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【掌編】線香花火

オレンジのまるい小さな火の玉が夜闇に震えたかと思うと、光のしぶきとなってぱちぱちと散った。少しでも火花がはじける時間を長引かせようと思うほど、線香花火を持つ手元が震えがちになる。朱色の閃光がまたたく瞬間を目の裏に焼き付けようと思ったとたん、ぽとりと火は濡れたアスファルトに落ちて消えた。

雨上がりの地面に、夏草の青い香りが立っている。道路のすぐそばの小学校のフェンスにもたれかかりながら私が線香花火で遊び終えるのを待っていた千佳は、さっとしゃがんで花火の残骸を拾い終えると「部屋戻ろうか」と小声で言った。

マンションのエントランスから入り、エレベーターで四階の私の部屋まで、かがみつづけたせいでふくらはぎが少しひきつるのを感じながら一気に上がった。今日のために着付けた、紺地に赤い金魚を染め抜いた私の浴衣姿がエレベーターの鏡に映り、どんな顔をしていいかわからなくなった。履いている下駄が小さすぎて、足の指のまたに今更ながら痛みを感じた。

「しっかし、残念だったね、高柳さん。急に残業になって、桃と花火大会行けなくなって」

「ん、仕方ないよ」

10月に結婚式を控えている高柳さんと、今日は港のほうで行われる大規模な花火大会に、私は行くつもりだった。けれど、直前になって高柳さんから電話があり、お得意先からたくさん発注が入り、今夜は約束通りの時間に行けそうにない、と謝られた。

それで私は、高校からの親友である千佳の家にお邪魔して、彼女のマンションの前の道で、高柳さんと花火大会のあとやるために用意した線香花火に火をつけた。千佳にも「やろうよ」と言ったけれど、千佳は「あたしは見てるだけでいいよ」と苦笑した。

「桃は、なんていうか本当に女子だよね。彼氏のために着飾って、線香花火まで用意して、なんていうか、16歳女子」

「なにそれ、バカにしてる?」

私が頬をふくらませると、千佳は「まあ、そこが桃のいいところなんだろうね」と笑った。「その浴衣は、とても大人っぽいよ」とも。花火大会はもう始まっている。千佳の家に入る直前に雨が降ったが、もう上がった。少し浴衣の肩先が濡れたが気になるほどではなかった。

「なんか食べる?」と言いながら千佳はもうキッチンに立っている。結婚が決まるまで実家で母の料理を食べていた私とはまるで違って、千佳は調理の手際がいい。高校を卒業したあとはずっと一人暮らしをしているから、なんでもつくれるよ、と以前笑っていた。

ほどなくして、薄い卵焼きに甘い中農ソースとマヨネーズと青のりがかかった食べ物が出てきた。

「とんぺい焼きでーす。ちょっと夏祭り気分出してみた」

ありがとう、と皿を受け取って箸を使い切り分けると、中には豚肉ともやしとキャベツが入っていた。口に運ぶと、甘辛い味が広がって、屋台の味そのものだ。

「おいしい」

「ま、今日は残念だったけど、おかげでこちらは久しぶりに桃の顔見れて嬉しかったよ」

そう言いながら千佳はダイニングテーブルの向かいの席で、プシュッと缶ビールを開けた。そのままぐーっと飲んで、私の大好きな笑顔になった。

スマホが軽く振動し、高柳さんからのLINEが入ったことに気が付いた。

「『今日はごめん、今度埋め合わせする。上手い焼肉食べに行こう』だって」

「はいはい、仲がよろしいことで。ご馳走様」

千佳と私の、ゆるりとした夏の夜が更けていく。さっき見た線香花火の火花が、私の頭の奥をまたよぎって、きらめいて消えた。

もうすぐ、夏の終わりだ。



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