋愛小説はこの世界の中に必要だと思う。娯楽としてもそうだし、人が人を理解しようと思う、そのきっかけや手助けになると思うのだ。

そして、娯楽としての小説の中の恋愛を楽しむことと、現実の男女関係でのふるまいは、きちんと分けてできるようになるべきだと思う。そのふたつはちゃんと考えさえすれば、両立できるはずだ。

「君をさらっていくから」というセリフは、漫画のなかでは「キャー」と楽しめるが、現実でそれをやったら立派な犯罪である。

だから、恋愛小説は分別のつく大人のための楽しみなのかも。ずっと前に何か(漫画だったか本だったか思いだせない)で読んだセリフが思い浮かぶ。

絵描きの老人に対して青年が「どうして絵を描くのか」と聞く。老人は「この世界は美しいものばかりではない。汚い世界だ。だから私は美しいものを描くのだ」と言った。

おそらく私も、このパターンかもしれない。現実の恋愛や片思いが、ハッピーエンドになることはないから、心に響く美しい恋を描きたくて、小説という形でこの世に送り出しているんのだと思う。

えーと、このノートは普段男女が出てきて恋愛する小説を書いているほしちかが、娯楽としての恋愛小説の意義について、めずらしく頭をしぼって書いてみたものです。

恋愛小説は娯楽とわりきって楽しむことで癒しになるけど、それは現実の男女関係とは別ものだという視点も必要と思う。そうわりきっていると、なお小説や漫画の恋愛ものを楽しんで読めると思う。

恋愛小説をキャーキャー楽しむ気持ちと、社会問題であるDVや性被害など男女間のトラブル(男性⇒女性だけでなく、女性⇒男性からもね)を軽視しないという意志を、これからも両立させていきたいです。

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ほしちか

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