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【小説】春来たりなば

風邪の名残のマスクをしたまま、ほんのり春めいてきたおもてに出るため、実家のドアを閉めた。今年おろしたばかりのラバーブーツは、すでに小さな傷がたくさんついてしまっている。

道の脇にはとけのこった根雪が、早春の陽に洗われて少しずつその体積を小さくし、アスファルトの隙間からはさみどりの若草が萌えていた。

遠いと思っていた春が、もうここまで来ている。コートのポケットに、まだ少し寒さにかじかむ手をつっこみ、私は信号待ちをする。冬よりもかなりまぶしくなった陽光に目を細めると、私は横断歩道を渡り、咲きそろいはじめた梅の木がある一軒家の角を曲がった。

大学の春休みが始まり、東京のアパートから実家に帰ってくるなり大風邪をひいて寝込んでいたのだが、やっと動けるようになったので、前々から行こうと思っていた達夫叔父さんの家に今日向かっているのだった。

歩いた先にある野良猫のうろつく細い路地の先にある古びた一軒家。その軒先で、自転車のチェーンを替えている作業服の男の姿を見定めて、私は近づくと声をかけた。

「康平。自転車壊れたん?」

こちらを振り向いた金髪の男は、達夫叔父さんの息子であり、私のいとこにあたる康平だ。町工場の工場長である叔父さんの一人息子として、私の一つ下でありながら彼は父親の工場で高卒のときから働いている。康平は、自転車から目を離すと、私を見て、顔をしかめた。

「――こんなのすぐに直るから、なんでもねえ。でかいマスクで誰かと思ったら、朝海かよ。お前インフルじゃないだろうな。俺に感染すんじゃねえぞ」

相変わらずのガラの悪さと口の悪さだ。だけど叔父ゆずりで彼は手先が器用だから、私は家のものが壊れると、中高生のころなどなんでも康平に直してもらっていた。

「大学が春休みでさ、実家に帰って来たんだけど、私の自転車のタイヤの空気もぬけてるの。チェーンは大丈夫だけど。あとでうちに来てもらってもいい?」

「自分でできねえのかよ、しょうがねえな。あとで行ってやるよ」

悪態をつきながらも、なんだかんだと修理に来てくれる康平は実はわりと優しい奴だ。

「朝海、何しに来たん。自転車のことだけか?」

そう言った康平の金色のくしゃくしゃした髪が春陽に透けるのを見ながら私は言った。

「達夫叔父さんに用があって来たの。叔父さん、家にいるかな」

「今日は工場休みやから、二階でテレビ見とる。上がってけよ」

くい、と顎で一軒家を指すと、康平はふたたび自転車に向き合い、私に背中を向けた。私は康平の了解がとれたので、玄関の引き戸を開け「こんにちは」と言うとブーツを脱ぎ、少し急な階段を足早に上った。

二階の和室で、達夫叔父さんは半纏を着て小さなテレビを見ていた。私の気配に振り返り、「おお、朝海ちゃん」と笑った。しわの深く刻まれたシミのある顔。しばらく見ない間に、また齢をとったようだと思いながら、私は持ってきた酒まんじゅうの袋を渡す。

「叔父さん、康平と食べてね」

この家に住むのは達夫叔父さんと康平の二人だけだ。達夫叔父さんは弓子叔母さん――康平の母親にあたる人を、心筋梗塞で若くに亡くしていた。ひとかどの不良だった康平が更生して、達夫叔父さんの工場で働くようになったのも、母親の死がきっかけだったようだ。もっとも、髪の色は直らなかったけれども。

