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【連載小説】梅の湯となりの小町さん 8話

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「着いたぁ……」

四ツ谷駅の改札から麹町口へ出ると、真正面に大学キャンパスが見えた。名村家からほど近い千駄木駅から、東京メトロ千代田線で霞ケ関駅へ。そこでやはりメトロの丸の内線にさらに乗り継いで四ツ谷駅に到着した。

びびり倒して駅員さんにルートを聞けなかったため、必死でスマホ検索して行きやすそうな乗り継ぎを見つけたつもりだが、それでももっと短縮できる別ルートもあるのかもしれない。

霞ヶ関駅で降りたときには「こ、ここが日本の政治の中心…!」と震えたし、地下鉄のなかでは座ることすら緊張でできずに、日本人乗客と同じように何食わぬ顔で乗り込んでくる外国籍らしい乗客の隣でつり革を持ちながら立ちすくんでいた。

なんとか一人で四ツ谷まで来られたので、気が抜けすぎてへたりこみそうだ。横断歩道を渡ると、キャンパス目掛けて歩いていく。下町の雰囲気が残る、要するに谷根千エリアとは打って変わって、四ツ谷の街は大きな建物が林立し、でも決してごちゃついていることはなく、春を迎えて清新な空気を感じた。

オフィス街もそばにあるのだろう、ビジネスライクな恰好の男女も、道ではたくさん闊歩している。ものめずらしさについきょろきょろしながら、おっかなびっくりキャンパスの門をくぐった。

入学式を直前に控えた現在の大学は、春休み期間のはずだ。それでも結構多くの学生が、思い思いに構内を歩き回っている。リュックを背負った学生が多く目につき、自分もリュックを買ったほうがいいかもしれないと気づかされた。

うろうろと胃を緊張に縮ませながら歩きまわっていると、お腹がすいてきた。中央図書館に入り、おそるおそる内部を見たが、なんとなく居所のなさを感じてすぐ出てきてしまった。

ときどき通りすがる女子学生が、どの人も芸能人やモデルレベルに綺麗に見えて、そのたびに自分のそっけなさすぎる服装や見た目と比べてしまう。

(化粧しないの?)とずばりと聞いてきた花恵さんの気持ちが、ようやくわかるような気がした。東京どまんなかの私立大学なのだ。地方からのこのこ出てきた生徒が少ないのは、当たり前のことだろう。

いけない、また心が折れかけている。そう思って、顔を上げて前に歩きだしたとたん、私は人とぶつかった。私より少し体の大きな、大きめの長袖Tシャツを着た男の子。心ここにあらずで、前をちゃんと見ていなかったのだ。

「わ! ――ごめんなさい。大丈夫ですか?」

ぶつかったときの圧で、思わずしりもちをついてしまった私だったが、男の子が助け起こそうとしてくれた。

「あ、ありがとうございます。大丈夫、です」

私はあわててお尻をはらい、一人で立ち上がる。その男の子は、前髪が少し伸び気味で、あまりあか抜けていないところが私とどこか似ていた。なんとなく、つぶらな瞳が昔おじいちゃんが飼っていた柴犬に似ていた。

「よかった。――あ、もしかして、君も新入生ですか」
「ええ。この春から。ということは、あなたも?」

私の返答に、彼がわっと笑った。本当に犬みたいな人懐こい表情に、こっちも気が緩む。

「僕は、茨城県からで」
「私は、石川県です」

地方組の子だ! と、なんとなく嬉しさが顔に出てしまった。といっても茨城は、関東からは近いけれど。

お互いに、孤独な東京砂漠で仲間をみつけた気分になってしまい、私は森山徹もりやまとおると名乗った彼に微笑みかけた。それで彼も、気持ちが緩んだのか、私に向かってたずねてきた。

「小町さんは、もうサークルどこ入るか決めました?」
「えっと、まだ、です」

サークルなんてもの、正直頭になかった。バイトはしなければならないとは思っていたけれど、サークルというものが大学にはあったのだった。

「入学式のあととか、勧誘がすごいらしいから。何か情報知ってたら交換したいかなと思って」
「私は何もわかってないです。森山くんは、どこに入るか決めているんですか?」

