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【短編】ミニチュアの女の子

中学校一年生の春。入学したばかりの中学校で、私は吹奏楽部の体験入部に参加していた。もともと運動は苦手だし、入るなら文化系の部活と決めていた。幸い、小さい頃からピアノを母に習わされていたから楽譜は読めたし、そう苦労することはないだろう、と思っていた。

文化系の部活の中でも、ゆるい茶道部や手芸部、ボランティア部などにしなかったわけは、私自身が、自分のことを小学校の六年間で「それほど人間関係が上手くない」と自覚していたからだ。みんなで練習ばかりするような部活に入れば「社交性ももっと鍛えられるのでは」と十二歳の私は考えた。新しい友達もほしかった。そんな考えから、私は吹奏楽部を選んだのだった。


小さな音楽室の中で、それぞれの楽器を取り囲んで、二年生三年生の先輩と、私たち一年生がひしめきあっていた。順繰りに、いろんな楽器を吹かされる。トランペット、ホルン、クラリネット、フルート、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ、そしてパーカッション(打楽器)。


息を吸い込んで吐いて、鳴らしているつもりなのに、なかなか音を出すのに苦戦している私のとなりで、知らない一年生の子が、まっすぐで強い音を鳴らす。先輩は何事か考えるようにして、メモに書きつけると、「じゃ、次の楽器へ行って」というのだった。


仮入部期間が終わり、正式入部になった後、一年生を音楽室に集めて、三年生の高倉部長から、誰がどの楽器のパートに決まったか、発表があった。


「パーカッションは、中里実久さんと、粟田沙織さん」

私――中里実久と同時に名前を呼ばれたのが、粟田沙織という子だった。この後、一緒にパーカッションパートの一年生の同期として、彼女と組んでやっていくことが決まった瞬間だった。そうして、私は、粟田沙織の存在を、はじめて認識したのだった。


粟田沙織は、とてもとても小柄な女の子だった。身長はおそらく、百四十五センチ程度。そしてやせているので、顔も、手も、足も、からだも、すべて普通の子からひとまわりもそれ以上もサイズが小さい、ミニチュアサイズの女の子だった。Sサイズのはずの制服も、多少袖が余っていた。


声も小さく、私が何を話しても、あまり受け答えが上手くなく、はにかんでいるばかりの少女だった。

翌週から、吹奏楽部のパート練習が始まった。先輩たちは、馴れ馴れしくもないけど、適度に親切で、私はほっとした。スネア(小太鼓)のスティック(ばち)を両手に持ち、ゴム製の練習パッドの上で叩いて手首を柔らかくするというのが、パーカッションの基礎錬では一番大事なことらしかった。


ひたすら、タンタンタンタン、と、パッドをスティックで叩いていると、私と沙織、二人だけいるパーカッションの部屋はひどく静かだった。先輩たちは夏のコンクールに向けての曲決めで、二、三年生で集まっているので、一年生はひたすら基礎錬をそれぞれの空き教室で行っているのだった。


「粟田さんて、私より手首柔らかいんじゃない? 羨ましいな」

そんなことを言ってみた。沙織は、言葉少なに「そうかな」と笑うだけだった。

沙織と私は、卒業した小学校が違った。私は町中の小学校だったが、沙織はもう少し田舎のほうというか、郊外のほうの、小学校から来たらしかった。そうして私は、まだ四月のうちに、沙織と同じ小学校だった子から、沙織が小学生のときいじめられていたことを聞いた。


「あー、なんか、粟田さんってさ、あんまり盛り上がって話すのとか下手だし、でもおうちはお金持ちらしくて、ブランドもののかばんとか、これ見よがしに持ってるし、一緒にいるとテンポ狂っていらいらするでしょ。だから、結構小学校のときはさ、強い女の子たちのグループに、いじめ受けてたみたいよ。トイレに閉じ込められて、上から水かけられたりとか」


「そうなん? ちょっとひどくない?」


「でも、話下手なのって、本人にも責任あるんじゃん。まあ、中里さんは優しそうだから友達になってあげたら」


そう言われて、私はちょっと気を良くした。私は「優しい」ことが自分の売りであり、美点だと思っていて、小学校のときは学級委員をしていたこともあり、「みんな仲良く」が信条だった。というわけで、私は決意したのだった。

「かわいそうな沙織の、友達になってあげよう」と。――それがどんなに、自分に優越感があるからこそできる、上から目線の行為だったかに、私が気付くのはずっと先のことだった。

私は部活が終わったあと、ときどき沙織と一緒に帰ることになった。沙織の家は遠いけど、おじいちゃんの家が街中にあるそうで、沙織はときどきそちらの方へ帰っていたから、私と方角も、途中まで同じだった。