達夫叔父さんは、こたつの上にあったみかんを私に勧めると、とろんとした眼で私に言った。

「で、朝海ちゃんの話っていうのは、なんだね?」

私はささくれた畳の上に、正座しなおすと言った。

「――叔父さん。叔父さんちにアルバムってないかな。そこに私の小さい頃の写真ってないかしら。あったら、もらいたいんだけど」

「小さい頃の写真って、朝海ちゃんちにも、あるだ」

あるだろうに、と言いかけて、叔父さんは口をつぐんだ。そして、深々とうなずくと言った。

「――そうか、あのとき、焼けてしまったんだね」

「うん、そう。大学のゼミ課題で、小さい頃の写真をみんな持ち寄って、編集して動画に流すことになったの。うちのアルバム、みんなあのとき、焼けちゃって」

あのとき。それは思い出したくない記憶だけど、私の家は一度火事になり半焼したのだった。原因は、物忘れの激しくなっていた祖母が、一人で家にいるときに、鍋を火にかけて忘れたことだった。火は台所から居間に燃え広がり、小さい頃から母が撮りためてきた私の写真も、ぜんぶ炭になってしまった。

私の母と達夫叔父さんの産みの親であった祖母は、火事を引き起こしたショックから本格的な認知症となり、老人ホームに入ったがほどなくして亡くなった。

火災保険は降りて、家もリフォームして、一応元通りになったけれども、私の家族は、あのときのことをずっと忘れられない。祖母を喪った原因となった深い傷として、家族の構成員みんなの心をいまでもえぐっている。

達夫叔父さんはゆっくりと体を起こして立ち上がると、棚の下の引き戸を開けた。

「弓子が死んじまってからは、アルバムなんて、ずうっと俺も見てなかったなあ。たしか、ここらへんにしまったはずだけど、あ、これかな。朝海ちゃんの写真もあれば、いいがなあ」

布張りの古いアルバムを、叔父さんは取り出してくれた。だいぶ埃をかぶっているそのアルバムを、私は開く。

おむつをした赤ちゃんの古い写真が一枚目に出てきた。

「おお、康平だな。このころは、可愛かったなあ」
「いまは見るかげもないですね」

私がそう言うと、叔父さんはがははと笑う。色褪せた写真の中に、小さな康平がたくさん映っていた。二枚目、三枚目、とページをめくると、三輪車に乗ったおかっぱの女の子が現れた。

「あ、これ私か!」
「そうだね、朝海ちゃん、これあげるから持ってきなよ」

私はありがとうございますと言って写真を引き抜く。アルバムの中には、康平を抱いた弓子叔母さんの写真も何枚もあり、次第に達夫叔父さんが涙ぐみはじめた。

「弓子の写真は、つらくてあまり見れなかったんだよ。でも、康平を産んだばかりの若い頃の写真を見ると、なんだか昔を思い出すよ」

階段を上って来る音が聞こえて、私と達夫叔父さんは振り返る。康平が「親父、朝海、なに二人で見てんだよ」とドスの効いた声でいい、それが自分の幼い頃の写真だとみてとると、

「おっまえ、朝海、なに勝手に昔の写真引っ張り出してるんだよ、しまえよ」

と真っ赤になって抗議しはじめた。

それが可笑しくて、私は笑いをこらえる。

「こーんなちっちゃいころはまだ金髪にもしてなくて、あどけなかったんだねえ。いつからこうなってしまったんでちゅかねえ」

「ふざけんな、殺すぞ」

康平が私をこづきはじめたので、私は叔父さんにアルバムを返すと、「あとで自転車直しに来てねー」と言い置き、部屋を出た。

「ぜってー行かねーからな!」

康平の怒鳴り声が聞こえたが、まあいい。なんだかんだ言って近日中にはきっと直しにきてくれる、それが康平なのだった。

階段を駆け下り、ふたたび春っぽくなってきた外に出る。白い陽ざしのなか、薄青い空に目をやると、ぽっかりとちぎれ雲が浮かんでいた。

手の中の写真に私は目をやる。三歳ころだろうか。三輪車にまたがり、顔中で笑っているその幼い顔。

ときどき、なくしてきたものの重たさに、ふっと立ちくらんでしまいそうになるけれど。

(康平に、卒業したらこっちに帰って来るつもりって、言いそこなったなあ)

ふっとそう思ったあと、私はもう一度、今出てきた一軒家を振り返った。康平のいる風景、陽に透ける脱色された髪、修理中の自転車。

そのなにもかもに、どこか安堵を覚えて、私は元来た道をまた歩き始めた。

大切な、我が家に向かって。

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