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【掌編】月見蕎麦

小葱を刻むと、すっと清冽な香が立った。腹がすいたので、私一人の蕎麦を茹でている。ぐらぐらと沸く鍋の中で踊る蕎麦を横目で見ながら、薬味の用意を片手間にする。だいぶ寒くなってきた霜月半ば、これから迎える本格的な冬へと向けて、心も体も整えてゆく。

母からゆずり受けた塗り椀を木箱から出してきて、熱いつゆをそそぎ、茹だった蕎麦を落とし入れる。小葱を散らし、思い立って冷蔵庫から卵をひとつ取りだし、椀に割り入れる。月見蕎麦、とは昔のひともよく名付けたものだと感心する。

私はいま、三年前に亡くなった祖母の家に住んでいる。祖母は病に倒れる直前まで、朝は玄関に出て落ち葉を掃いていたから、私もなるべくいいところを倣うようにしたいと思っている。十一月も中旬だから、家の前は落ち葉がつもっているはずだ。自宅で仕事をする朝寝坊の私は、朝一の掃除とはいかず、昼飯を終えてからの掃除になるが、それでも毎日落ち葉掃きは欠かさない。

卵をそっと箸でくずし、蕎麦にからめる。すすりこむと、葱の香と蕎麦の風味、卵の甘さが一体となって、腹へとおさまりゆく。うまい、そう口に出してから、祖母のことを思いだす。祖母も蕎麦が好きだった。春は自分で摘んできたタラの芽やわらび、ふきのとうなどを、天ぷらにして蕎麦と一緒に食べていた。秋はやはりきのこを摘んで、だいこんおろしと合わせて食べていた。

私も山に行って、祖母みたいに季節の恵みを採ってきたいと思いはするが、思うは易し、行うは難しで、なかなか重い腰が上がらない。毒草と食用の見分けもつくか怪しい。そんなふうに思いめぐらすうちに、また腰が重くなる。「まったくあんたはしょうがない怠け者でねえ」と、苦笑する祖母が目にうかんでしまう。

少しずつ冷えていく家の中で、蕎麦を食べ終わった私は、両手を組み高くあげて、背伸びをする。書き物仕事は、肩が凝る。肩を回し、足を伸ばし、首を振って、こちこちに固まった体をゆっくりとほぐしていく。怠け者でも、運動くらいは、いや体操くらいはしないといけない。

さて、と私は声を出して気合を入れ、落ち葉掃き用のほうきとちりとりを、納屋から採ってくると、玄関からおもてに出る。木枯らしが吹きつけて、思わず肩を寒さにすくめた。木枯らしで転がる落ち葉は、もう家の前一面で踊っている。ああ、晴れているから、この作業が終わったら洗濯もしよう。シーツも干せるかもしれない、そんな風に思っては、掃除を始める。三時のおやつに買ってある、小さなどらやきを楽しみにしながら。


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