私の質問に、彼は「あー」と目を泳がしてから答えた。

「ちょっと、迷ってて。ひとつはテニサーなんだけど、もうひとつ、児童福祉サークルがあるって聞いてて」

「福祉サークルなんてあるんですか? 私高校のときにボランティア部で、学科も社会福祉学科なので」

「僕は教育学科なんです。だから、子供と関われるサークルに興味があって。だから、サークル勧誘の時期が始まったら、部室に行ってみようかなと……」

「そ、そのとき私も一緒に連れていってもらっていいですか?」

ちょっと食い気味に、お願いしてしまった。なにせ、この大学では稀少な地方上京組の子で、同学年。そして、似た分野に興味があるかもと知り、思わず自分らしからぬ積極性を見せてしまう。そんな私に、彼はにこやかに「いいですよー。じゃ、そのときのためにメッセージアプリでも交換しておきます?」とスマホを取り出した。

ありがたく交換させてもらったあと、彼が「ごめんなさい。そろそろ行かないと。僕、今夜は寮で歓迎会なので」と両手を合わせた。話を聞くに、彼は男子学生寮に入っていて、今夜はそこに一緒に住む先輩方が「東京へようこそ会」を開いてくれるらしい。

「いいなあ、羨ましい」

思わず自分の境遇と比べて、言葉をもらしてしまった。彼は「ありがとう、じゃまたここのキャンパスで」と、足早に校門のほうへと駆けて行った。とたん、私のお腹がきゅうと鳴く。

お蕎麦をちゃんと朝昼兼用として食べてきたのに、もう空腹を感じた。春休みのキャンパス内を出て、駅方面に戻るとき「アトレ四谷」の建物が目に入る。ふらふらと思わず吸い寄せられてしまった。お財布の中身を改めて確認する。

アトレには、美味しそうなケーキの店も入っていたが、「石川県にもあって身近」という理由でスターバックスに入った。

席に腰かけ、運ばれてきたコーヒーを飲みながら、しみじみ実感する。

(私、本当に東京に来たんだ――)

名村家のつくりは、古びた昭和家屋なので、いままでいまひとつ「東京に来た」という実感にとぼしかった。けれどこうして、東京のスタバに入り、おしゃれな人たちとのなかに混ざっていると、自分も都会の景色の一部分になっていると感じる。

狭めのテーブルの隣は、そう、やっぱりタブレットに目を落としているスーツのサラリーマンで……そう思ってふと隣に目をやった私は「へっ?」と思わず声を出してしまった。

「せ、征一さん???」

私の甲高い声に、男性が、こちらを向い「は!?」と声を出す。そのあと「なんであんたが、ここにいんの?」と超絶不機嫌そうな顔で、聞いて来た。

「えっと、あの、通う大学までの道を確認したかっただけで。それより何で、征一さんは」

「俺の会社、麹町だから」

とぼそりともらした。麹町……ってたしか、四ツ谷のある紀尾井町の近くの街だっけ、と頭の中で地図を思い浮かべようとしたが結局よくわからなかった。とにかく、ここらへん一帯が征一さんの行動範囲でもあるらしかった。

この人との間では、話が持たない、はやく飲み終えて退散しようと思ってカップを手に取ったとたん、征一さんに話しかけられた。

「何に乗って来たんだ、ここまで」
「え、ま、丸の内線で」
「帰るにしても、いま丸の内線、信号トラブルでさっきから止まってるぞ。さっき四ツ谷駅通ったら、改札ごったがえしてた」
「え。ええ?」
「東京の電車や地下鉄は、わりとすぐ止まる」

そう言って、コーヒーを優雅に飲んでいる征一さんに私は聞いた。「どう帰ったら、いいんですか? 名村家まで」

「はぁ? そんなもん自分で考えろ。う回路なんて探そうと思えばあるだろ」

そこまで言われて、私のどこかがぷつっと切れた。おとなしい羊ちゃんでいるしか、この家族の前ではないのかもしれないけれど、そうやって遠慮して遠慮してばかりいては、関係も状況も先に進まない。強く出なくては。

「お願いします。できたら夕方までに名村家に帰りたいんです! 征一さんは東京にずっと住んでいるんですから、いい方法わかるはずですよね?」

私の剣幕に押されたのか、征一さんが目をぱちくりさせた。「はー、鬱陶しいやつ……」と言葉をもらすと、空になったコーヒーカップを載せていたトレイを手に立ち上がった。

「俺がたまたま午後休だったことに、感謝しろよ」と言うと、征一さんはポケットから車のキーを出す。

「まさか助手席に、あんたを乗せることになるとはな。はーめんどくさ」

そう言いながら「行くぞ」と脱いでいたジャケットを手に、立ち上がった。あわててその後を追いながら、あらためて自分が、知らない人に囲まれた「東京」に来たのだと強く感じる私だった。

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