沙織のおじいちゃんの家に、遊びに行った帰り、たまたま沙織のお母さんが来ていて、こんなことを言われたこともあった。


「実久ちゃん、沙織はね、小学校のとき、あまり友達がいなかったから、どうぞ仲良くしてあげてね」
「はい、そうします」


笑顔で応えながら、私は、自分の母が友達に、こんなこと言っていたらみじめだろうなと考えて、そうでなかった自分にまた、優越感を感じた。


六月に入ると、吹奏楽部の一年生の中でも、だんだんパワーバランスが現れてきて、また陰で、沙織の悪口を言っている声を、幾度も聞くようになった。


「あの子がいると、会話がつまるっていうか」
「何話しても、面白い返し、しないしね」
「ていうか、また新しいブランドのかばん、持ってなかった? 親が金持ちで、まじ羨ましいわ」


私は、悪口の輪の中にいても、「そうだよねー」とか相槌を打つだけで、悪口自体は言わなかった。そうして、自分のことを「悪口を聞いても、一緒になって言ったりしない、すごく優しい人」だと思っていた。

クラリネットパートに、塩原美知佳という気の強い女の子がいて、その子が中心になって、沙織をまたいじめはじめた。


「ちょっと粟田さん、それ取って来てよー」
「ていうか、そこにいると、邪魔だから」

くすくすと、吹奏楽部の女の子たちから、沙織を笑う声が上がった。沙織は、顔を真っ赤にして、ただ言われた通りに動くだけだった。私は、美知佳に対して、何もできなかった。たとえば、本当に心の底から、沙織を親友だと思っていたら、勇気を出してかばえたかもしれなかったけど、私にとって、沙織は、そこまでの価値を感じさせる子ではなかった。

ただ、自分がいい人ぶりたいだけ、だったから、沙織と仲良くくっついていたけど、本当は大切な友達はほかにもいた。その子たちといるときは心底楽しく、沙織といるときはあまり楽しくなかった。でも、私は沙織を、自分の都合だけで「友達」だと思っていた。

沙織があるとき、ひどく美知佳たちからいじめられたときがあった。私は、とてもはらはらして、沙織が自殺でも考えるのではないかと、ひどく心配になり、でもその場では何もできず、家に帰って、自分がいつも落ち込んだときに聞くCDを取り出した。それをテープレコーダーに録音して、翌日、沙織に渡した。


「これ、元気が出る音楽だから、聴いて」
「――ありがとう」

翌日の沙織は、思ったよりも平気そうに見えた。私への態度も、普段と変わらなかった。私は沙織を、だんだん「もしかしたら強い子なのかも」と思うようになってきていた。誰よりも小柄で、体のパーツすべてがミニチュアで、だけど、ハートはすごく強いのかもしれない、と、そこで、沙織への見方がちょっと変わった。

沙織と私は結局、中学校三年と、高校三年と、計六年も一緒に、パーカッションの「同期」として、同じ時間を過ごした。高校に入ってからは、沙織は、少しずつ感情を出すようになり、中学校のときより、上手く人間関係をやっているように見えた。


――あの頃から、もう十五年以上が経った。大学は私と沙織はそれぞれ別のところへ進学して、連絡先はとくに交換しなかったので、そのままどうなったかはわからなくなった。

私が沙織を、もう一度思いだしたのは、フェイスブックの「知り合いかも」の欄に「粟田沙織」の名前を見つけたからだった。

少し複雑な思いになりながら、でも懐かしいし、と思って、友達リクエストと、「久しぶりー、元気にしてた? 良かったらつながって」というメッセージを送った。けれど、一週間経っても、一ヶ月経っても、そのリクエストが承認されることはなかった。


ああ、見透かされていたのか、と私は中学生だった頃の自分を思った。沙織は、私が友達のフリをして近づきながらも、本当は友達だなんて思っていなかったことを、ちゃんとわかっていたのだ、と思い、自分の偽善者ぶりに、穴に入りたい気分になった。


それから、私は、自分のことを「いい人」だとか「優しい人」だとか思うことをやめた。かわいそうな人を作り上げて、自分勝手に親切らしいことをする、そのことがどんなに傲慢かに、やっと気付いたのだった。


沙織、あなたのことを、友達だと私は認めていなかった。でも、あなただけが、私の欺瞞を暴いてくれた。私が、心の中では、自分を上に置いて、沙織を下に見るような、そんなくだらない人間だったことに、あなたが、気付かせてくれたのだった。

ありがとう。沙織が、あの日のそのあとを、どうか幸せに生きているように、心から祈っています。

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