わたしに「指名される力」はあるか
ふっと今日降りてきた言葉が「世の中は指名で回ってる」ということだった。
指名、というと特別な世界の言葉に聞こえるかもしれない。プロ野球のドラフトとか、アイドルの選挙とか、政治の投票とか、あとよく知らないけど、夜の世界――たとえばキャバクラで働いている方とか。
だけど、自分とかけ離れた世界だけではなくて、私たちは、普段から、お店やサービスや友達や恋人になりたい人を選んでいる。
たとえば小説一つ載せるのだって、noteがいいか、カクヨムがいいか、エブリスタがいいか、セルバンテスがいいか、日々迷って、結局一番自分がいいなと思うものを選ぶ。
パスタを食べに行きたいときだって、あの店がいいか、この店がいいか選んでいる。
「選ぶ力」を私たちは普段日常生活のなかで行使しているけれど、じゃあ逆に、自分に「選ばれる力」はあるのか?と考えてみるのも、ひとつ自分を成長させるのにいいことかもしれない。
たとえば「モテる」ということひとつとっても「あの人にまた仕事お願いしたいな」と思われることひとつとっても、よくよく考えると、それらは一言で言えない。「なぜこの人がモテて、私はモテないのか」「なぜあの人には仕事が来て、私には来ないのか」と、分析してみると、また自分を深く知ることができるのではと思う。
たくさんのお店のなかから、自然に私たちは「行きたいお店」と「あまり行きたくないお店」「ぜったい行きたくないお店」を選んでる。「この人とは付き合いたい」「この人とは付き合いたくない」と選んでる。
私たちは、選ぶ権利を、当然のものだと思ってる。
だけど、自分を「選ばれる側」においてみると、実際に、多くの似たようななかから「選ばれる」ことって、本当に奇跡みたいなことなんだと思う。たとえば、ここnoteで「フォローされること」ひとつをとっても。
「あの人の記事また読みたいな」「あの人とまたお話したいな」「あの人とまた仕事一緒にやりたいな」などと、人から思われる力を、あなたは自分自身に対して持っていると思えるだろうか?
女性や男性の「モテる人」「仕事が来る人」を例にとってみると、必ずしも容姿や能力だけで選ばれているわけではないこと、みなさんよくわかると思う。
その人のウェルカムな雰囲気だったり、素敵な笑顔だったり、こまめなフォローだったり、そういうささいなところって、大きいのではないだろうか。それを「魅力」や「努力」という言葉で片付けるのは簡単だけど、その人が「魅力」や「努力」をどうやって身に着けたかまでを、気に留めている人は少ないかもしれない。
「選ばれない」から価値がない、そういうわけではないと思う。たとえば、noteの記事ひとつとっても、すべての記事に、その人なりの素敵な色が出ていると思う。
だけど、自分で本を出したかったり、連載が持ちたかったり、仕事がほしかったり、フォロワーを増やして影響力をつけたい、という目標がある人は、「自分が選ばれないのはなぜか?」ということともう一度振り返ったらいいと思う。モテでも仕事でも同じだけど。
そしてこの記事は、私自身、自分を振り返りながら書いた。
「指名力」をつけるために。私はスポーツ選手でもアイドルでもないけれど、もっと自分の小説をたくさんの人に読んでほしいという夢がある。
だから、もっと自分の記事の魅力を磨こうと思うのだ。
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