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【短編】朝、一緒にヨーグルトを

お互いの家具を持ち寄って二人で暮らしはじめた僕らは、あの頃とても若かった。僕は社会人になりたてだったし、彼女はまだ大学生だった。彼女の実家が渋い顔をするのに、頭を下げながらの同棲だった。

引っ越した日の夕方、二人で近所のスーパーへ買い出しに行った。食パン、ベーコン、卵、野菜に、特売の肉、と買い進んだところで、メモを見ながら買い物カートを押していた彼女がつぶやいた。

「あと、ヨーグルト」
「ヨーグルト?」

実家にいたころから、ヨーグルトを食べる習慣が僕にはなかったから、ついそう口にした。彼女は、乳製品の棚のところで立ち止まって、ヨーグルトの四個パックを手にとる。

「私、ヨーグルトは毎日食べないとダメな人」
「あ、そうなんだ」

誰かと暮らすというのは、誰かのもともと持っていた習慣を自分の中に取り入れることだし、自分のもともと持っていた習慣を変えることなんだ、と思った。

彼女は毎朝、パンを並べ、ベーコンエッグにサラダをつくった。そしてそこにヨーグルトをつけた。本当はお寝坊の彼女が、早朝会社に行く僕のために用意してくれた朝食は、残さず全部食べた。食べ慣れなかったはずのヨーグルトも、いつしか僕の生活の一部になっていた。

「ジャムを垂らすと美味しいよ」
「いや、僕はプレーンの甘くない奴の方が好き」

気がつけば、ヨーグルトの食べ方にすらこだわってきた僕を見て、彼女はころころと笑った。

そんな生活が一年近く続き、これからも続くと思っていた呑気な僕らに、突然降って来たのは僕の広島への異動辞令だった。「ついてくる?」とは聞けなかった。彼女はまだ、大学を卒業していなかったから。僕のわがままで、彼女の学歴をふいにするわけにはいかない。

「遠距離に、なるね。私は東京で、あなたは広島で」
「卒業したら、きっと迎えに行くから」

僕はそう言って、彼女をなぐさめた。二人で借りたアパートを出て、二人とも一人暮らしに戻る。寂しかったけど、二人の未来のために仕方ない決断だった。

広島でアパートを借りた一日目、近くのスーパーに一人で出向いた。晩酌の缶ビール、つまみを買う一方で、朝食のパンなども買う。僕の足は、乳製品の棚の前で、あの日と同じように止まる。四個パック入りのプレーンヨーグルトを見つけて、買い物かごに入れた。

――気づけば、僕自身も、ヨーグルトを毎日食べないとダメな人になっていた。

ヨーグルトが健康にいいから、とか、美味しいから、とかそういう理由だけではなくて、毎朝二人で仲良く食べた、その記憶が、僕を支えているのだと思った。

毎日の生活に、朝ごはんに、ヨーグルトがそっと彩りを添えるように。僕の日常にも、いつも彼女がいてほしいと強く思った。

彼女が大学を無事に卒業した春、広島のアパートに遊びにきた際のこと。まだ夢のなかでまどろんでいる彼女をいとおしく眺めながら、僕は朝食の準備をする。食パンに、ベーコンエッグに、サラダに、そして……

起き出してきた彼女が、台所に立つ僕を見て、びっくりした顔をしている。

「朝ごはん、つくってくれてるの」

僕はうなずいて、ベッドサイドのテーブルの上に、用意した朝食を並べる。彼女が目をまるくしたところに、たたみかける。

「卒業おめでとう。これから、また一緒に朝ごはんを僕と食べてください。――できたら、この先ずっと」

カーテン越しの朝日が、僕ら二人と、朝食と、二つ並んだヨーグルトのパックを柔らかく照らしていた。

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